世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

上手な死に方・逝き方 を考える!(下)

2011年04月25日 | Weblog

共同体が薄れて機能しなくなって久しい。波状的に親類縁者、肉親の身にも及んできた。そういう悲しい現実を直視したい。肉親の死で埋葬に困り果てた挙句、{献体}という美名のもとに大学病院に寄贈?する(献体)。医学生の研究を終えて遺体を引き取ってください、と連絡すると、<お骨はいりません、よろしいです>、と拒否する。・・・ もう“何をか言わん也?!”である。 「身内だよ!肉親ですよ!?」。 もう、そこまで現実は進捗?しているのか・・・。これは一種の「遺体の合理的処理である」、と遺族は、割り切っているのか?! 悲しい現実である。斎場にもほぼ同様の事が起こっている、という。火葬場での遺体の「生ゴミ化」が著しいと聞く。 死者の処理場の絶対数が足りない。 海の向こうでは「エンバーマー」(死人に化粧する職業)、日本では、話題になった先の映画「おくりびと」と対極にある現実。・・・ 葬儀や葬式は「生と死」を考える契機にしたい、と私は考えている。考えようは各人各様であっていい。葬式するか、しないかも、各人各様であっていいと思う。葬式が経済的に実施困難の方も居られると思う。そこは自治体が考えてくれれば、いい。ただ言えることは意図的に葬式を実施しない人は「無縁社会」を擁護・容認している方だと断じていい。・・・身内や近しい人、友人・知人が死ぬたびに、世の無常観 に駆られる。 “人は死ぬ” この絶対的命題は、不変である。従って、夫婦、親子、孫、肉親等々・・・関わってきた諸々の知人・友人、職業仲間等々も ≪縁≫ あって、この世に、同時代 に 生 を受けてきた。神の導きによって≪縁≫が結ばれたのである。だから神の意志に従い、私は、命が尽きるまで、真っ当に「生」を心行くまで謳歌して生きていきたいと思う。・・・


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