世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た戦跡「旧海軍司令部壕」

2006年07月30日 | Weblog

豊見城城址公園の前を右に曲がり坂を登りつめた処に、この「旧海軍司令部壕」はあります。ここは昔、中国や薩摩(今の鹿児島県)から来た船が港へ入港した時、火を焚いて首里に知らせていたことから、「ヒバンムイ」と呼ばれていた処です。その壕の中は、どうなっているのか、というと、まず「幕僚室」(ばくりょうしつ)で、ここが一番、印象に残った処です。茶色の壁には手榴弾(てりゅうだん=しりゅうだん)の破片の跡が、くっきりと残っており、戦争の恐ろしさを物語っていました。今、自分が立っている処で大勢の人が血を流しながら死んでいったのかと思うと、たまらなく悲しく、そして恐ろしくなりました。司令官室は当時のままの様子で残っていました。ふと、壁を観ると 大田 実 中将が詠まれた 辞世の句 がありました。その句は「大君の御旗のもとに死してこそ、人と生まれし甲斐ぞありけり」(天皇のために死んでこそ、人間として生まれてきた甲斐がある)。と詠っているのですが、私には本当の意味が分りません。戦争は、これからは絶対に起こしてはいけない、と思います。皆様も一度は、此処へ来て戦争は二度と起こさない、と誓ってみては、どうでしょうか。 (6年 Yさん)

戦後30余年(注記:当時)、地域開発や都市化が進すむにつれて戦跡も、だんだんと少なくなってきました。ここは数少ない戦跡の一つです。壕のなかには、いろいろな記録が当時のそのままの部屋などが保存されていて、どれを観ても戦争が、どんなに悲惨なものであったかを訴えています。今後、二度と繰り返すことのない様、次の世代に戦争の恐ろしさを語り継いで欲しいと思います。 (母 Yさん)

<学習の手引き>・・・六年生の皆さんは、ここを見学して当時の軍人や住民の、いろいろな記録を調べ沖縄戦について、纏めてみましょう。

 


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