いつの世も若者文化が一時的にせよ流行る。否、主流をなす。世の大人
たちは特に識者・評論家を自認する方々は眉をひそめて散々、批評する。偶に
温かい眼差しで見守る御仁も居られるには居る。冷やかし半分である。アンチ
風来流れ者オピニオンリーダーも居て擁護と弁明に明け暮れる猛者も居る。当
世を鋭い眼力で現実の実態を抉り出し鮮やかに提示してみせる孤高の方も居
られる。―(私、個人としては、いつの世でも“不変と流行”は変わらないテーゼ
であり真実(実相、真理を包含)と正義は不変であり後世に正しく伝えていくべ
きである、と思っている)―・・・但し最早、そういう正統派は時代についていけな
い悲しい存在の方でもある、と時代認識している。当の若者はと言うと馬耳東
風を決めつけ我が道を行く風情で、てんで相手にしない。全くの無関心である。
無関心を装うて、いる。既成の価値観に囚われない、既成道徳・倫理に規制さ
れない“見た目”、“直感”、“ありのまま”、“ルックス”を大切にする。つまり、フ
ァースト・インプテレッションが全てである。世代間断絶が盛んに吹聴された時
期もあったが当世には、もう通用しない。時代の流れを創っていくのは、<ごく
普通の大多数の大人>である。そのトレンドに若者も包含されているだけなの
だ。思い出すのは自民党総裁選時の、あの麻生太郎氏が若者に人気のあった
理由が頷ける。盛んに“キャラ”を連発した。「キャラが立つ」、「キャラの違い」
云々で一世を風靡した。古い自民党の体質が災いして落選した。早晩、行政の
末端から頂上まで様変わりするであろう。・・・ところで当世を決定するキーワー
ドは“キャラ”に纏わる語群だろう。即ち“直観・見た目感じ・ルックス・清潔さ・明
るさ・生鮮さ・誠実感・・・”等が決め手になる。―(私の独断と偏見で挙げてみ
た)―以前、孫から「じじーぽい」と言われた事を思い出す。“~ぽい”も付け加
える必要を感じる。何れにせよあの風靡した「イケメン」は後退する。「ブランド
もの」も減退する。『初印象・・・』が全てを決定する。そういうトレンドになった。
当世になったと痛感している。・・・
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