またまた自分がまっさきに嬉しがりたいので、法華経を開きます。法華経はわたしを嬉しがらせるのに長けています。
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その時に、持地菩薩は即ち座より起きて、仏(お釈迦様)の前に進み出て、仏に申し上げました。
世尊よ、もし衆生有りて、この観世音菩薩品の、「自在之業」や「普門示現の神通力」を聞かん者は、当に知るべし、この人の功徳は少なからず。
法華経「観世音菩薩普門品」より
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自在之業;
観音様の自由自在に人を救済されるこころとその実行力のこと。
普門示現神通力;
普門(あまねき門戸)に、お姿をお示しになって、神通力(すぐれた救済能力)を顕現されること。
功徳:
届けて下さる利益(りやく)と受け取る側の利益。仏様観音様のよろこびと衆生のよろこび。
持地菩薩:
梵語でダラニダラ菩薩。大地を支える菩薩さま。
説法される観音経を聞いている聴衆の代表者の菩薩さま。
少なからず:
とってもとっても多いこと。
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観音経はいよいよ最終章に入っています。仏陀(お釈迦様)が法華経の一つの「観世音菩薩普門品」をお説き終わりになりました。持地菩薩が代表して感想とお礼を述べておられます。
此処でこの偉大な法華経の説法を聞くことが出来た人々は,さぞやさぞや最高最上の大きな功徳・大きな利益(=救済)を得られたことでしょう、と。
「説法を聞き終えた聴衆はたちどころに、仏様が悟られた阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい=無上正等正覚)を得た」という報告文で,観世音菩薩普門品はジ・エンドになっています。
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なにしろ観音様の自由自在な神通力でことごとく救済されて安らいで、恐れなく仏道を歩んでいけるようになるんですからね。
わたしがその場に居たら、どうなったでしょうね。嬉しくて嬉しくて地に踊り天に舞ったかもしれません。
(説法されているところが、此処。説法を聞いているところが此処。ですよね)