夕方6時を過ぎました。お腹が減ってきました。労働してないのに、減ってきました。冷や麦だけのお昼が少なかったのかなあ。ま、お腹が減るっていいことなんだよな。老人であっても。
外の日射しはちっとも衰えていません。畑に出て行く気持ちになれません。出て行って農作業をしたら、その後の缶ビールがおいしく飲めるのに。それでも。早いけど、夕ご飯にします。
夕方6時を過ぎました。お腹が減ってきました。労働してないのに、減ってきました。冷や麦だけのお昼が少なかったのかなあ。ま、お腹が減るっていいことなんだよな。老人であっても。
外の日射しはちっとも衰えていません。畑に出て行く気持ちになれません。出て行って農作業をしたら、その後の缶ビールがおいしく飲めるのに。それでも。早いけど、夕ご飯にします。
今日のわたしが思ったこと。
ああ、おれは,今は人間をしているんだなあ。そして長く長く人間をしているんだなあ。(でももうすぐそれも終わるんだなあ。こうしていていいのかなあ)そうも思った。
*
人身 受け難し、今 已に受く。
仏法 聞き難し、今 已に聞く。
この身 今生に向かって度せずんば、
さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん。
(仏教経典より)
*
(どんなになりたいなりたいと切望しても)人間になることは難しいのに、わたしはいまもう人間になっている。
(人間になって)(どんなに長くどんなに強く聞きたいと願っても)(わたしを幸せに導く)仏法を聞くことは難しかったのに、わたしは此処でとうとう仏法を聞いている。人間に生まれた幸せを思っている。それを有り難いと思って感謝している。
(危ういところであった)(チャンスを逃してしまうところだった)今此処で幸せになっておかねば、この先長く長く空しく過ごしてしまうところであった。
*
仏法はわたしの人間を幸せにする教えである。人間に生まれ人間を生きたことを、深く感謝させる教えである。
*
「度する」は「済度すること」「救済すること」。無明のわたしを此岸から悟りの彼岸に渡すこと。現在に感謝できること。現在を幸せにして生きていること。
*
「今生」は、生きているいま。現世。
「いずれの生に向かってか」:空しく生きてしまうと何度も現世を繰り返すことになる。後戻りをすることになってしまう。
*
わたしたちは永遠を生きている存在である。学びも永遠である。進歩も向上も永遠である。学ぶべき学びも、なすべき活動も、永遠である。わたしたちは、未来へ未来へ、先へ先へ行って、進歩を進めていいのである。
(でも、ゆっくりでもいい。慌てなくてもいい。旅を、右往左往しながら、行きつ戻りつしながら、楽しんでいい)
*
夕方になっても庭先にヘチマの花が咲いている。黄色い小さな花だ。いまはそれを眺めている。キレイだ。
風が吹いている。そよろそよろのアスパラガスの、ふやふやの茎と葉っぱが、風に揺られてブロンコをしている。いかにも気持ちよげだ。
それだけなのに、もうさぶろうは、泣きたくなっている。泣き上戸の、泣きべその、さうろう。気持ちよげなアスパラガスに同化している。
アスパラガスは泣いてなんかいないのに、さぶろうが涙を流している。
もうすぐ此処を去って行くからなのだろう。しばらくの間はせめて、そうしていたいのだろう。
人間だけにいただいているエモーションを反応させて、風にふるわせていたいのだろう。
有り難う有り難う有り難う。
こればっかりを繰り返していていいように思います。
死ぬまでの間は、こればっかりを繰り返していてよさそうな気がします。
それほど長い時間ではないでしょうが。
誰に対しての有り難うなのか、有り難うは何処で着地するか。何をして貰ったから有り難うなのか。
不明。不問。理由なし。理屈なし。
有り難うを口にすればするだけ、それだけ有り難くなってきます。
なんでも有り難く思えて来ます。
有り難う宇宙の瓶の中にいるわたし。
瓶の中のわたしの果実は、有り難うシロップ漬けになります。
昨日、夕方6時から7時ちょっと過ぎまで畑に出ました。
枯れたズッキーニを引っこ抜きました。そこに入り込んで猛然と蔓延っている夏草を、よいしょよいしょと抜きました。
夕方が来ているのに日照りが強くて苦しくなりました。体温が見る間に上がって行くのが感じられます。
長くはいられません。一区画がすんだところで切り上げました。
お風呂に直行してシャワーを浴びました。石鹸で汗を洗い流しました。最後は冷水シャワーで体温を下げました。
すっきりしました。
思い切って畑に出てよかったなあと思いました。ハタライタって気持ちがしました。ふふ、僅かな時間だったのに。
冷えた缶ビール1缶をおいしくごくんごくんしました。
パリオリンピック日本男子体操団体金メダル。おめでとう!
見事だったなあ! 美しい演技を見てたよ。
重圧を撥ね除けたあとの清々しい笑顔に、こちらも涙腺が緩む。
ショートエッセー「祈り」
暁 耀
1
祈られているので、わたしは、祈らないでもいられる。
2
祈りの手が、100も1000も、その100倍も1000倍も、ある。
3
祈りの手の中心にいるのが、わたし。それを見ている。
4
その手が、どれも、「あなたが幸せでありますように!」と呟いている。
5
祈りの手の中心にどうしてわたしがいていいのか、聞いてみたくてならないけれど、わたしの理解の能力を超えていそうに思えて、まだ聞かないままだ。
6
何故を聞くのを止めにして、目を瞑る。「わたしは幸せ」を感じる。感じて感じて感じる。
7
2024年7月30日、やっとわたしも祈りの手に加わる。
8
「あなたを幸せにする祈りの手」の手を合わせてみる。
9
祈りの手が、たがいたがいに祈り合っているところ、ここが宇宙。銀河宇宙。
10
見上げる夏空の青が澄み切って、どこまでも広がっている。
「あなたは美しい」 今朝のわたしのショートエッセー
暁 耀
あなたは美しい。
*
美しいあなたがいることが嬉しい。嬉しくてじっとしていられない。
*
わたしはあなたを讃美する。
*
あなたは複数形。二人称複数形。
*
もちろん単数としても存在する。
*
わたしが見ているものが、あなたになる。
*
わたしが讃美しているものが、あなたになる。
*
わたしに見せようとして,あなたが此処に存在している。
*
わたしを喜ばせようとして、あなたがここに存在している。
*
それがみんな、わたしの、あなたになる。いとおしいあなたになる。
*
讃美の目で見ていると、あなたが数を増す。大きくなる。深くなる。高くなる。いよいよ美しくなる。光になる。
*
此処に生まれて来たわたしを、みながこうやって歓迎に出ているのだ。
*
わたしはただただ美しい美しい美しいの言葉に埋もれているだけでいい。
*
移り変わり移り変わりして、感動のわたしの前にあなたが立つ。
*
過去世もこうだったし、現世もこうだし、来世もこうなることに決まっている。ずっとずっとこう。
*
それを確かめていればいい。確かめてうっとりしているだけでいい。わたしは無力でいい。
*
それは何故? なぜそれほどにしてていい?
*
答え。
それはね。わたしも、あなたの前では、「讃美されるあなた」になっているからだ。あなたをよろこばせる存在になっているからだ。わたしとあなたは、ともにわたしたちであって、あなたたち。
*
わたしたちが暮らしている此の宇宙は、讃美の宇宙生命体なのだ。ここに暮らしていれば、これが普通の普通なのだ。