ああ、今晩の夕食の、胡瓜と水母(くらげ)の酢物がおいしかったなあ。
胡瓜は我が畑の収穫物。水母は海の贈り物。
氷を浮かべた日本酒を飲んだ。1合の。
最後に、大好きな梅干しの入ったお茶漬けを食べた。満足した。
ああ、今晩の夕食の、胡瓜と水母(くらげ)の酢物がおいしかったなあ。
胡瓜は我が畑の収穫物。水母は海の贈り物。
氷を浮かべた日本酒を飲んだ。1合の。
最後に、大好きな梅干しの入ったお茶漬けを食べた。満足した。
若人欲加悪 刀杖及瓦石
則遣変化人 為之作衛護
法華経経典より。
*
にゃくにんよっかあく とうじょうぎゅうがしゃく
そっけんへんげにん いしさえご
*
若(も)し、人、悪の刀杖及び悪の瓦石を加えられんと欲するに、則ち 変化の人を遣わして、之(の人)の為に衛護(えご)を作(な)さん。
*
もしも、(仏道を歩む)人が、悪人の刀杖や悪人の瓦石を加えられようとするならば、その場ですぐに、仏陀は、仏陀の代わりをする菩薩たちを遣わして、(被害を受けようとするこの)人の所に来て、(内面を)衛(まも)り(外面を)護(まも)りますから、心配は要りません。どうぞ安心をして下さい。
*
仏法経典は具体的です。こんなにも具体的です。これはみな心配をさせないためです。
わたしはこれを読みながら、ああ、有り難いなあと思います。こうやって具体的に説かれると、無才なわたしだって理解ができます。
*
仏教経典は,「あなたを守ります守ります守ります」としつこいように何度も何度も繰り返し説かれています。
三界無安 猶如火宅
三界は安きことなし。けだし、火宅の如し。
法華経経典より。
*
三界:衆生が生死輪廻する3種の世界。欲界と色界と無色界。
*
生まれ変わっても生まれ変わっても、そこも無安心の世界で、住んでいる家にも業火が燃え盛って逃げ場がない。
*
逃げ場はないか?
*
ある。
*
安養浄土の仏界だ。
*
ここへ来い、ここへ来い!
ドジャースの大谷選手がホームランを打った。30号ホームランを打った。ニュースで知った。
やるなあ!
*
山里に住んでいる孤独癖お爺さんでも、これを知った。
(なんにも知らない、じゃないんだぞ)
(アンテナは広げているんだぞ!)
*
是を知ると、お爺さんみずからが世界で活躍しているような錯覚に陥った。
*
大谷選手は、わたしの代打の役をも引き受けてくれることになる。
(これでわたしが華やかな活躍をしているような快感を得られることになる)
*
嫌かなあ、わたしのようなしょぼくれたお爺さんの代役では!
なるようにしかならない。
*
はあい。
*
じゃ、なるようにしておきます。
*
拱手傍観。
*
この、「はあ~い」がいいねえ。
*
人事を尽くさずして天命を待つ。
*
受けるべきを受ける。
わたしの関心事の狭いこと狭いこと!
*
もう少し広げたらどうだろうね!
*
振幅角度,首振り角度が30度くらいしかない。狭い。明らかに狭い。
*
人生の風景はもっと広大なはず!
*
それをわざわざ狭くする必要が何処にあるのだろう?
*
首振りが壊れた扇風機みたい!
*
楽しいこと楽しいこと楽しいこと楽しいこと楽しいことが360度に広がっているというのに!
*
この堅物お爺さんの、貧乏視界のみすぼらしさ!
*
マリリンモンローのスカートを風に吹かせて靡かせて、大空に舞い上がらせて、夏空の向こうに見えて来る晴れやかな世界を見て見たい!
であるのに、であるのに、猶以てわたしはぐうたらしている。相も変わらず悪煩悩に惑乱されて、俗悪悪事に手を染めている。仏様は、そんなわたしをご覧になれば、往復ビンタの鉄拳制裁をしたくなられるだろう。(なさったりはされないが)
*
「サーリプッタよ、この為に、諸仏世尊は唯(ただ)この一大事因縁を以ての故に世に出現されたのである」
法華経「欲令衆」より。
*
サーリプッタよ、仏様が、仏様の世界を出て、この世に出現されたのは、サーリプッタを今此処で仏にするためである。これが仏の一大事の因縁ごとなのだ。
*
諸仏世尊の「一大事因縁」とは、すなわち、生きとし生けるものすべてに仏知見を悟らせて、仏道に入らせて、仏にすることである。すなわちこの一生でわたしが仏に成ることである。
(そんなふうにわたしは、わたしに引き当てて此処を理解しています)(間違っているかも知れません)(わたしのためとあれば、それはそれはまことにまことに恐れ多いことであります)
*
もうすぐに死ぬ日が近付いているというのに、毎日毎日ぐうたらぐうたらして寝そべっている場合じゃないのであります。
わたしは嬉しい嬉しいになる。ここを読むと,ウレシイウレシイになる。(で、そんなに嬉しがっていいだけの己であるかどうかを自問して、否定されて、シュンとなってしまったりもする)
*
欲令衆生開仏知見使得清浄故出現於世。
欲示衆生仏知見故出現於世。
欲令衆生悟仏知見故出現於世。
欲令衆生入仏知見道故出現於世。
「欲令衆」より
*
(諸仏世尊は)衆生をして、仏知見を開いて清浄を得せしめんと欲して、世に出現したまへり。
(諸仏世尊は)衆生に仏知見を示さんと欲して,世に出現しまたへり。
(諸仏世尊は)衆生に仏知見を悟らせんが故に,世に出現したまへり。
(諸仏世尊は)衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまへり。
*
うっひっひである。うっひっひうっひっひである。「衆生」のところに「わたし」を入れ込んで、にたりにたりになる。嬉しい。仏陀はわたしのために出現して下さっている、と経典に書いてある。そんなにまでわたしのことを考えていてくださっているのかと思って、うひひひになる。
*
わたしに、「あなたも仏知見を開いて、わたしと同じように仏になりなさい」と言われて、世に出現され、わたしに仏知見をお示しになられる。世に出現されて、わたしに仏知見を悟らせようとして説法される。世に出現されて、わたしに仏知見の仏道に入らせようとして説法される。
*
仏知見とはなんぞ? 仏の悟りの内容だろうか。仏様の智慧、智慧の目だろうか。仏様だったらどう見ておられるか、ということだろうか?
*
うひひうひひなんかしている場合じゃないぞ、と叱咤されるところか。仏道に入って修行に励みなさい、と。怠けてなんかいるな。不平不満の目を剥いて暗い顔をしてなんぞいるな、と。
午後3時前10分。ただいまの外気温は34・9℃。大地が焼け焦げている。草木は、それでも逃げられない。逃避行が出来ない。
お爺さんは、日射しを避けて、家の中に籠もっている。冷房を効かせている。焼け焦げないで済んでいる。
風があるようだ。アスパラガスのヒラヒラがひらひらして揺れている。風くらいでは、しかし、もはやこの気温は冷えない。
*
お爺さんの今日のお昼は笊うどんだった。麺汁につけて、つるつるつると啜って食べた。麺類は喉通りがいい。
我為汝略説 がいにょらくせつ
聞名及見身 もんみょうぎゅうけんしん
心念不空過 しんえんふくうか
能滅諸有苦 のうめつしょうく
妙法蓮華経「観世音菩薩普門品」より
*
我(お釈迦様)は汝が為に略説せん。
(汝もし観世音菩薩の)名を聞いて、そのお姿を見て、心に念じて空しく過ごさざれば、能(よ)く諸々の有苦(うく=身に受けている苦悩苦難)を滅せん。
*
「(観音菩薩の)名を聞いて身を見て、心に念じる」
今日は此処にフォーカスします。
1,名を聞く。これが第一ステージです。
聞くという行為はわたしにできます。でも、わたしの耳が聞く前に、観音様の名が発せられていなければなりません。法華経のこの経典の中には、観音様の名が充満されています。
2,身を見る。これが大2ステージです。
観音様はわたしの目に見えていなければ、わたしが観音様を見ることはありません。絵になっていてくださっています。像になっていてくださっています。イメージになっていてくださっています。
3,心に念じる。これが第3ステージです。
はっきりとわたしの目に見て、観音様と向かい合って、見て見て見て、そのお姿をわたしのこころのお座敷にお迎えし、融合します。そうすると、そこで観音様はもはや他人ではなくなります。己身になってくださいます。
4,能く有苦を滅す。これが第4ステージです。
観音様と融合したわたしは観音様の智慧の目でみることになります。するといままであった苦悩が苦悩の形を取らなくなってきます。受ける苦悩ではなくなってしまいます。
*
第2ステージの「身を見る」が最大関門のようです。
見えない観音様であれば、わたしは観音様をついに見ることはできません。お姿を現して下さらないと、わたしの目は観音様を見ないでオシマイになります。
だからお見せになるのです。必ずお見せになられるのです。そうでないと、この法華経の観世音菩薩普門第25は成立しないことになってしまいます。
*
わたしは今日は、このステージのことを考えて過ごしています。わたしの目が見ている観音様が、わたしの目の中、心の中に、おられます。融合して一身になっていてくださっています。