<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

金ぴかに光って輝いていただろう。

2024年07月07日 18時39分17秒 | Weblog

♪ 牛よ、辛かろ。いまひと辛抱よ。辛抱する木に、金がなる ♪ 

南部牛追い歌から。

牛は田圃にいる。田圃を耕している。牛の体が湯気を上げている。へとへと喘ぐ口から涎が垂れ下がっている。朝から夕方までずっと鋤を引いた。日が山の端に沈んでいく。もうすぐだよ。もう終わりだよ。お百姓が、後ろから牛に声を掛ける。

牛よ、辛かろう、もう一辛抱だよ。さあ、日が暮れるよ。お前のおかげで田が見事に耕せたよ。

昔は、牛も、お百姓も、辛抱辛抱の暮らしをしていた。辛抱は牛を造る人を造る。こころがそれで通い合った。辛抱そのもの、辛抱の暮らしそのものが、金ぴかに光って輝いていたのだろう。

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ご近所様からお裾分け。

2024年07月07日 18時29分25秒 | Weblog

昼間、ご近所様からお裾分けを頂いた。西瓜の、半分の、そのまた半分の、そのまた半くらいのを。上出来。ずしりと重たかった。一部を、カラスに喰われてしまったらしい。で、その食い残しを、捨ててしまうには忍びず、2軒で分け合ったことになる。ありがたや。

真っ赤に熟していた。有り難く頂いた。何処の畑もカラスの被害に遭っているらしい。カラスは智慧者。熟れていたら逃さない。

さっそくサイコロ状に切って、冷蔵庫に入れて冷やして、夕方になって試食した。西瓜は今年、初物である。おいしかった。

 

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わたしのお腹は冷えに弱い。

2024年07月07日 11時00分19秒 | Weblog

暑さに対抗できぬ。抵抗不可能。

で、朝から冷房をオンにしている。贅沢をしている。

外で働いておられる方々には内緒にしておきたくなる。

冷房の中は涼しい。外の暑さを忘れていられる。

ところが、わたしのお腹は冷えに弱い。すぐに反応をしてしまう。グジグジし出す。金太郎さんのように腹掛けをしておかないと、下痢になる。

昔っからこうだった。車の冷房でもこうなる。外出の途中で、トイレを見つけるのに苦労をした。

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でなければ、生きて来られなかった。

2024年07月07日 10時40分27秒 | Weblog

清浄光明(しょうじょうこうみょう)ならびなし 遇斯光(ぐしこう)のゆへなれば 一切の業繋(ごっけ)ものぞこりぬ 畢竟依(ひっきょうえ)に帰命せよ。     浄土真宗経典「念仏和讃」より

わたしは坊さんではありません。なんの勉強もしていません。だから、全部、邪推です。わたしの仏典理解はわたしの邪推です。こうであったらいいのになあ、で仏典を読んで、にっこりしています。

信仰は強制ではありません。強制は大嫌いですから、強制をするつもりはまったくありません。仏様とわたしの二人の逢い引きです。

すでにすっかり阿弥陀如来の清浄光明に出遭っているわたしですから、業繋(ごっけ=縛り付けるもの=光に遇うことを妨げているもの)があるはずがありません。畢竟するところの絶対帰依(お念仏)があるばかりです。「遇斯光」は、「遇斯光者」。この光に遇うことがすっかり完了した者=わたし、というように解釈をして見ました。

わたしへわたしへ阿弥陀如来のオハタラキが働きかけられています。でなければ、生きて来られなかったのでした。

 

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畑に、甘い菓子瓜の、小さな実を、見っけ!

2024年07月07日 10時30分27秒 | Weblog

みっけ! 

菓子瓜の瓜の、小さな実を、見っけ!

ちょっと畑をぐるりと回って来た。みっけ!

瓜の畑に、菓子瓜の実を見っけ!

まだ小さい。テニスボール大ほど。でも少しだけそれらしい色合いを帯びていた。興奮した。こどもになった。トンビトンビして、浮かれた。

空を舞うカラスさんも見つけているだろうなあ、しかし。狙っているだろうなあ。

あと一週間したら熟すだろう。甘くなって食べられるようになるだろう。

それまで葉っぱを被せて隠しておくことにする。

 

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わたしが生まれて来たことは、わたしの思議の力で理解できることではない。

2024年07月07日 10時07分20秒 | Weblog

光雲無碍如虚空(こううんむげにょこく) 一切の有碍(うげ)にさはりなし 光沢かふらぬものぞなし 難思議を帰命せよ    浄土真宗 念仏和讃より

それここれも難思議である。思議することは難しい。たとえば光雲だ。雲があっても光は、そこを通り抜けて虚空(大空)を照らしてくる。大地を照らしてくる。わたしに届いて来る。光は、何がそこに来て妨げようとしても妨げられない。わたしはそうではない。無碍ではない。有碍である。有碍がどんなにあろうとも、光が溢れて届いて行く。この無碍光は阿弥陀如来の光である。この世は仏国土である。それをわたしの才知が思議しようとしても、思議がかなうことではない。それでもそれでも、此処は仏国土である。阿弥陀如来のいましたまう光の国である。

わたしがここに生まれて来たことも、難思議である。わたしが生きて行くことも、難思議なことである。わたしが死んで行くのもこの難思議のハタラキの仕業である。それをそうせしめているおおいなるハタラキがある。安心をしてもいい。 

難思議を帰命せよ。帰命は信じ切って任せてしまうことである。恐れを解き放つことである。

難思議のハタラキをはたらかせているのは阿弥陀仏である。阿弥陀仏に南無をする。

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窓の向こうは爽やかな夏空だ。

2024年07月07日 09時33分56秒 | Weblog

冷房をした部屋の、窓から外に、青い空が広がっている。澄み切って、いい色をしている。爽やかな夏空だ。白い雲を散らしてもいる。

眺めているだけで、ひととき、気分爽快になれる。風が、庭の酔芙蓉の葉っぱをふうわりふわり揺らしている。

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この暑い日に、友人が、我が家の草藪の、除草剤を撒きに

2024年07月07日 09時25分40秒 | Weblog

友人がやって来た。農作業着を着込んで。背中に噴霧器を背負って。この暑い最中に。暑さを我慢して。我が家の畑の周囲の、境界線の笹藪草藪に、草殺し笹殺しの除草剤を噴霧してくれた。彼は元気だ。同級生なのに、このオレとは随分違う。オレはこの暑さに閉口していて、外には出ていけない。

この後には、檀家寺の墓地周辺に、同じように除草剤を撒きに行くと言って、すぐに帰って行った。よくよく他者の利益を重んじる。彼は偉いなあ。このオレとは随分と違う。

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畑の胡瓜がいのちを終えてしまった。

2024年07月07日 07時01分41秒 | Weblog

四月の初めに苗を植えて育てて、たくさんの収穫を忝くしていた畑の胡瓜が、7月にはいってまもなくしたら、蔓と葉っぱを枯らした。命を終えたようだ。胡瓜特有の葉枯れ病を其の身に引き受けたのかも知れない。ぞくぞくと集まって来る虫たちに栄養を吸い取られてしまったのかもしれない。死枯れがやや早過ぎのようにも思える。

利他のハタラキに勤しんだ一生、微生物病原菌や昆虫類やカラスや人間に、己の命を捧げてきた胡瓜の一生を、ともかく、ねぎらいたい気持ちになる。

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