重大事故になっていたかもしれない。玉突きで何人もの人が死んでしまっていたかもしれない。それを免れた。対向車の大型トラック運転者、小型トラック運転者が、いち早くわたしの逆走に気付いて、点灯して、警笛を鳴らして、止まってくれたのだ。
わたしはもちろん停車した。停車したが、どうしてこうなったのかが分からなかった。トランクがゆっくり近付いて来て、窓が開いて、運転者が「逆走してるぞ」「後ろに下がって、別路線に入れ」と指示してくれた、やっと合点した。この道、国道34号線は、片道2車線あって、2車線とも一方通行だったのだ。
中央分離帯は草が生えていて、曲がるときにはわたしの目には見えていなかったのだ。てっきり普通の上下2車線と理解したのだった。
いつも通る牛の尾梅林沿いの川の土手道があいにく工事中で、土手道から左に折れていく小さく細い迂回路を指示してあった。田圃道をうねうねと走っているうちに、左手に大きな道の国道に出たのだったが、それが一方通行だったことに気がつかなかった。大きな道に出ようとして、ストップして、左右を確認した。車が走っていなかった。で、ハンドルを右に切り、逆走に及んだのだった。
両路線の大型小型トラックの運転手ふたりが、異変に気付いてくれていなかったら、玉突き事故を起こして、国道は真っ赤な血の海になっていたかも知れなかった。危ういところを助けられた。お詫びをしたい、お礼を言いたいが、とっさのことで、わたしはうまくお詫びもお礼も言わないままで、もう一方の路線に出た。神様仏様が助けて下さったのだ直感した。
近くの警察署に行って事の次第を報告した。誰かにお詫びがしたかった。誰かにお礼が言いたかった。親切に対応して下さった。報告は入っていなかった。ドライブレコーダーを調べられた。免許返納をアドバイスされた。認知症かどうかの医者の診断書を添えて提出するように求められた。事故というのは幾つもの悪条件が見事に重なって起きる、というようなことも話された。
死んでいれば即この夜はお通夜になっていたところだった。わたしの遺体が仏壇の前に据えられているところだった。危ういところだった。死なないでいること、死なないで我が家に帰ってきたことが、不思議でならなかった。震えた。仏壇の前に座って今日の我が逆走事件の報告をした。しばらく読経をしてこころを落ち着けた。我が非をお詫びして、助けて貰ったことへのお礼を申し上げた。