無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
むじょうじんじんみみょうほう ひゃくせんまんこうなんそうぐう
無上にして甚だ深く微妙(みみょう)なる法は、百千万劫にも遭(あ)い遇(あ)うこと難(かた)し。
仏陀の悟られた法(真如=真理=この世の秩序と調和)はこの上もなく甚だ深く優れているので、われわれが百千万劫の長い時間を掛けたとしても遭い遇うことは難しい。
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そういう法を仏陀が説かれているのである。
そういう微妙法がこの世にはあるのである。
われわれが遭い遇うことが難しい法が、しかし、確かに提示されていて、われわれがこれを悟って、ここに辿り着くのを待っていてくれているのである。首を長くして。諦めることなく。
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わたしはまだ、その法から、百千万劫の長い長い時間の遠くに離れているが、(仏陀の法に)辿り着けないということはないのである。辿り着けない法であるはずはない。辿り着けない法を仏陀がわれわれに提示されることはないからである。
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では、仏陀の法までの、その途方もない時間と空間を一挙に飛び超えることはできないか。
ある。
なければならない。
仏陀がそれを示されているはずである。
仏教は「すべての人を仏陀にする」という教えである。
ないはずがない。
用意されているはずである。
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しかし、今日はここで終わる。此処で終わっていい。
このお爺さんは、「ある」という仏教経典を聞いただけで、もう嬉しくてならないからである。
だから、ここで終わっていい。