願われてばかり。仏陀に願われてばかり。お慈悲さまに願われてばかり。宇宙に願われてばかり。宇宙の智慧に願われてばかり。
願われて願われて、願いが実現して、今日の日がある。
というのに、その願いはベールに包まれていて見えない。隠れている。
透明かもしれない。透明な光だけなのかもしれない。
このおれが此処で息をするのも息を吐くのも、仏陀の願いだったのではないか。願いの実現だったのではないか。
というのに、おれはおれの願いでおれが生きて来られたと勘違いをしたままだ。まだ、そうだ。
仏陀の願いのただ中で生きていたのなら、心配事はなかったはず。心配などしなくてよかったはず。
それがどうだ、おれはこの通り足先から頭のとっぺんさきまで心配だらけじゃないか。この矛盾はどうだ。
おれがおれを心配したらどうにかなるって顔じゃないか。おれは傲岸である。おれは慎みってものを知らない。