12
生死(=生滅)が尽きてしまうときが来ます。
13
生死は、形を持つ物質界が負担をしています。生じることも滅することもない精神界には、生死の現象がありません。
12
生死(=生滅)が尽きてしまうときが来ます。
13
生死は、形を持つ物質界が負担をしています。生じることも滅することもない精神界には、生死の現象がありません。
10
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
しょぎょうむじょう ぜしょうめつほう しょうめつめつい じゃくめついらく
諸行は無常なり。是、生滅の法なり。生滅、滅し已(おわ)って、寂滅を楽と為す。
11
生と滅とを滅し已(おわ)って、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅すれば、是を為楽(いらく=寂静涅槃)とす。
6
生死は、仏智の得ていないわれわれには「迷いの繰り返し」ですが、仏智を授かったら、つまり成仏したら、これは「悟りの繰り返し」と言うことになります。
7
仏智の悟りの目から見れば、生死がいずれの段階にあっても歓喜になって来ます。輝きの連続になって来ます。
8
次へまた次へ進んで行くと、最終的には此処へ辿り着きます。わたしたちは輝くようになって行きます。光になって行きます。智慧の光になって行きます。光が仏陀の智慧の実践をしていくようになります。
9
これはわたしの推論です。こうなって行くに違いないという楽観的な推論です。わたしの受け取りです。
生死は生滅とも呼ばれます。
5
わたしたちはこうして長い間、生死を経巡って流転輪廻を繰り返しています。転じてまた反転して、それをまた転じて、また反転して。苦悩を連続させて。
これを逃れるためには、解脱しかありません。流転輪廻の軌道から離れて行くしかありません。
1
不生不滅。ふしょうふめつ。生まれずんば滅せず。
2
生まれなかったら死なないで済みます。死ぬのは生まれたからです。これは一つの流れになっていますから、流れに乗っているものには死が避けられません。
3
ですが、その逆も働いています。
不滅不生。ふめつふしょう。滅せずんば生ぜず。
4
死ななければ生まれても来ないのです。生死は2進法で循環をしているのです。生死で1セットになっています。
死の次にあるのは生です。新しい生命です。新しい生命として新生します。
わたしは苦しんでいるのであります。恐れ戦(おのの)いているのであります。
これがいつわらざるわたしの老いの姿です。色青ざめて慌てふためいて暮らしています。
それを宥めるのにたいそう難儀をしています。それを宥め賺(すか)すのに朝昼晩を費やしています。
愚かな老人であります。
もう夕方近くになりました。今日も亦ずっとひたすら心を癒す音楽を聴いてきました。
焦点をずらすために、今日は生姜の種芋を買ってきましたが、まだ畑に植え付けていません。明日に延期します。
10
鴨長明の「方丈記」に刺激を受けて、わたしはわたしなりにものを思って見た。
解決が欲しい。なんとか解決が欲しい。我が心の混乱の現状を、打開していく道を発見してみたくなる。そう思っているのだが、道は見つからない。
我が心の懊悩に関わることなく、目に見える鴨川の水と、目には見えない大河の水が、滔々と流れ下って行く。
☆
それにしても方丈記は美文だなあ。酔ってしまう。
9
鴨長明の時代も現代も、無数に押し寄せて来る災害を免れていない。常に、水の流れに浮かんでいる一粒の泡のようにしているだけである。無力である。
自力の解決を得ない。それで恐れる。それでふりまわされる。それで混乱させられる。
ここを超脱して生きたい。そう思う。それが文学の作品になって結実するが、これもまたはかないうたかたのようなものかもしれない。
無常と常とは隣り合わせである。仲良しである。互いを拒絶し合っているようにも思えるが、融け合って行くこともある。
8
そういう儚さを共有している自然界と人間とが、ここで暮らしを立てて暮らしている。
久しく止まることがないが、久しく止まることがないことで、救いを与えられている。辛うじて救いを与えられているのではないか。
流れ流れて行くもとの水は、大宇宙のお命である。これがあれば、現象界の無常の存在は、無常のままに消えて行ける。
7
行き来するその間に、心を悩ましている。その間に、目を喜ばせている。悩み苦しみと喜びの「その間」はすぐに、しかし、過ぎて行く。流れ去って行く。
朝に咲いて夕べに凋む朝顔よりもはかない夜露のようなものである。人の命は朝顔であっても、その人のこころの愛憎、煩悩、苦悩、懊悩は、それよりもはかない夜露のようなものであって、あっという間の出来事でしかない。
すぐに過ぎて行く。目を瞑っていれば一切はすぐに過ぎて行く。次へまた次へ変化をして行く。そう思って恐れをゆるめてみることもできる。