<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今日やったことが,今日やらねばならないことの全部だった

2018年04月22日 21時15分35秒 | Weblog

今日やったことが、今日やらねばならないことの全部だった。こういう割り切り方が、いい。で、一日を終える。すると、いい一日だったということになる。

やれなかったことがあっても、悔いを遺すことはないのである。わたしがやり残したことがあったら,地球が明日へ回らないとなるとそれは一大事だが、そんなことはない。まるっきりない。責任などは問われていないのである。

さ、もう寝よう。いやさすがにまだちょっと早いか。といっても、起きていなければならない理由はない。これは悲しいことかもしれないが、悲しいとしなければいいのである。

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そういう謀反をしていたい その4

2018年04月22日 20時37分05秒 | Weblog

わたしはわたしの精神の王国を設立して王となりたい。現実の束縛を受けたくない。現実よりももっともっと大事な世界がある。わたしの尊重はそこを尊重していたい。これは謀反かもしれないが、そういう謀反をしていたい。精神が王であり得れば,魔法も使わずにすむのではないのか。

自由でいたい。自由になれないところだから、なおさら、自由にしていたい。すくなくとも精神だけは。

そのときにはそうしなければならないという暗黙のルールを、老子のようにさらりと破る謀反人でいたい。

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そう言う謀反をしていたい その3

2018年04月22日 20時35分34秒 | Weblog

ルールはあるようでないのである。苦しいときには苦しくしていなければならないというのはルールのように見えているけれど、そうではないのかもしれないではないか。ふいと其処を離脱して来る。枠外に出てみる。そういうこともあっていいのではないか。精神は王である。王というのはそこにある現実に束縛されないから、王ではないのか。

 

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そういう謀反をしていたい その2

2018年04月22日 20時33分46秒 | Weblog

現実を支配するルールに盲従しなければならないということはない。ないのである。わたしはそれに従わないとすればいいのである。反旗を翻せばいいのである。精神というのは王ではないのか。独裁できるのではないか。楽しくないという現実に溺死せずに、そこに浮いて、楽しいとしてしまえばいいのである。悲しいという現実にとっぷり長々と浸かっていないで、それを絶対視しないで、さっさと切り上げてくればいいのである。

 

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そういう謀反をしていたい その1

2018年04月22日 20時10分09秒 | Weblog

魔法というのは誰にでも使えるのではないか。シャンシャンシャンと。現実を非現実にしてしまえばいいのだから。現実に盲従しなければならないという暗黙の了解事に従っているけれども、これをあたかも牢破りのように、破ったらいいのである。魔法使いになれるのである。

 

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彼には恋人がいない いた方が楽しいに決まっているのに

2018年04月22日 15時57分53秒 | Weblog

ランデブーの相手は風か 恋人のいない男がはずんで歩く       薬王華蔵

たあいないなあ。たあいなくてすんでいる男がいる。彼には恋人がいない。いた方が楽しいに決まっているのに、彼にはいない。しかたがない。風がこの男に情けを掛けてくる。これでしかしなかなか楽しいのだ。デートというのは楽しいのだ。風が春の匂いをプレゼントした。

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恋人のいないわたしの恋人になろうと手を挙げるものがいる

2018年04月22日 15時50分00秒 | Weblog

恋人のいないわたしの恋人になろうと手挙ぐ四月の風が      薬王華蔵

たしかにわたしには恋人がいない。老爺は、「いやあ、すまんなあ」と頭を撫でる。嬉しいときにはいつもこうする。

四月の風に手を引かれて行く。風が「何処へ行きませう」と聞く。わたしは新緑の野山を指さす。

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わたしもそれに倣う 朗らかでいる

2018年04月22日 15時41分58秒 | Weblog

ほがらかな青空の青 ほがらかな野山のみどり 人の如しも      薬王華蔵

青空というほがらかな巨人がいる。野山というほがらかな巨人がいる。片方は目の色が青い。片方は緑だ。わたしに向かい合っている。わたしもまたそれに倣う。三者ほがらかでいる四月。

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それだけで幸福者である

2018年04月22日 15時33分52秒 | Weblog

新緑の若葉の風の中にいる幸福者をわれが演じる      薬王華蔵

四月の春風の中にいることが出来る、それをわが幸福とする。風すらも新緑のいろをしている。その薫りをして爽やかである。

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土いじりで日が暮れるという幸福者を演じる老爺

2018年04月22日 15時23分11秒 | Weblog

炬燵の座椅子に凭れてすやすや昼寝をしていた。ほんとにすやすやだった。いい気持ちにさせられた。でもこうしてちゃいられない。韮を株分けするために、午前中に根株ごと掘り上げて、移植に移る間、水に浸けていた。それを思い出した。どっさりある。これを細型プランターに植え付けねばならなかった。さ、外に出よう。それがすんだら、蔓なし隠元豆と黒豆枝豆の種蒔きをしよう。夏場になるとこれでおいしくビールが飲める。日没は7時。これからたっぷり3時間は働ける。土弄りで日が暮れるという幸福者。新緑の若葉を風がそよそよと渡って行く。此処へ出て行ける。

 

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