<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

李白の詩「峨眉山月歌」を観賞して、我も聊か月詩仙の一影となる

2018年04月02日 22時13分45秒 | Weblog

「峨眉山月歌」   李白

峨眉山月半輪秋  
影入平羌江水流
夜発清溪向三峡
思君不見下渝州

峨眉山月 半輪の秋/影は平羌江(へいきょうこう)の水に入って流る/夜 清渓を発して 三峡に向かう/君を思えども見えず 渝州(ゆしゅう)へ下る/

峨眉山に半輪の月が出て秋となった。月の影(光)は、平羌江の川の水に映って流れて行く。夜になって、舟は清渓を出発して、三峡に向かっているところだ。もう一度、君(=月)を見たいと思っていたのだが、見ることができなかった。これから静かに渝州へ下って行く。

峨眉山・平羌江・清渓・渝州はともに地名。25歳で故郷の蜀を離れた李白だが、望郷の思いは止むときがない。「君を思っている」とあるが、この君はいったい誰だったのだろう。人にすれば、あたたかみがあるが、月にすれば澄みきった境地を思わせる。

 

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白居易の「憶江南」に出遭う いいなあ

2018年04月02日 20時44分10秒 | Weblog

「憶江南」    白居易

江南好/風景旧曾諳/日出江花紅勝火/春来江水緑如藍/能不憶江南

江南は好(よ)ろし/ 風景 旧(もと)より曾(か)って諳んず/ 日出ずれば 江花の紅(あか)きこと 火に勝(まさ)り/春来れば 江水の緑なること 藍の如し/ 能(よ)く江南を憶(おも)わざらんや/

江南の地はいいものだ/この地の風景なんかもう随分前からすっかり目が覚えてしまっている/日が昇って来ると、川土手を埋める赤い花は まるでもう火が燃えているようなもの/こうして春になったので 川の水に映る山々の緑は 染料の藍の色をしているではないか/どうして江南を忘れてしまうことがありえようか/   (さぶろうのいい加減な訳)

漢詩はいいなあ。漢字という大岩がごろんごろんと配置されているだけで、その向こうに美しい風景が目に浮かんでくる。漢詩は漢詩。そのままにほって置いた方がいい。無理に日本語には訳出が出来ない。

 

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ことばの動物園でことばの動物たちの声が挙がる 割と元気がいい声が

2018年04月02日 20時14分35秒 | Weblog

ことばの動物園。動物園の、ことばの動物たちの、声が挙がっている。あちこちで。割と元気よく。ライオンになっていることば。チーターになっていることば。キリンになっていることば。シマウマになっていることば。ウミガメになっていることば。ダチョウになっていることば。などなどなどなどいっぱいいる。檻はない。放し飼いになっている。彼らは敵を作らない。仲良しをして遊んでいる。開園は一日二十四時間で。ことばの動物たちは、たいがいは腹を空かせている。ことばを食べるとどの動物もおとなしくなって寝てしまう。おいしいことばだとか、あまりおいしくないことばだとかもあるらしい。飼育員さんたちはそこに気をつけている。

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鹿の子百合が芽吹いている 土を割って伸びて来ている

2018年04月02日 20時07分31秒 | Weblog

夕方まで庭にいた。草取りをしていた。座椅子に掛けてしずかにゆっくりと。鹿の子百合が芽吹いている。土を割って伸びて来ている。その伸びた芽吹きのあいまあいまの雑草の、草取りをしていた。折角の芽吹きを傷めないように気をつけ気をつけて。

 

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蜘蛛の知らせであの人が来ることが予見できる

2018年04月02日 19時47分01秒 | Weblog

我が夫子(せこ)が来べき宵なりささがねの蜘蛛の行ひ今宵著(しる)しも     衣通姫 日本書紀

「ささがねの」は枕詞で蜘蛛に掛かる。「小笹ケ根」が語源か。枕詞としてとらずとも解釈ができそう。

「夫子」は「背子」とも書く。夫など男性を親しんで言うときの称。

わたしの愛しい人が来てくれそうな気配を感じる暮れ方である。小笹の根元に動いている蜘蛛の動きが、それと知らせて、今夜はどうもいつもとは違ってせわしなくはなやかである。

「虫の知らせ」ではなく、ここでは「蜘蛛の知らせ」になっている。雲は先を見る能力が高いと見ていたのだろうか。

愛しい人を待っている女性もまた蜘蛛の動きのように、門前を行ったり来たりしていたのではないか。相聞歌だから、これを男性の元へ遣いをやって届けたのかも知れない。わたしはあなたが通ってきてくださるのをいまかいまかと待っています、と。切なくやるせない。昔は男性が女性の元に通ってきて。女性を愛しんだ。

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国土はいま春なり

2018年04月02日 15時42分33秒 | Weblog

名はホトケノザ/春の草なり/午睡より目覚めれば/目になんじを見たり/此処は何処ぞ/問へば答ふ/仏国土なり/と/国土はいま春なり/野は緑滴って/紫花は光を吸ふ/

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杜牧の唐詩一首を観賞する

2018年04月02日 14時01分57秒 | Weblog

「江南の春」      杜牧

千里 鶯啼いて 緑は紅に映ゆ

水村 山郭 酒旗の風

南朝 四百八十寺

多少の楼台 煙雨の中

村里を千里も歩いた/鶯がよく啼いた/あざやかな新緑新芽の中に/赤い桃の花が咲いて/緑と紅が互を照らし合っていた/

ここは水の流れる風光明媚なところ/城郭遊郭が並び/そこに酒屋があって旗が風に靡いていた/ 

このあたりには寺が多い/南朝の時代の寺がひしめき合っている/

町を見晴るかす高い楼台が幾つも聳え立って、けぶる春雨に濡れている/

杜牧(803~853)は晩唐の詩人。剛直で気節があった。詩は豪放艶麗で洒脱。杜甫にたいして「小杜」と呼ばれた。(以上、電子辞書より)

唐詩はいいなあ。音読すると途端に気色が晴れる。これは春の歌だ。江南の城郭のたたずまいが目に見えてくるようだ。

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詩「アカメガシワ」

2018年04月02日 11時55分17秒 | Weblog

詩「アカメガシワ」

アカメガシワが真っ赤だぞ/真っ赤な顔をして垣根に列んで/その垣根から/背伸びするようにして/天地万物が健康だというそれだけのことを/行き交う蝶々たちに/言いふらしているぞ/

アカメガシワは柏の木の一種か。

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「春の空」 その2

2018年04月02日 11時43分51秒 | Weblog

わたしの方に向かって/さかんに/語りかけて来る春の空があるので/わたしは語りかけを/忘れてしまわないように/書き留めている/

でも/ほんとうは/書き留めなくてもいいこと/これは/詩になんかしないでいいこと/そもそも春の空が/みずからそこで/詩を書いていてくれるのだから/

わたしに向かって/語りかけて来るものがあるということ/それに耳を傾けて/そこでにっこりしていればいいのだから/もうすぐお昼だ/お腹がグウと鳴った

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詩 「そしてしばらくして」

2018年04月02日 11時39分17秒 | Weblog

詩「そしてしばらくして」

もう行くよ/小さく軽い雲が/八天山に手を振っている/そしてしばらくして/消えてしまった/

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