小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



この夏に鰻の食べ歩きをしようと小田原プレミアム商品券を買ったものの、意外と鰻関係の料理店で使用できないことが分かりがっがりした。しかし、使用可能店舗の一覧表で鰻を食べられる店を探したところ、青物町商店会の鳥かつ楼が載っていた。鳥かつ楼は鰻料理もある割烹料理店。前回の錦月に続きプレミアム商品券を持って鳥かつ楼に出かけた。小田原市浜町、青物町商店会にある割烹料理の鳥かつ楼。最近は元祖おだわら丼に力を入れているようだが、鰻も看板メニューで、通りから鰻の焼き場が見えるようになっている。店内に入ると奥に細長いカウンター席。創業50年以上の割烹料理店ということもあり落ち着いた雰囲気。調理場の片隅には鰻の立て場もあり、活鰻をお店でさばいて提供している。うな重も蒲焼も竹・松・特上の3種類。最近値上げをしたようで金額部分が修正されていた。今回も奮発して特上うな重3700円を注文。しばらくすると先付けの料理が運ばれてきた。出汁のかかった豆腐に鳥スープ。割烹料理店らしい品の良い味わい。鳥かつ楼の鰻料理は時間がかかると聞いていたので、本を読んだり、板さんと話したりして待つ事約40分、豪華な2段重ねの重箱が運ばれてきた。重箱を開けると、1段目が蒲焼で2段目がうな重となっていた。かなりのボリューム。さっそくうな重を食べると、ものすごくふっくらとしている。板さんが丁寧にやってますので時間がかかりますと言っていたのも理解ができる食感で美味い。うな重の箸休めで蒲焼という贅沢。鳥かつ楼の蒲焼の味付けは、甘すぎずしょっぱすぎずのマイルドな味わい。きも吸いの味も良くて値段以上の満足を得られた。この鳥かつ楼では天然うなぎも扱っているそうで、そちらは時価になるそうだが、大体5000円~になるとのこと。機会があったら天然うなぎも是非食したいところである。

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遅い夏休みが今日から始まる。と言っても連続して休みを取得することが出来なったので、今週から9月末まで分散しての夏休みとなるので、しばらくは週休3日が続く予定である。特に旅行に出かける予定もないので、天気が良ければ富士山でトレーニングをしようかと考えている。今日も天気が良ければ早朝から富士山頂を目指す予定だったが、荒天のために断念。昼過ぎに雨はあがったものの、空模様も怪しかったので自転車で近場を散策した。昼過ぎの御幸の浜。午前中に降り続いた雨も止んで青空が見え始めていた。海水浴客も少ない。休業中の海の家から海を眺めた。心なしか海の色も寂しげに感じる。夏もそろそろ終わり。御幸の浜近くの路地にはノウゼンカズラが散っていた。先ほどまで降っていた雨が花散らしの雨だったようである。小田原漁港近くの三太郎鮨で遅い昼食を取り、外に出るとだいぶ天気も良くなっていた。国道135号を石橋方面へ。石橋集落を自転車で散策。陽に焼けた東海道線の橋脚と古い木造住宅の風景がなんとも情感があって素晴らしい。石橋で引き返して海沿いの住宅地や路地を散策しながら酒匂方面へ。日差しがあると蒸し暑い。途中、浜町の北條稲荷へ立ち寄った。外柵の石材には大正時代の寄進者が刻まれている。寄進者名には、現在も営業している店舗もいくつかあって興味深い。北條稲荷から酒匂川左岸側の河口へ。昨年9月の豪雨以来、増水するたびに酒匂川の流れが濁りやすくなった気がする。今日も茶色く濁った流れが相模湾に注いでいた。酒匂川河口から飯泉橋周辺へ。飯泉取水堰付近の水位も通常より上昇していた。飯泉取水堰では今週土曜日にみずきフェスティバルが開催され、施設内の見学が出来る。飯泉橋から国道255号で小田原駅方面へ。広小路交差点先のピッコロでおやつのパンを買った。パンを買い、再び御幸の浜へ。2時間ほどで随分天気が良くなった。秋の青空と夏の雲を合わせたような空模様。突堤の途中に座りピッコロで買ったパンを食べる。ホクホクした栗を練りこんだパンが美味しかった。夏の終わりの海の景色をのんびりと眺めてから、人出もまばらな御幸の浜を後にした。

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毎月24日は地蔵菩薩の縁日であり、7月と8月の24日はお盆と地蔵縁日を合わせて祭りが行われる風習がある。この小田原でも板橋地蔵尊で8月の23日と24日の2日間、大祭が開催され多くの参拝客で賑わった。その板橋地蔵尊の大祭へは昨日出かけたが、本日24日は桑原の石原地蔵尊で念仏供養が行われるようなので様子を見に立ち寄った。小田原市桑原の田んぼの中にぽつんと建つ石原地蔵尊。手持ちの資料によると、毎年8月24日に念仏供養が行われているとの記載。夕方、客先からの帰りに立ち寄ってみた。地蔵堂近くの辻から建物を見るが、人や祭事の気配は感じられない。あいにくの雨のなかを地蔵堂前まで歩く。飾りつけもなく、普段と変わりない地蔵堂でちょっとガッカリ。堂前には榊と新しい献花。入口は施錠されていて堂内には入れない。格子から堂内の様子を伺う。中央の祭壇左側のスペースに畳んだ提灯らしきものがケースに収められているのを前から知っていたので、この24日に飾り付けられるのではと期待していたのだが。祭壇には石彫の地蔵菩薩が2体と二十三夜供養塔が安置されている。二十三夜供養塔は小田原市内に六基ほどしかない珍しい石塔なので、機会があれば石塔裏側に刻まれている文字を見たいと思っている。石仏の上の奉納幕を見ると、平成二十二年八月吉日と記されている。昨年は何か祭事が行われたのかもしれない。天井や壁には多くの寄進者の名前。訪れるといつも堂内の献花が新しいので、定期的に何らかの供養が行われているようだ。地蔵縁日の念仏供養や祭事が見れなくて残念だったが、地蔵堂近くの田んぼには稲穂が育っていた。来月になったら金色の稲穂と地蔵堂の風景を撮りにまた来よう。

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8月23日・24日は板橋地蔵尊大祭が行われる。今日は朝まで降っていた雨も午前中に止み、午後からは夏らしい陽気となった。夕方には風も涼しくなったので、散策がてら板橋地蔵尊大祭が行われている板橋方面に出かけた。午後6時半、板橋見付から露店が立ち並ぶ旧東海道へ。参拝客の賑わいや露店の明かり、祭りの空気を感じながら板橋地蔵尊まで歩いた。昔のことを思い出しながら地蔵尊の入口まで歩いた。優柔不断な性格なので、子供の頃に板橋地蔵尊大祭に連れてきてもらうと、どの露店で何を買うのかなかなか決められず親に叱られた。そのことが影響しているのか、祭りの露店で物を買うのが今もあまり好きではない。境内に入り本堂へ。薄暮の中、祭り提灯の明かりが良い雰囲気。時間帯によっては入場規制をすることもあるが、この時間帯は比較的空いていた。本堂前には花と線香を売るテント。常香炉のまわりには多くの人だかり。堂内には多くの参拝客。独特の掛け声が飛び交い蝋燭が燈される。燭台の淡い蝋燭の光の向こうには、祈りを捧げる参拝客。新仏の供養で3年続けて参拝すると、故人に似た人と出会えると言われている。本当に出会えた人はどれ程いるのだろうか。しばらく堂内の様子を眺めていたら、外はすっかり夜の闇に包まれていた。堂の入口右手にある大黒天の写真を撮ってから、賑わう板橋地蔵尊を後にした。

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明治初期に居留外国人の移動範囲を横浜から測量した測点に置かれた標石が小田原周辺に10ヶ所ほど残っている。最初にこの外国人遊歩規程測量標石を知るきっかけとなった、おだわら諏訪の原公園の第56号標石、そして小八幡神社の第52号標石と2ヶ所を確認することができた。標石のいくつかは山中の分かりづらい場所に置かれているが、第54号標石は市街地のお寺の境内に残存しているとの情報をもとに、小田原市扇町の玉宝寺を訪れた。小田原市扇町の天桂山玉宝寺。本堂内に500体の羅漢像及び十六羅漢が祀られており、五百羅漢とも呼ばれている。第54号標石を探して境内を検索する。神社と違い墓所や石塔石仏の類が多いのでなかなか見つからなかったが、本堂裏の墓所の外れで標石を発見。標石を見ると中央に四角い穴が開けられていた。何かの基礎に使われていたようだ。穴が開けられていたものの、「測点」「第五十四号」「地理寮」の文字が確認できた。この第54号標石はもともとこの玉宝寺境内に設置されたものではなく、他所から移設されたものと思われる。標石だけ見て帰るのも、もったいないので本堂内の五百羅漢を見学させてもらった。本堂内に入ると祭壇の横に多くの木像が立ち並んでいてなかなか偉観である。この玉宝寺の五百羅漢の縁起は、享保年間に玉宝寺近くに住んでいた智鉄という村民が、笹子地蔵のお告げで立願し、7年間で170体を造立するも病没。智鉄の弟である真澄が兄の意志を継ぎ28年の歳月を費やして宝暦7年(1757年)に完成させたもの。小田原市の文化財にも指定されている。250年も前に造られた羅漢像は彩色も鮮やかに残っていて、一体一体表情も違っており細部まで手が込んでいる。静寂に包まれた堂内で羅漢像を見ていると引き込まれるような気がする。
玉宝寺の標石は保存状態はよく無かったが、五百羅漢像は見事なものだったので訪れて良かった。

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