小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



5月31日、小田原は晴天の一日。梅雨の晴れ間となった日中は気温が25度を超え夏日となった。午前中に湯河原方面に出かけたので途中、真鶴岬に立ち寄った。朝一で湯河原駅近くで所用を済ませ、駅前の商店街にあるフォーシーズンベーカリーで朝食を購入。フォーシーズンベーカリーは前から訪れたかったパン屋で今回初訪問。かつサンドが人気商品とのこと。湯河原町内で未訪のパン屋はこれで残り2店となった。湯河原からの帰り、次の客先まで少し時間に余裕があったので真鶴岬へ立ち寄る。蒸し暑いが晴れているとやはり気持ちよい。三ツ石海岸へと続く階段脇の木々の緑と海の青さがなんとも綺麗。もうすっかりと夏の景色だ。今日は時間がそれほど無いので三ツ石海岸へ降りるのは断念。岬の広場にはいつもの三毛猫。暑いからか木陰でダレていた。真鶴岬のベンチに座り朝食タイム。フォーシーズンベーカリーでレーズンパンとかつサンドを購入。2つで700円。 550円のかつサンドはかなりの厚みのとんかつがサンドされていてボリューム満点。とんかつは赤身の部分なのでそれほどくどくなく最後まで美味しく食べられる。かつサンドだけで満腹になった。食べ応えのあるかつサンドを食べながら陽光に照らされた海と木々の風景を眺める。ちょっとした時間だったがかなりリフレッシュできた。明日も今日の晴天が続くと良いのだが。

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5月30日、昨日梅雨入りした小田原は朝から断続的に雨が降るぐずついた空模様。外回りに出るのも億劫だが、午後に少し時間が出来たので板橋の松永記念館へと立ち寄った。午後3時過ぎ、南町での用事を済ませ帰り際に国道沿いのKawachiyaでおやつを購入。河内屋製菓舗は数年前にリニューアルしてケーキも販売するようになり店構えも洋風に改装された。南町から板橋の松永記念館へ。午後も断続的に雨が降っていたが、松永記念館に到着する頃には一時的にやんだので板橋界隈を少しばかり散策。香林寺の参道や小田原用水沿いを散策後に松永記念館の庭園へ。晴れていることに越したことはないが雨に濡れた静かな庭園もなかなか趣がある。庭園の池では睡蓮がポツポツと花を咲かせ始めていた。昨年は見頃を逃したので今年はちょくちょく立ち寄りたい。松永記念館の庭園でおやつタイム。Kawachiyaでロールケーキと柏もちのこしあんと粒あんを購入。3つで480円。 200円のロールケーキはふわふわした生地に程よい甘さの生クリームがサンドされていて美味かった。お菓子を食べ終える頃に再びポツポツと雨が落ちてきた。池のまわりでは菖蒲が咲き始めていて、雨に濡れた花はなかなか風情がある。ほんの僅かな時間だったが梅雨らしい風景を眺めながらの休憩で良い気分転換になった。

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5月29日、気象庁より関東甲信地方が梅雨入りしたとみられるとの発表があった。平年より10日早く、昨年より11日早い梅雨入りとなり今日からしばらくの間はぐずついた空模様の日が多くなりそうだ。関東地方の梅雨入りが発表された午前中、少し時間が出来たので小田原城址公園へと立ち寄った。どんよりとした空模様で南堀からはカエルの鳴き声が聞こえる。お茶壺橋から郷土文化館へと続く園路沿いの紫陽花も咲き始めていた。今年は紫陽花の開花も早いようだ。お茶壺橋から常盤木橋南側の花菖蒲園へ。早咲きの菖蒲の株がちらほらと咲き始めていた。常盤木橋の下をくぐり東堀の花菖蒲園へ。斜面の紫陽花は青系統のものがだいぶ開花している。こちら側の花菖蒲は開花しているものが少ない。小田原城あじさい花菖蒲まつりは6月1日から20日までとのこと。今年は梅雨入りが早かった分、梅雨明けも早いと良いのだが。

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松田町庶子の道路脇に殉職した消防団員の慰霊碑を見つけたのは今から数年前。慰霊碑には4名の消防団員の名が刻まれていた。4名が殉職するような大火がかつて松田町であったのかと色々と調べてみたが、該当するような火災の記録は見つからず殉職の経緯が気になっていた。先日、図書館で調べ物をしている際に、偶然にその4名の消防団員が殉職した経緯を記載した資料を見つけた。松田町庶子の御殿場線第一庶子踏切の近くにその慰霊碑は所在している。第一庶子踏切を渡り突き当りの道路との交差点近くの道路脇に殉職した4名の消防団員の慰霊碑が建てられている。慰霊碑は1mほどの台座の上に建てられており、上部には「殉職者之碑」と刻まれており、その下には殉職した4名の消防団員の名前と殉職にまつわる経緯が刻まれている。この慰霊碑には一応殉職の経緯が刻まれているが、その内容からはどのような火災現場だったのかや、何故4名もの殉職者が出たのかは伺い知ることが出来ない。碑文には「昭和36年1月24日-出初式-午前8時40分消火のため出動して殉職直ちに各一階級特進勲八等に叙し瑞宝章を授与せられ厚く町葬を営まる 爰に碑を建て永く亡き僚友を偲び更に爾今団員活動の指標となす」と刻まれている。昭和36年の1月24日に松田町で大火があった記録が見つからず、どのような現場で4名も一度に殉職したのか不思議に思っていた。ところが先日、図書館で神奈川県が昭和45年に発行した殉職消防職員消防団員顕彰記録という資料を見つけ、何気なくページをめくっていると、松田町の4名の消防団員が殉職した経緯が記載されていた。資料によると、昭和36年1月24日午前8時30分頃、貨物自動車の火災を発見した第2団員が消防車で現場に急行中、火災現場付近にさしかかった際に退避中の他の貨物自動車の右後部に接触しスリップし消防車は横転。道路に投げ出された4名が殉職したと記載されている。殉職した消防団員は22歳から39歳と働き盛りの年齢。町葬後に松田町内の二つの寺院に葬られたとのこと。殉職した現場の記載は無かったが、慰霊碑が建っている近くだったのかもしれない。

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年に数回、小田原市民会館で会合があって5階か6階の会議室が会場になる。会合自体は退屈なことが多く大抵座って話を聞いているだけだが、そんな会合の時の唯一の楽しみが市民会館上階からの風景を撮影すること。先日、会合のため小田原市民会館へ。年に数回、会合が市民会館の上階にある会議室で行われるので、いつもかなり早めに出かけては会合の前に俯瞰の風景を定点撮影している。小田原市民会館は6階建てで、5階か6階の会議室が会場になることが多い。6階の会議室は窓だけだが5階はベランダになっていて撮影しやすい。残念ながらこの日の会場は6階の会議室だった。とりあえず東側の窓からの風景。東側の窓からは国道1号沿いと歩道橋の俯瞰が撮影できる。数年前から定点撮影しているのだが、この界隈はあまり変化が無い。同じく東側の窓から本町2丁目~栄町1丁目方面を撮影。本町のマンション建設現場が俯瞰できるかと期待していたが、ちょうど手前のマンションの影になってしまい写らない。完成してもやはり手前のマンションの影になりそうでこの場所からは大きな風景の変化は無さそうだ。市民会館の会議室は普段関係者でないと立ち入ることは出来ないが、5階と6階の南側は待合室や休憩スペースになっているので窓から南側の風景を撮影することが出来る。南側の窓から本町方面を撮影。国道1号沿いの街並みと海が見える。この界隈も2年ほど前にさがみ信用金庫の立体駐車場が解体されて以降はあまり大きな変化は無い。今後、三の丸憩いの広場周辺で芸術文化創造センターの建設が予定されているので、どこかで定点撮影出来ないかと考えていたが、市民会館6階の窓からは手前の裁判所が邪魔で写すことが出来そうにない。俯瞰の風景を5年、10年のスパンで定点撮影をして比較したら面白そうだが、果たして10年後に市民会館が存続しているのかは微妙なところ。とりあえずこれからも会合の時など機会を見つけては、上階からの俯瞰の風景を撮影できたらと考えている。

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