小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



明治初期に居留外国人の移動範囲を横浜から測量した測点に置かれた標石が小田原周辺に10ヶ所ほど残っている。最初にこの外国人遊歩規程測量標石を知るきっかけとなった、おだわら諏訪の原公園の第56号標石、そして小八幡神社の第52号標石と2ヶ所を確認することができた。標石のいくつかは山中の分かりづらい場所に置かれているが、第54号標石は市街地のお寺の境内に残存しているとの情報をもとに、小田原市扇町の玉宝寺を訪れた。小田原市扇町の天桂山玉宝寺。本堂内に500体の羅漢像及び十六羅漢が祀られており、五百羅漢とも呼ばれている。第54号標石を探して境内を検索する。神社と違い墓所や石塔石仏の類が多いのでなかなか見つからなかったが、本堂裏の墓所の外れで標石を発見。標石を見ると中央に四角い穴が開けられていた。何かの基礎に使われていたようだ。穴が開けられていたものの、「測点」「第五十四号」「地理寮」の文字が確認できた。この第54号標石はもともとこの玉宝寺境内に設置されたものではなく、他所から移設されたものと思われる。標石だけ見て帰るのも、もったいないので本堂内の五百羅漢を見学させてもらった。本堂内に入ると祭壇の横に多くの木像が立ち並んでいてなかなか偉観である。この玉宝寺の五百羅漢の縁起は、享保年間に玉宝寺近くに住んでいた智鉄という村民が、笹子地蔵のお告げで立願し、7年間で170体を造立するも病没。智鉄の弟である真澄が兄の意志を継ぎ28年の歳月を費やして宝暦7年(1757年)に完成させたもの。小田原市の文化財にも指定されている。250年も前に造られた羅漢像は彩色も鮮やかに残っていて、一体一体表情も違っており細部まで手が込んでいる。静寂に包まれた堂内で羅漢像を見ていると引き込まれるような気がする。
玉宝寺の標石は保存状態はよく無かったが、五百羅漢像は見事なものだったので訪れて良かった。

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