小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



大掃除や引越しの際に戸棚や押し入れの奥から、かつて小田原駅周辺で営業していた店の包装紙が何枚か出てきたので手元に残している。今回は大工町通り周辺にあった和洋菓子店2店の包装紙を紹介。最初に紹介するのは以前、大工町通り沿いに店があった洋菓子ロビン。紫色のラインにロゴが配置されているシンプルなデザイン。何の目的で親がこの包装紙を仕舞っていたのか、今となっては不明だが目にすると懐かしい。包装紙の大きさは縦横50センチ程なので、バースデーケーキを購入した際のものと思われる。普段のおやつやバースデーケーキは、親が洋菓子ロビンで購入していたので子供の頃から馴染んでいた味。洋菓子ロビンは大工町通り沿いの店舗を閉鎖後、工場直売となり残念ながら2011年3月で閉店した。続いて紹介するのは、以前、銀座通り交差点角にあった梅花堂の包装紙。我が家では和菓子は報徳タクシー本社近くにあった「たまき」で購入していたので、おそらくこの包装紙は贈答で頂いた際のものと思われる。梅花堂で印象に残っているのは、店頭のケースに詰め込まれていたシュークリーム。あまり和菓子の記憶は残っていないが、包装紙には「名物 城もなか」「銘菓 甘露梅」「小田原銘菓 北條」の商品名がプリントされている。
今回紹介した包装紙以外にも、まだ何枚か昭和時代の包装紙のストックがあるので機会があれば紹介したい。

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移転や閉店をしてしまった店や企業の屋外看板や野立て看板を見かけると、営業をしていた頃の店の様子や買い物に出かけた時の記憶が蘇ってくる。小田急線沿いの田んぼの中に、かつて小田原で営業していたお茶屋さんの看板が残っているので先日現地に出かけた。小田急開成駅と栢山駅間の田んぼの中に、かつてダイヤ街で営業していたお茶屋さんの茶加藤の看板が残っているので近くで撮影しようと現地へ。場所は開成町との堺に近い曽比地内。看板が立っているのは開成駅から栢山駅側に約500mほどの地点で線路からは酒匂川側。周辺は田んぼや資材置き場で結構長閑な場所。看板はかなり色あせているが、見慣れた茶加藤のロゴはまだはっきりと識別できる。表記内容によると茶加藤が12店舗を展開していた頃に設置された看板。残念ながら小田原店は2014年暮れに閉店し、茶加藤自体は今年の春に破産してしまった。私自身は茶加藤で買い物をした記憶はあまり無いが、親が茶加藤でお茶を買っていたの今でも茶加藤のロゴを見ると懐かしさを感じる。

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小田原駅周辺の商店街に活気のあった昭和時代には、各商店街で販促を目的としたサービス券の発行や福引などが行われていた。小田原銀座商店街では独自のリング・スタンプを発行していて、スタンプの数によって景品や商品割引券と交換するサービスを行っていた。数年前の大掃除の際、昭和時代に小田原銀座商店街が発行したリング・スタンプ4冊を発見。私自身はあまり馴染みのあるものでは無かったが、親が集めていたので子供の頃には良く目にした。リング・スタンプの台紙の構成は中巻4つ折り8ページ。中面4ページにリングスタンプを貼り付けるようになっていて、1ページに25枚で4ページ計100枚のリングスタンプを貼ると商品引換券か景品との交換が行える。リング・スタンプは切手状で買い物金額に応じて貰える仕組み。昭和48年までは100円毎に1枚だったが、昭和49年からは200円毎に1枚に変更。リング・スタンプの色もピンクから黄色へと変更された。発見した4枚の台紙のうち、一番古い台紙が昭和48年度版のもの。表紙はなんとも時代を感じる写真とデザイン。台紙の冊数によって交換出来る景品がグレードアップするようになっていて、景品数は100種類近く記載されたいる。1冊だと小皿5枚や資生堂ホネケーキなど6種類。5冊だとウイスキーやマガジンラック。10冊だと毛布や小型手提バッグなど。面白い景品は生花用剣山・ウクレレ・顕微鏡・スエーデンバッグあたり。昭和48年版のリング・スタンプで豪華な景品は295冊で交換出来る冷蔵庫2ドアと630冊で交換出来るカラーテレビ17型。リング・スタンプとカラーテレビ17型を交換してもらうためには当時、630万円分の買い物が必要だった計算になる。リング・スタンプの台紙で最も興味を引くのが加盟店を記載した地図。ニチイが開店した頃だが、まだオービックビルの建設前で交差点角には茶又玩具店の記載があって懐かしい。小田原銀座リング・スタンプの加盟店で当時から変わらぬ店構えで現在も営業している店舗は数店ほどで三橋仏具店は私が子供の頃から変わらぬ佇まい。小田原駅周辺の商店街の活気や、独自のサービスの記憶は時代の流れの中で段々と遠ざかっていく。

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昭和から平成へと時代の移り変わりのなかで、小田原駅周辺の店舗もずいぶんと入れ替わりがあった。昭和時代にあった店舗や企業を知ることの出来る貴重な資料が数年ごとに発行されていた小田原商工年鑑で、先日1976年版の年鑑の中に懐かしいお店の広告ページを見つけた。小田原商工年鑑は小田原周辺の商工業者が業種ごとに店名や所在地が記載されている。以前、このブログでも紹介した銭湯の移り変わりもこの商工年鑑を参考にした。先日、今から41年前の1976年発行の小田原商工年鑑をめくっていると今はなき懐かしい店舗の広告ページを目にした。商工年鑑は基本的に大部分のページが電話帳のような記載だが、巻頭巻尾に広告ページが設けられている。その中の一ページは小田原駅周辺の飲食店が4店掲載されていた。真砂とレストランあさひと数年前まであった中華菜館いろはは覚えているが、うな八はほとんど記憶にない。別のページには大東証券小田原支店の写真入の広告が掲載されていた。大東証券の名は現在では耳にすることが無く、調べてみると最終的にはみずほ系列の証券会社に吸収合併されたようだ。 1976年当時、大東証券小田原支店だった建物は現在、第三区公民館として利用されている。なんとなく以前は金融系の店舗だった記憶があったので、はっきりと店名が分かってすっきりとした。小田原商工年鑑1976の広告ページのなかで一番興味をひいたのが、今現在もテナントビルとして駅前通り沿いにあるマツガヤビルの広告。当時のテナントはB1が清盛、1階が不二家、2階が香港飯店、3階がきたはま、4階が小田原クッキングスクール、5階がスカイコンパ、RFが季節限定のスカイビアガーデン。現在のマツガヤビルのテナントはB1が湊や、1階が小田原バル、2階が山内農場、4階がアイフルで5階がアコム。マツガヤビルは不確定情報だが完成したのは1969年なのであと数年で50周年を迎える。昭和から平成への時代の移り変わりのなかで、様々な人々が交差し営んできた場がその佇まいから伝わってくる。駅周辺も近年、店舗の建て替えが進んでいるが、昭和の頃の駅前の雰囲気を伝えるビルとしてこれからも長く残ってほしい。

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今ではほとんど見かけなくなった昭和時代の空き缶を、街中で見かける事はほとんど無いが、河原や山道ではたまに見かける。先日、ランニングの途中に古い清涼飲料水の缶が転がっているのを見つけた。明神ヶ岳の中腹に伸びる足柄林道は明神ヶ岳でトレーニングをする際によく通る林道。林道の入口にゲートがあって一般の車は通行できないため車や人の往来はほとんど無い。その足柄林道の路肩部分にひしゃげた古い空き缶が転がっていた。近寄ってみると、古いスプライトのアルミ缶。久しぶりに見かけたがずいぶんと懐かしいデザインで子供の頃を思い出した。製造年月を調べようと缶の底の汚れを拭う。うっすらと印字が残っていて製造年月は86年11月。今から30年以上前の空き缶だ。昭和時代の自動販売機は250mlの清涼飲料水が多くて、コーラの自動販売機でファンタとともに、この緑色のスプライトをよく見かけた。スプライトのような味の清涼飲料水はミリンダと三ツ矢サイダーが好みだったのでスプライトを飲んだ記憶はあまりないが古びた缶を見るとやはり懐かしい。

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