小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



ここ数日は真夏日が続き梅雨もひと休みな空模様となっている。暑さにはうんざりするが晴天の下、緑が多い場所を散策するのは良い気分転換になので、昼休みや仕事の合間を利用して小田原フラワーガーデンに出かけている。その小田原フラワーガーデンの遊歩道沿いで今週キノコを見つけた。小田原フラワーガーデンのカエデが植えられている一角。遊歩道は木陰になっていて涼しい。その遊歩道沿いの斜面に黄緑色の円盤状の物があるのに気が付いた。近づいて見てみると落ち葉の下からキノコが生えていた。直径は8センチほど。黄緑色で見たことのないキノコだ。この状態がどのような生育段階か分からなかったのでしばらく観察に訪れることにした。観察2日目のキノコ。傘の部分はすべすべで、傘の下には管孔がびっしりと並んでいる。何のキノコか調べてみたが、今ひとつ釈然としない。おそらくイグチ科のキノコの仲間と思われる。観察3日目のキノコ。全体的に黄緑色だったのが茶色ぽく変色していた。良く見ると管孔部分にはカビが生えてきており腐り始めていた。キノコを定点観察したのは初めてだったが、ローアングルで写真を撮ったり傘や管孔の形を眺めたりとなかなか楽しかった。名前が分からないのが残念だが、今後は季節の花だけでなく、足元のキノコも観賞してみようと思う。

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城下町に住んでいながら、江戸時代当時のままの文化財に触れる機会は少ない。市内の神社仏閣は関東大震災後に再建されたところが多く、書画や古文書は資料館などに行かなければ見ることが出来ない。しかし江戸時代の文化や信仰の形を身近に見ることが出来るのが石塔である。市内には江戸時代の石塔が多く点在しているので散策の途中に見つけては写真に撮っている。久野の坊所公民館の近くには江戸時代前期の石塔が2基残っている。小田原市久野、いこいの森や久野霊園方面に向かう道沿いの坊所公民館の近くに比丘尼さんと呼ばれている石塔がある。車からだと分からないが、坊所公民館の横の道路下には沢が流れており、その沢の暗渠のコンクリートの上に石塔が建っている。道路下のまったく気付かれないようなところに建っているのが比丘尼さんと呼ばれている石塔である。もともと坊所公民館前の道はもっと低い場所にあったが、改修工事により高い場所に道路を改修したため比丘尼さんは道路下の場所に残された形となったようだ。伝承では、比丘尼がこの地で怪我をして亡くなった際に、供養してくれれば怪我が無いように守るとの遺言があり、それで比丘尼さんと呼ばれるようになったらしい。しかし、碑文を見ると三所詣と日待ち月待ち供養を記念した石塔で、比丘尼の供養塔ではないと思われる。造塔は正保4年(1647年)。小田原では数少ない日待ち月待ち信仰の石塔である。比丘尼さんから80mほど坂道を上ったところには虫塚さんと呼ばれる石塔がある。トタンの祠の中には自然石を利用した石塔が奉られている。虫塚さんは江戸時代には子供の病や夜泣きを治める仏として信仰されていたようで、このほかにも町田村から虫送りの行列がお参りに訪れていたとのこと。石塔の碑文によると願主は当地在住の柚川氏で観音巡礼をした記念に建てた石塔で、虫塚との関連は無いようである。造塔は慶安2年(1649年)。比丘尼さんと虫塚さんは360年ほど前の同じ頃に建てられた石塔で、当時この地に暮らしていた人々が、各地の霊場を巡礼したり、特定の日に集まり信仰を持っていたことを伺わせる。今も自然が多く残る坊所地区だが、当時はどのような風景だったのだろうとしばし想像を駆け巡らした。

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先日、小田原市西大友の盛泰寺で力石を見つけて以来、市内にある他の力石も見てみたくなった。手持ちの資料を読み返したところ小田急富水駅近くの神社に力石が二つあるとの記載を見つけ、その神社に出かけた。 小田原市堀之内、県道720号から1本西側の道沿いに若宮八幡神社がある。由緒として若宮八幡神社は保延2年(1136年)に飯田岡の地に祀られたが、文和年間(1350年代)の洪水で流失してしまい、現在の地に移転した。現在の社殿は昭和5年に建てられたとのこと。祭神は応神天皇。 神社仏閣を訪れたときには向拝まわりの彫刻を眺めるのが楽しみとなっている。若宮八幡神社の蛙股には竜の彫り物。 向拝柱の木鼻には獅子の彫り物。以前、宮大工の方に聞いたところ現在、市内にこのような彫刻ができる工房は2ヶ所ほどあるそうだ。 境内にはいくつかの石塔も建っている。社殿の東側には享保15年(1730年)の陀羅尼経塔。 西側には元禄7年(1694年)の庚申塔と水神碑が祀られていた。 300年ほど前の庚申塔には、青面金剛像と三猿が浮き彫りされている。青面金剛像の顔は残念ながら欠けてしまっているが、六臂の持ち物は細かく浮き彫りされていて、なかなか見事な石塔である。 その庚申塔の近くの草に隠れるように力石が置いてあった。事前に調べた資料では2つとの記載だったが3つの石が置かれていた。重さは20貫から27貫まで。1貫は3.75キロなので一番重い力石は101キロほど。若宮八幡神社にはこのほか、曽我五郎ゆかりの起請石があるとのことだったが、案内板が無かったのでどの石かは分からなかった。神社へ続く道沿いには古い木塀もあり、境内には大きな樹木も残っており静かで良い雰囲気の神社だった。

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6月24日、小田原市飯泉の穴部国府津線沿いにPCデポ小田原東インター店がオープンした。オープン前には大型のチラシも折り込まれ、この週末は入店待ちの車が石神交差点の先まで伸びていてかなり賑わっていたようだ。個人的には店内や商品より、周辺の風景や工事の移り変わりが気になっていたので、穴部国府津線の工事と平行してPCデポ周辺の写真も撮っていた。昨年暮れの建設予定地周辺。看板が設置されPCデポが出店することを知った。この頃は建設予定地の前の穴部国府津線が暫定1車線の供用で、中央分離帯も作られていなかった。4月中旬頃の建設風景。躯体部分の鉄骨の組立てが行われていた。この頃には前の穴部国府津線に中央分離帯が作られていた。6月26日の10時半頃。開店から15分ほどしか経っていないが駐車場が満車で石神交差点の先まで入店待ちの車の列が続いていた。以前の写真と見比べて気付いたが、歩道に電柱が設置されている。せっかく来たので店内でも覗いてから帰ろうかと思ったが、かなり混雑しているようで、結局店には入らなかった。店舗の上にはアドバルーンもあがり、大きなダンボールを抱えた客が次から次へと出てくる。景気が低迷するなか久しぶりに地元で消費の賑わいのある光景を見た気がする。開通した穴部国府津線周辺では今回オープンしたPCデポの他、朝ドレの横や水道局の前でも店舗の建築が進んでいるので、そちらの完成も楽しみである。

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週末の朝は城址公園に散策に出かけることが多い。春には梅や桜、この時季は紫陽花や菖蒲、夏には蓮と季節の花を眺めるのも散策の楽しみとなっている。二の丸広場に1本だけ植わっている泰山木もこの梅雨の季節に花を咲かせる。学橋を渡り二の丸広場へ。長らく城内小学校だった場所も10数年前に校舎が取り壊され二の丸広場となった。城内小学校の名残の校門の塀は当時のまま残されている。その二の丸広場の真ん中に樹木が6本ほど植わっている。もともと城内小学校の校舎に沿って植えられていた樹木で校舎が取り壊された後も残された。その樹木の中に泰山木がある。二の丸広場の泰山木は毎年5月下旬より白い花が咲く。木の下からも分かるほど花の香りが強い。葉は光沢があり造花のよう。この泰山木はアメリカ原産の常緑樹で、日本には明治期に導入され公園樹などに利用されてきた。強い香りのする泰山木の花だが、地面に落ちた花弁はほとんど匂いがしない。頭上の高い枝先に花を咲かせるので、直接匂いを嗅げないので残念なところ。この泰山木がいつ頃植栽されたのか定かではないが、昭和4年に城内小学校がこの場所に移転した際の落成記念に何本かの樹木が植えられたとのこと。昭和20年代の学校行事を写した写真には泰山木らしき樹木も確認できるので、恐らく戦前に植えられたようだ。

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