小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



この小田原でもかつて航空機の墜落事故が何度か発生している。太平洋戦争末期には空中戦の末に陸軍の上原重雄中佐が搭乗した疾風が沼代の山中に墜落。戦後の1960年台には国府津や石垣山に3機の在日米軍の軍用機が墜落している。また、小田原市小台の住宅地の一角には、昭和初期に墜落した航空兵の殉職を記念した石碑が残っている。小田原市小台の県道717号沿いは近年、スーパーや小売店が進出し開発が続いている。この小台周辺の水田に昭和7年、1機の戦闘機が墜落した。県道717号沿いのアベイルの反対側の細い路地を進む。細い路地を進むと、もう一本細い路地と合流する。その合流地点の植込みの中に石碑が立っている。石碑には殉職記念碑と刻まれている。昭和7年7月23日午後1時55分ごろに東京都立川市にあった陸軍飛行第5連隊の岩橋之夫軍曹が搭乗していた操縦機が小台の水田に墜落しこの地で殉職した。当時、小田原上空は飛行隊の練習場になっておりで演習中の事故だったようである。この殉職記念碑は岩橋軍曹の一周忌に建立されたもの。岩橋之夫軍曹は和歌山県有田郡保田村の出身で、殉職時の年齢は分からないものの、階級からすると20歳前後ではないかと思われる。記念碑に刻まれた内容によると墜落時に、演習に参加していた曹長が落下傘で降下し、軍曹の遺体を近くの蓮乗寺に移し供養が行われた。また遺品のプロペラは昭和53年に自衛隊の資料館に返還され展示されているとのこと。岩橋軍曹が殉職してから79回目の夏、戦争のない平和な生活を送れていることに感謝し、記念碑に手を合わせてから帰路についた。

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