小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



8月15日、今年も終戦の日を迎えた。太平洋戦争の終結から66年が経過し、戦争を体験した世代も年々少なくなっていく。この小田原でも、終戦間際に空襲があり約50名近くが犠牲となった。敗戦からの復興の過程で、戦争の傷跡を残す場所や品々も次第に失われ現在では、戦争の記憶を伝えるような場所はそれほど市内には残っていない。小田原の戦争記録の本に、今は閑静な住宅街となっている南町の道路脇に、太平洋戦争当時の軍用トンネル跡が残っているとの記載を見つけ出かけた。小田原城址と南町の間にある天神山に太平洋戦争当時、軍用トンネルが掘られた。軍用トンネルは現在の旧城内高校のテニスコート付近から早川口まで続いていたとのこと。太平洋戦争の終盤になると、本土決戦に備えて小田原にも陸軍の部隊が配備され、その陸軍の手により掘られたようだ。具体的な使用記録は残っていないようだが、人が通れるくらいのトンネルだったようである。軍用トンネルの城内側の入口は現在の旧城内高校のテニスコート付近にあったらしい。軍用トンネルは終戦とともに入口が閉鎖されたのと、昭和37年に城内高校がこの場所に移転した際の造成工事などでその痕跡を見つけることが出来ない。早川口側の入口跡を見るために城山トンネルを抜けて板橋方面へ。トンネルを抜け、消防署の手前の細い道路を南町側へ曲がる。細い道路を曲がるとすぐに左手に2mほどの石垣が道沿いに続く。その石垣の中ほどに軍用トンネルの入口があったとのこと。石垣の中ほど、石積みが少し突き出ている場所が軍用トンネルの跡である。記録によるとほとんど使用されることなく終戦となったようだ。普段は誰も気に留めない道路脇の石積みにも戦争の記憶が残っている。

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