小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



高度成長時代の昭和30年から40年にかけて日本各地で様々なインフラが整備が行われ、酒匂川の護岸工事もこの時代に盛んに行われた。昭和40年代に入ると河床の安定工事も行われるようになり、現在でもその当時に設置された河床ブロックが残っている。報徳橋の下流部分には昭和42年から44年にかけて行われた河床安定工事の際に設置された河床ブロックとコンクリート堰がある。先日、その河床ブロックとコンクリート堰を見るため酒匂川サイクリングコースから報徳橋へと向かった。報徳橋の下流約70mほどの地点には昭和44年にコンクリート堰と河床ブロックが設置された。設置した目的は、大雨による増水で河床が低下して、上流部分にある報徳橋の基礎が露出するのを防ぐためで、コンクリート堰と河床ブロックの部分に土砂がたまるようになっている。この工事が行われるきっかけになったかどうかは定かではないが、報徳橋は昭和30年代半ばに大雨による増水で橋脚が傾き橋梁が流出している。河原へと降りてコンクリート堰部分へ。かつては高さ1mほどあったコンクリート堰は現在、土砂に埋もれて上部が僅かに見えるのみ。右岸側はかなり土砂が堆積していて設置されている河床ブロックも多くが埋もれてしまっている。右岸の河原へ降りて50mほど雑草を掻き分けて、ようやく酒匂川の畔へ。左の上流部分にコンクリート堰があって右の下流部分に河床ブロックが設置されている。かつては落差が1m近くあったというコンクリート堰部分は現在ではほんの僅かな落差しかない。河床ブロック伝いに左岸へ渡れそうなので、流れの上に出ているブロック上部を足場にジャンプしながら渡る。当時この河床ブロックを長さ240m、幅10mに設置し、使われたコンクリートブロックは約4100個にものぼったという。使われた河床ブロックはコンクリート3連ブロックというもので一つが約3トンの重さ。川の中間地点から報徳橋方面を撮影。かつてはこの周辺はコンクリート堰と川床ブロックのため段々になっていたが現在は土砂が堆積していて落差はほとんど無い。この河床ブロックとコンクリート堰は報徳橋の橋脚の防護を目的としているが、設置後40年以上が経過して河床の様子もだいぶ変わってしまったようで現在はあまり機能していないようだ。報徳橋の橋脚を見ると増水時の防護のためか河床ブロックが周囲を取り囲んでいる。河床ブロック伝いに左岸側へ。3連ブロックの上に所々、十字の形をしたコンクリートブロックが挟まっている。この周辺の河床に設置されているブロックとは明らかに形状が違うので、増水時に上流から流されてきたもののようだ。左岸側のコンクリート堰は右岸側と比べ露出している部分が多く、ちゃんとコンクリート堰に見える。やはり設置から40年以上が経過しているため所々に鉄筋がむき出しになり老朽化が目立つ。左岸側の土手の上からコンクリート堰と河床ブロックを撮影。左岸側からのほうが分かりやすい。この河床安定工事は総工費約1億7千万円をかけて行われ、3連ブロックを敷く工法としては県下初の河川工事だった。今でも酒匂川の流域の多くで見られるコンクリート3連ブロックは、この報徳橋の下流の河床安定工事後に各所に導入され、現在でも残っている。子供の頃はよく河床ブロックの上をジャンプして酒匂川を渡ったので、そのルーツを知ることが出来てなかなか面白い探索となった。

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散策に出かけてたまに立ち寄ると、以前との変化に唖然とする場所が個人的にいくつかある。そのなかの一つが酒匂川下流の河川敷周辺の護岸や護床ブロックのある場所で、小学生の頃は遊び場として、また学生時代は釣りのポイントとしてよく訪れていた場所である。訳あって、10年ほど前に釣りを止めてしまったので、河川敷の護岸から河原へ下りる機会もめっきりと減ってしまったが、周辺は2007年と昨年の台風により、大きく景観や川の流れが変化してしまった。今年の夏の初めに酒匂川の河川敷に散策に出かけた際に、かつてよく訪れていた護床ブロックのある場所へ立ち寄った。小田原市寿町の終末処理場の北側から酒匂川の河川敷に向かう。酒匂川に架る新幹線の鉄橋から下流部分に河川敷が作られたのは1970年台の初め頃。現在では右岸側はスポーツ広場、左岸側はサイクリングコースとして利用されている。右岸側のスポーツ広場を横切り、護岸へ向かうとこのような状態。1980年台の初め頃は、この約2mほど下まで護岸のコンクリートがあったが、現在は土砂が堆積しており段差は30cmにも満たないほど。場所によっては、護岸の上と同じ高さまで土砂が堆積しているところもあった。小学生の頃は、このコンクリートの護岸をおっかなびっくり下った記憶があるが、今はほんの1歩で河原へ下りれる。かつては、護岸から河原へ下りると、対岸まで護床ブロックが設置されていて、その上をジャンプしながら中州や対岸まで渡ることが出来た。その護床ブロックがあった場所はこの状態で護床ブロックが見当たらない。川の中を覗き込むと、川底に微かにコンクリートが見える。かつての護床ブロックだ。以前、この護床ブロックは川面から50cmは上に出ていたが、今では土砂が上部まで堆積しており、川底に沈んでしまっている。護床ブロックのある場所から下流を撮影。河口方面まで同じくらいの土砂が堆積している。最近、台風の時に度々河川敷が冠水するが、河川部分の土砂の堆積も要因の一つではないかと思う。対岸を見ると、護床ブロックらしきものが川の中にあるのを確認。左岸側へと向かう。酒匂橋を渡り、左岸側のサイクリングコースを横切り河原へと下りる。左岸側には護床ブロックがかつてのままの姿で残っていた。このような状態の護床ブロックが対岸まで続いていたが、現在では川面に出ている護床ブロックは左岸側のほんの20mほど。久しぶりに護床ブロックの上をジャンプしながら渡る。落ちるんじゃないかという緊張感の中でジャンプする感覚がなんともいえず楽しい。子供の頃の遊び場だった護床ブロックや釣りのポイントは土砂で埋まっていたり、川底に沈んでいたりとかつての面影はまったく無くなってしまった現在の河川敷周辺の酒匂川。おそらくこの10年ほどでかなりの土砂が堆積してしまったようだ。

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梅雨が明けて4日ほど経過した。最近はまとまった雨も無く酒匂川の流れも穏やかである。梅雨が終わる頃から飯泉橋を通るたびに取水堰に土砂が堆積しているのが気になっていた。今日の午後、飯泉近くに用事があったのでついでに取水堰の様子も見に出かけた。飯泉橋右岸側から取水堰方面を撮影。堰の上流部に土砂が堆積しておりまだら模様に見える。飯泉橋中央から取水堰を撮影。今年の春に浚渫工事が終了して4ヶ月ほどでこの状態。干潟を見ているようだ。取水口がある左岸側を見ると、重機で何か工事を行っている。左岸側の取水口付近に移動。ショベルカーが1台に、土砂の運搬用の重機が2台作業していた。ショベルカーで取水口近くに溜まっている土砂をすくい上げていた。付近に工事概要の書かれた看板が見あたらなかったので、応急処置的な工事なのかもしれない。これから豪雨や台風シーズンだが、今後の取水堰の様子が気になるところである。

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最近のweb地図は、航空写真と地図の切り替えがすぐに出来るので、地図の表記と航空写真を比較しながら眺めるのが楽しい。航空写真でもっぱら眺めるのが郊外の山中の農道や林道沿い。山中にコンクリートの構造物や行ったことの無い道路を発見すると実際に現地に行ってみたくなる。先日、水之尾地区の航空写真を眺めていたところ、沢の上流に砂防ダムらしき構造物があるのを発見した。小田原厚木道路の荻窪インターチェンジ西側から板橋方面に向かう通称「ジェットコースター坂」と呼ばれる急坂。その坂の途中に小さな水之尾橋が架かっている。水之尾橋の下を流れるのは荻窪川で、その上流に航空写真で発見した砂防ダムらしき構造物がある。荻窪川沿いに道が無いため、迂回して最近開通した農道へ向かう。新しく開通した農道の毘沙門橋の下に荻窪川が流れている。川幅は水之尾橋の付近と変わらないくらいだが、谷のような地形になっているため毘沙門橋は大きい。おそらくこの近くにある水之尾毘沙門天から命名されたと思われる。毘沙門橋から荻窪川を上流方面に移動すると、水之尾毘沙門天下の鳥居のある場所に到着した。荻窪川は鳥居の脇を流れている。鳥居脇から荻窪川の右岸沿いを進む。雑草が茂っているが石積みの護岸が整備されていて歩きやすい。鳥居脇から50mほど進むと藪に行く手を阻まれる。やむなく藪漕ぎ開始。しかし右岸沿いは石積みの護岸が続いているために比較的歩きやすかった。藪を漕ぐこと5分あまり。護岸から川底に下りる階段が設置された場所に到着した。荻窪川に下りて上流を見ると、思ったとおりコンクリートの砂防ダムが見えた。幅はそれほどではないが高さは結構ありそうだ。左岸側の護岸に足場が設置されており堤体の上部に上がれるようになっていた。足場の途中には取水用と思われる壊れたパイプも取り付けられていた。砂防ダム下流側の護岸は三段になっており2段目の護岸からダム上部を撮影。ダムの構造は吾性沢ダムと似ているが、ダムの表面は石積模様の加工がされている。堤体の上に到着。取り付けられていた工事概要のプレートによると、幅が35mで高さは12m。堤体上部から下流を撮影。結構な高さ。上流の流れは細く、堤体に開けられた穴から流れ落ちる水量は少なかった。この砂防ダムの名称は「水之尾堰堤」で平成9年に完成。これまでいくつか見てきた砂防ダムや治山ダムと比べるとこの水之尾堰堤は表面に模様の加工が施されているなど景観にも配慮されたものとなっていた。山奥の小さな沢に作られた巨大なコンクリートの堤体を眺めるているとつくづく不思議な感じがするのが楽しい。次はどんな砂防ダムに出会えるだろうか。

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酒匂川左岸地域は昭和59年から湛水事業が行われ酒匂堰や周辺の用水にゴム堰が設置された。ゴム堰はゴム引布製のチューブに空気や水を注入することで起伏させる堰で、増水時や冬の間は倒伏していることが多いが、田植えの時期には起立して堰の近くの取水口から周辺の田んぼに送水している。巡礼街道の美濃里橋の下を流れる酒匂堤。地図ではこの美濃里橋周辺から下流を小八幡川、上流が酒匂堰との表記になっている。目指すゴム堰は美濃里橋の上流600mほどの場所に設置されている。酒匂堰沿いの道路をしばらく進むとゴム堰が見えてくる。水が注入され起立していた。ゴム堰はラバーダムやバルーンダムなど色々な呼び方があるが、住友電気工業製のゴム堰はファブリダムという。このゴム堰は住友電気工業製。名称は「矢作堰ファブリダム」といい昭和63年の3月に設置された。高さ1.7m×河床幅8m。一見耐久性が無さそうに見えるファブリダムだが30年以上交換無しで使用できるようだ。ファブリダムの横にはゴム引布に注水や排水を行う操作室が設置されている。操作室の中を覗くとポンプ類や配管が見える。操作室の中には操作要領を説明したボードも置かれていた。ゴム引布を起立させるのに意外と色々な手順があるようだ。ゴム引布を起立することにより水位が上がり取水口から水を取り込む。このファブリダムでは酒匂堰両岸に取水口が設置されていた。取水した水は操作室の脇から小さい用水路を流れる。流れを辿ってみることにした。小さい用水路は途中、住宅街を縫うように流れ、道路の下をくぐり、分岐して住宅街の中にある田んぼに引き込まれていた。さらに用水路を辿ると、賑やかなダイナシティの近くの道路下に流れは消えた。水の行方を辿りながら散策するのもなかなか楽しい。

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