小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



昭和40年代まで郵便ポストは丸型が一般的だったが、四角い箱型のポストが登場して以来置き換えが進んでいる。小田原市内にはまだ昭和時代に設置された丸型ポストが割と多く点在しているが、大工町通りの丸型ポストはまもなく交換が予定されている。大工町通り交差点角の丸型ポストは、私が物心ついた時から設置されているので少なくとも50年以上は経過。後ろのコンクリート製のガードレールも昔と変わらずで、ガードレールと丸型ポストが一体となって通りかかるたびに懐かしさを感じる。丸型ポストは定期的に塗装が施されているようで割と色鮮やか。昭和50年代はポストの周りに商店が連なっていたが、当時と変わらずに営業しているのは高野書店くらい。大工町通り交差点角の丸型ポストは子供の頃に住んでいた家の最寄りのポストだったので、年賀状やら諸々の郵便物を投函してきたので色々と思い出すことがある。箱型ポストへの交換告知が貼られているが、交換時期は今のところ未定で、決定したら別途掲示されるとのこと。

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小田原市が管理するスポーツ広場はこの夏まで4ヶ所あり、市内のスポーツ団体の練習や試合に利用されていた。その中で高田にあった高田運動広場は隣接する水道施設の再整備のため9月末をもって閉場となった。小田原市高田の高田運動公園は高田浄水場東側に所在。隣接する道路よりも一段高い場所に多目的グラウンドが1面設けれれていた。高田運動公園の沿革を調べてみたがはっきりとしたことは分からず。昭和59年4月の広報おだわらの記事に高田みどりの広場誕生の記事があって、今現在は高田みどりの広場は無いので、高田みどりの広場が高田運動広場へと転換された可能性がある。高田運動広場の利用用途は、ソフトボール・軟式少年野球・サッカー・グランドゴルフ。敷地西側は野球場になっていて結構しっかりとしたバックネットが設置されていた。広場中央のフェンス近くには経年して錆だらけのサッカーゴールが置かれていた。この夏は緊急事態宣言の関係で使用を制限していたようで、地面には草が生い茂ってサッカーを出来る状況ではなかった。高田運動広場内の設備は簡素で、サッカーゴールの他には野球場脇のベンチとスコアボードとグラウンド整備用のとんぼが数本。恐らく30年前後は利用されてきた高田運動広場は高田浄水場再整備のために閉場となり、今後は高田浄水場の敷地となる。既存のフェンスは今年度中に撤去工事が予定されている。土日を中心に子供達やスポーツ愛好団体で賑わった高田運動公園は緊急事態宣言の解除直前にひっそりと歴史に幕を閉じた。個人的には利用したことのない運動広場だったけれど、もう立ち入れなくなる場所になってしまうと思うと何となく寂しく感じた。

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小田原市内の駅に隣接する無料駐輪場は年々減少傾向にあって、このブログを始めてから小田急足柄駅と富水駅近くにあった無料駐輪場が廃止された。国府津駅西側には市内で最大規模の駐輪場があるが2021年2月10日午前6時半に閉鎖されてしまった。国府津駅西側に所在する駐輪場は直近では約1600台のバイクと自転車が利用していた無料の駐輪場。国府津駅周辺整備事業のため2021年2月10日をもって閉鎖された。もともとどのような経緯で無料駐輪場が設置されたかは不明だが、空中写真のアーカイブを確認すると1960年代までは国府津駅の留置線だったようで、その後建物が何棟か建設されたが1990年前後に更地になっている。また1999年発行の住宅地図に駐輪場との記載があるので1990年台から利用されていたと思われる。国府津駅周辺整備事業によりNewDays横の部分は道路と歩道が拡張され、駐輪場入口部分のあたりにはロータリーが設置される。NewDays裏手の部分は一般車両10台分ほどの駐車場と集会施設が整備される予定。閉鎖された駐輪場の東側部分は駅に近いので自転車が密集して駐輪していた。駐輪場横の市道4294も国府津駅周辺整備事業により歩車道が拡張されて拡幅は6m程度になる。今はどことなく昭和の雰囲気を残す市道沿いの風景は整備事業によって、かなり印象が変わってしまうかもしれない。国府津駅の無料駐輪場は敷地が広く、収容台数に余裕があったので西側の区画は使用されず雑草が生い茂っていた。整備事業では西側には出入り口や機械式のゲートが設置される。国府津駅西側の無料駐輪場は20年以上に渡り、国府津駅を利用する周辺住民の駐輪場として使われてきたが本日をもって閉鎖。整備事業により収容台数約1160台の鉄骨造1層2段の有料駐輪場が建設される。

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明治初期の旧小田原藩の獄舎を起源として何度かの変遷を経て、市内扇町の地に100年以上所在していた小田原少年院が3月末をもって閉鎖された。小田原少年院の沿革によると明治39年に横浜監獄小田原分監として現在地に新築移転。明治11年に小田原少年刑務所として独立。昭和18年に一旦、小田原少年刑務所は廃止となったが昭和27年に小田原少年院として開設された。小田原少年院は国内最古の少年院で敷地内には関東大震災直後に建てられた古い建造物が現存している。施設の老朽化や収容される少年の減少により閉鎖が決定しこの4月からは財務省により土地・建物が管理される。敷地内にある講堂や武道場は大正時代に建てられたものが閉鎖まで使用されてきた。また樹齢300年近いクスノキなども講堂の周囲に残っている。小田原少年院は仕事で1度と見学会で1度中に入ったことがあるが、歴史を感じる雰囲気で印象的だった。 6千人以上の少年が学んだ小田原少年院はこの春に役目を終えて現在は無人となっている。跡地の活用についてはいまのところ未定。施設の性質上、観光施設化などは難しいかもしれないが歴史的な建造物なので保存されることを願っている。

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小田原駅や小田原城址公園周辺は環境美化促進重点地区に指定されていて、屋外では灰皿が設置されている喫煙場所以外での喫煙は禁止されている。小田原城周辺に何カ所かある喫煙スペースのうちの一つが1月末で閉鎖された。 1月末で閉鎖されたのは市民ホール建設予定に設置されていた喫煙スペース。いつごろ設置されたのかは定かではないが、2013年の風景写真の中に写りこんでいるのが確認出来たので少なくとも5年以上前から利用されている。市民ホール建設予定地に設置されていた喫煙スペースはステンレス製のスタンドタイプの灰皿。景観に配慮してか木目調のシートでラッピングされている。灰皿は5年以上仕様されているが、手入れが行き届いていて新品のような光沢。市民ホール予定地の喫煙スペースが閉鎖されると小田原城周辺の喫煙スペースは本丸広場と歴史見聞館前とお堀北側の広場の3ヶ所となる。煙草を吸わないので個人的には今回の喫煙スペースの閉鎖は影響が無いが、今後建設される市民ホールの敷地内に喫煙スペースが設けられるのかは気になるところ。

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