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24/08/29-31 サンサンと呼ばれた台風10号

2024年09月01日 08時19分26秒 | 風景・散歩・旅
台風10号「サンサン」は、遥か南の海上にある時から進路予測が刻々と変わり、九州の南に接近して
以降も進路が定まらず、暴風と大雨をもたらしながら九州へ上陸。私が暮らす中国地方(広島県)も
台風に備え、鉄道・バス・船舶の運休が早々と決定しておりました。


24/08/29

この日の14時頃に「30日は台風なので休業となります。31日も台風なので振替出勤はありません」
と告げられた。迷走台風で九州上陸以降の弱まり方を見る限り、そこまでせんでも…とは思ったけど、
帰宅してからバスまで運休となってしまっているのを知った。

呉湾は台風避けの泊地の1つ。私のWebLogに於いても過去記事で幾度か紹介しております。
ただ、今回集まっている船を見る限り、最大限の警戒という感じでもなく。現に、広島~松山間の
定期航路に用いるフェリー・高速船は沖で停泊ではなく、岸壁に係船していたようです。


24/08/30

休業となってしまった30日の朝、風の音もなく雨は早朝に降っただけ。停泊している
クレーン台船「駿河」が良い目印になっている。結果的に、30日は昼頃から夜半まで
断続的に雨が降ったものの、そこまで大雨という訳でもなく。

 
24/08/31

台風は東へ去った。九州に続いて四国でもジグザグと動き続け、雨の影響は東海以東や東北、
北海道の方が強かったようです。停泊していた船は去り、31日の朝から広島~松山間の定期航路は
通常運行されていました。


24/08/31夕刻

台風が去り、31日の昼過ぎまでは雲が厚い時間もあったけど、ギラッギラの太陽が戻って
参りました。こうして、2024年の8月は終わっていったのでした。

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2024年の台風10号「サンサン」。台風には愛称?!が与えられ、今回の「サンサン(Shanshan)」は
香港の少女の名前に由来するという。。。 台風の名前、実は140個まで決まっていて、1巡したら
最初に戻るそうで。調べるまでシランカッタよw 各国が順に提案した名前を振っている程度にしか
知りませんでした。ちなみに日本提案名は全て星座名から。

ちなみに、台風名(アメリカ)=女性名ってのは1979年の時点で改善され、男性名と交互に使用する
様になっていたんだって。更に2000年からは台風名を「アジア名」とするよう変更され、今に至る
のだそうです。知らない事ってホントに無限にあるわ。

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4 コメント

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大ペケさんこんにちは (ガーベラ)
2024-09-01 10:37:36
各地を網羅するようにのろのろ台風にかき回されてしまいました。
呉港は船舶の避難場所となるのですか。
大型船ともなると早めの係留が必要になってくるのでしょうね。
整然と錨を降ろし並ぶ様は台風をやり過ごす術なのでしょう。

空が透き始めると係留されていた船舶が何事も無かったように仕事場へと向かう。

日付を追いながら画像を観ていると良く分かります。
返信する
まだこれからが… (大ペケ)
2024-09-01 20:10:14
>ガーベラ さんへ
まだこれからが、台風シーズンですから油断は
禁物ですね。とはいえ、出来る事といえば
数日耐えられる水と食料の確保くらいのもの。
18年豪雨災害で10日間ほど水道が止まったのは
本当にキツかった。意外と、水洗トイレの水が
大変なんです。

さて、呉には海上自衛隊の大型艦艇が揃って
いますので、岩国沖・柱島周辺・伊予灘で
漂泊します。
ちなみに今日は、クレーン台船「駿河」も
元居た場所(江田島)へ戻っていました。
返信する
台風10号「サンサン」 (oko)
2024-09-03 13:19:22
大ペケさん、初めましてこんにちは。
いつもガーベラ さんへのコメントを拝読させて頂いております。
この度は未熟なブログへようこそ!お訪ねくださいましてありがとうございました。

只今、お訪ねいたしまして「呉」・「江田島」の名前に郷愁を覚え目頭を熱くしております。

私は父が海軍兵学校の通信の教官時代の昭和14年に呉海軍病院で出生、
おかげさまで元気に85歳を迎えております。
幼い時に千葉の母の実家に身を寄せ、早い時に母と別れましたので思い出は何もありませんが、
母が「あちらのおみかんが美味しかった」とぽつりと言ったことを思いだしております。

呉港も父からの文面のみ、江田島の官舎には、私が誕生に、伯父、伯母たちが千葉から大勢駆けつけたように聞きました。

幸せな時代も短く、父戦死に困難な時代を過ごして参りましたがこれらも生きる原動力になりました。
天候不順、残暑厳しき折にどうぞご自愛くださいませね。

日々ちょっと多忙にして御礼が只今になりまして失礼いたしました。
返信する
ご丁寧にありがとうございます (大ペケ)
2024-09-03 21:05:41
>oko さんへ
85歳とは驚きました!あれだけの画像を貼り
付けて記事を構成するのも、なかなか手間と
時間が掛かるはず。私も見習わなくては。

さて、江田島は呉から見て対岸の存在。
倉橋島までなら頻繁に渡りますが、江田島は
年に数えるくらいしか行きません。
なので、江田島は行った事の無い場所が
結構あったりするのです。

瀬戸内は、紀州にならぶ柑橘類の産地。
たまーに倉橋や江田島の記事も出して
おりますので、過去記事もご覧いただけ
れば幸いです。

※カテゴリー:風景・散歩・旅
 2012年頃の記事

んー、余裕が出来たら、江田島を訪れて
新しい記事を書きたいものです。。。
 
返信する

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