思いついた写真をアップする家

写真を撮ってコメントを書く。それだけ。

第40回 たけはら夏まつり花火大会 23/08/26

2023年08月27日 09時42分31秒 | 風景・散歩・旅
芸南地方の夏の終わりを告げる花火大会として知られる「第40回 たけはら夏まつり花火大会」が、
広島県竹原市・高崎で開催されました。気象データを見る限り、花火大会後にパラッ程度の降雨が
あるかも知れないが、日中は大丈夫そうだったので夕方から出かけてみたのでした。
流石に、真昼間から行ってみるのは無理だった。理由は後ほど。

 

先客さん(この方は、花火大会メイン会場を含めて5kmほど歩いて場所を選定したそうで。。。)に
声掛けし、隣良いですか?と了解を取ってから撮影場所を確保。安心して風景を撮って待つ事にした。

写真に写っている島は、左から阿波島・生野島、奥は大崎上島となります。その背後の大きな入道雲は
愛媛県・松山付近で発達したものだったようです。夕方に巨大な入道雲が出るのは、まだまだ暑いと
いう証拠。但し、日没時刻は随分と早くなっているのです。



JPOWERグラウンドと高崎小学校が、駐車場と花火大会本部になっています。花火が始まるまでの夕刻、
海伝馬の漕走が披露されていました。で、なぜ会場側に居ないのかって事になるのですが、中では有数の
屋台祭りとなっている上に、保安上の理由などから三脚の設置(場所取りとなる)が禁止となっている為。

 

花火の打ち上げ台船が、推し船と共に現れました。ここ竹原の花火は海上に配された台船からの打ち上げと
なります。よって、台船がどこに付けるのか次第で構図を考える事となります。

   

後からやって来た花火カメラマンの方々と情報交換したり、偶々クルマを置く事に成功した子供連れさんと
話をしたり(後に、この男の子が妙に愛嬌があって、後から来た花火カメラマンの方々と遊んで貰っていた。
将来大物になりそうなw)で過ごしていたら、沖合の島陰からドッカで見たような船が…

そう、瀬戸内海に浮かぶ超豪華遊覧観光船・ガンツウ(guntu)でした。帰宅後に確認したところ、当日は
大三島付近で洋上泊となる予定。はて?花火でも観に来たん?とか思ってたら、やっぱりそうでした。
知っていて予約取ったのかどうかは知る術も有りませんが、乗船されていた方はラッキーでしたね!
夕闇迫るガンツウを撮影出来たのは初めて(尾道の船なので、この辺りに来られるなら比較的撮影は容易
なのですが… 広島県西部に暮らす者は、仕事や親せきでも居ない限り意外と行かないものなのです)。

海上花火となる場合、観光ツアーのフェリー船や各種小型船舶が集まって来るので、海上保安庁の巡視艇
「かわかぜ」がやって来て安全確保に努めておりました。

 

さて花火。ここの花火大会は30分と比較的短い代わりに、大きな花火が連続発射されるので素晴らしい
のですが、それは新型コロナウィルス禍の前の話。今回はどうなるのだろうかと思っていたのですが、
水中自爆無しで、中型花火の打ち上げが多く感じました。それでも頑張って、大玉も混ぜてくれたのは
本当にありがたい。眼で見て楽しむ時間も取れました。
今では少なくなってしまった、和火系(暗い朱色や赤の、星が長めに燃焼して尾を引くのが特徴)も
打ち上げられ、イイナー!と感じた次第。露出が低いので撮影は少し大変だけど。

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広島原爆の日の記事以降、お盆休みに入った当日に酷く腹具合を悪くしてしまい、お墓参りに行っただけで
ずーっと家で休養していたという。。。 3日程続いたのは25年ぶりくらいだろうか。暑い最中に仕事をする
ので水分を多く摂るのだけど、休みの間も普段と同じ水分摂取をしてしまったり、空調の利いた部屋でお腹を
冷したのかも知れんし。単に歳取っただけなのかも。
それが切っ掛けなのかは分からないが、盆休み以降はめまいが再発。これも、半ば持病的なめまいなのか、
お盆休みで暑さ順応が薄れてしまい、仕事の再開と共に熱中症として発現したものなのかは、イマイチ判然と
しません。そんなこんなで具合が良くなかった、本年の8月上旬~下旬なのでした。やっと少しだけ戻して
来たけど、まだまだ本調子には程遠く。
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鎮魂の日 広島原爆の日 23/08/06

2023年08月11日 22時46分18秒 | 日常的電脳日記
新型コロナウイルスのまん延防止のため、また、感染症を予防するため、4年間ほどは制限のある
状態で迎えた「広島原爆の日」ですが、本年は概ね過去と同様に実施されました。
でも、マスク姿の方もチラホラ見かけたし、警備に携わる方々は、やはりマスク着用なのでした。
今回は、写真と記事多めで。

  

広島平和記念公園。俗にいう入り口側。当日は気温が高く空には雲が。台風6号が九州の南西に
停滞して進路が不明瞭という状況。日差しが途切れる時間もあったけど、やはりとても暑い。

  

原爆死没者慰霊碑には、当日朝8時から実施された「第78回 広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」
での献花・献花台が設置されていました。参列した首脳などの花輪は撤去されています。
暑さ対策として大型テントが設営されますが、この暑さですからね。昨年からミスト装置を追加
しているのですが、送風機等も必要みたいで。なにしろ超密ですから、人の体温だけでも相当暑い。

  

被爆当日に破壊されず、戦後も引き継がれて来た「被爆ピアノ」による演奏が行われていました。
どこのピアノの先生なのかは分からないのですが、この日に演奏するため準備なさっていた訳です。
空を見上げると、雲の形が青いメガネの顔に見えてしまって。

 

晴れたり曇ったりの23/08/06の広島平和記念公園付近。被爆当日の広島市は朝から良く晴れていた
そうですが、原爆の使用によってキノコ雲が広がり、地上では黒い雨と人々の血が流れたという。
本年の原爆ドームと元安川の川面は穏やかだが、1945年8月6日以降の元安川はおびただしい人で
埋め尽くされたと聞きます。

   

原爆ドームの慰霊碑と、本年5月に元安川沿いに設置された「マハトマ・ガンジー胸像」。
なぜガンジー像?という理由は、氏の掲げた「非暴力・不服従」の理念が、広島市の掲げる
「平和文化」の振興に一致するとしたため。胡蝶蘭が飾られていました。背後に咲く花は
広島市の花である夾竹桃。75年間草木も生えぬと言われた被爆地で、いち早く花を付けた
植物とされています。今年は太平洋戦争が終わって78年なので、いかに放射能・放射線の
影響が人類にとって強力で不明な部分が多かったのかが良く分かる。
そういう代物を、戦争の早期終結を狙った決定打として使ったという訳です。
どうなるのかおおよそ想像がついていたのは、開発した人と、軍や政治家のごく一部。
それですら正確な所が分からないので、実際に使ってみたということ。使えば分かるから。

それだけに、「原爆犠牲ヒロシマの碑」に埋め込まれている被爆瓦と碑文が心に刺さる。

  

陽が落ちて、灯篭流しの時間が近付く。「原爆の子の像」はシルエットとなり、
元安橋の親柱に飾られる電灯が燈る。この橋のデザインは、大正時代に架けられて
被爆を耐えた旧橋にちなむ。
日本人はもとより、非常に多くの外国人が訪れている事が良く分かる。

  

灯篭流しが始まったが、本年の広島市干潮時刻は18:59となっており、汽水域となる
当地点では川面の推移が下がり切った状態。その後、満ち潮に変わると水面は逆流
になるのだが、そうなるまでには時間が掛かる。つまり、灯篭は大きく流れずその場に
留まりがちな年であった。

<今年の8/6日はとっても暑かったということ>

 

とーってもスリムなハシボソガラスさん。暑すぎて口を開けて日陰の水辺で休んでいた。
カラスの羽根色は黒だけではなく、とても濃い青紫があるというのが良く分かる・。・。・

そして、俗にいうクチバシが黄色いヤツ。暑いから水浴びをしているのですが、
周りに人が大勢いるけど捕まる恐れがないと判断してか、存分にバシャバシャやってました。

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広島に生まれ育ったものは、子供の頃から恐らく他県より特別な教育を受けていると思います。
私は結構歳が行っているので、実際の当日の様子を大人達から聞く機会が少なからずありました。
祖父母から第二次世界大戦中の話を聞く機会はあったし、学校の先生や色んな方々から少しずつ。
でも、やはり多くは語らないのです。

人間は自らの精神を防御するため、余りにも辛すぎる記憶は改ざんされたり、記憶そのものが
なされなかったり、記憶していても奥底に封じ込めて思い出せない様にするそうです。
それでも語ってくれたという事は、誰かに伝えておかなければならないと思ったからでしょう。
今のところ戦禍にさらされない時代の日本に生まれ育っている。色々あっても、それだけで
運が良いと感じる。そんな日です。

コメント (2)
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