徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

海舟・龍馬の歩いた道

2022-09-06 21:02:00 | 歴史
 先週の「明治天皇行幸150年・120年記念年」の記事をご覧になったFB友の大分の栗田さんが、明治天皇の行在所となった新町の会輔堂には長崎行途上の勝海舟と坂本龍馬も泊ったということに強く興味を抱かれたようだ。栗田さんが所属しておられる鶴崎文化研究会の研究テーマの一つにもなっているようで、いずれ機会があれば海舟・龍馬の歩いた道を追体験するのも面白いかなと思う。
 毎年8月には、小中学生を対象とした「大分~熊本125km参勤交代徒歩の旅」なる催しが行われている。海舟・龍馬の歩いた道もほとんど同じなのだが、高齢者には125kmというのは過酷なので、その一部分を歩いてみるというのはどうだろうか。
 例えば、後半の次のような行程が考えられる。
 大津宿―二里木―一里木―立田口(立町構え)―坪井番所―観音坂―新堀御門―百間石垣―二の丸御門―二の丸―法華坂―新一丁目御門―会輔堂

 元治元年(1864)、勝海舟は幕府の全権を受け、長州攻撃を目論む米・英・仏・蘭の4ヶ国との交渉のため坂本龍馬を伴い鶴崎から豊後街道を通って長崎へ向かう途中、熊本城下へ入った。そのくだりが「海舟日記」に記されており、熊本城遠望の素晴らしい景観に敬嘆したことが綴られている。




大津街道を行く肥後細川藩の御行列。海舟も大津街道(豊後街道)のスケールに驚く



海舟が「天守孤立、築制他城の比にあらず。外周最大なり。」と表現した熊本城の景観