徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

“笹尾のしだれ桜”に想う

2013-03-16 20:10:11 | 熊本
 植木町木留の天然記念物「笹尾のしだれ桜」が見ごろだというので母と家内を連れて見に行った。土曜日で天気も良かったので多くの見物客が訪れていた。途中で「熊本隊本営跡」の標識が眼に入る。西南戦争(1877年)の激戦の地、吉次峠はすぐ上であることを思い出す。樹齢130年を超えるというこのしだれ桜は、ひょっとしたら若木の頃、悲惨な戦争を見ていたのかもしれない。桜を見物した帰りに吉次峠まで登ってみた。北の方に田原坂が見えた。
 佐々友房先生、今年は済々黌が55年ぶりに春の甲子園に出ますよ!







今年も 「江津湖物語と水前寺をどり」!

2013-03-15 17:49:26 | 音楽芸能
 熊本県立図書館に行くと、そのついでに必ず歩いてみるのが江津湖畔。図書館の裏手には水前寺の湧水が加勢川となって流れ込んでおり、この江津湖は加勢川の一部だ。加藤清正公が治水のために江津塘(清正堤)を築いたことによって出来たのが江津湖だと伝えられている。僕も若い頃はよくボート遊びなどしたものだが、今は畔を歩きながら水面を眺めるだけでホッとしてリフレッシュできる。
 市民の憩いの場として親しまれている「江津湖」の魅力とその大切さを再認識しようという趣旨で、今年も5月3日から1ヶ月間にわたり、江津湖一帯を舞台に「わくわく江津湖フェスタ」として様々なイベントが開催される。
 なかでも僕が楽しみにしているのは初日に行われる「江津湖物語と水前寺をどり」。昨年に引き続き、水前寺成趣園の能楽殿を舞台に熊本の伝統的な芸能が繰り広げられる。 





▼昨年の「江津湖物語と水前寺をどり」から



いよいよ桜の季節・・・

2013-03-14 20:23:38 | 熊本
 熊本城二の丸公園まで歩いた。公園内の早咲きのが白い花びらを開いていた。人は桜の花のはかなさに心をときめかせる。それは1300年も昔、万葉の世界の人々も同じだったのだろう。

 あしひきの山桜花、日並べて、かく咲きたらば、いと恋ひめやも(万葉集 山部赤人)

 【大意】
  もし山桜の花が何日もこんなに咲き続けるのならば、それほど恋しいとは思わないだろう。

▼写真をクリックすると大きなサイズを開きます



「八重の桜」外伝(2) ~ 山川健次郎と済々黌 ~

2013-03-13 13:07:58 | 歴史
 八重(綾瀬はるか)に密かに恋心を寄せる山川大蔵(玉山鉄二)という会津藩士が登場する。後に大日本帝国陸軍少将となる人物だが、この弟の山川健次郎(勝地涼)という人がまた凄い人で、白虎隊出身で後に東京帝大、京都帝大、九州帝大の総長を歴任した人だ。この山川健次郎が、明治40年1月16日、熊本の済々黌創立25周年を参観した際、次のような講話をした記録が残っている。

「私は会津の生まれで、幼時、藩校日進館で教育を受けた。この藩校は肥後の古屋昔陽先生によって建てられ、私たちは肥後的教育を受けた。江戸で他藩の武士は大道せましと闊歩していたが、肥後藩士は道の片わきを通り、子供に至るまで決して不遜の風なく、よく礼儀を重んじていた。また他藩の子弟は幼時、多くは木剣を帯びていたが、肥後の子供はきちんと朱鞘の大小を帯びていた・・・」等々、肥後武士の優れた点を取り入れた会津の藩校教育を受けたことを誇りとする心境を述懐したのである。

森高千里が歌う“くまモン”のイメージソング

2013-03-12 18:27:20 | 音楽芸能
 3年ほど前、小山薫堂さんが「新幹線くまもと創り事業」のアドバイザーに委嘱された頃、熊本には「これぞ熊本のご当地ソング」と呼べるような歌がないので、事業の一環として「決定版熊本ご当地ソング」を作ったら…、なんてことをこのブログに書いた。そして、その参考となる一例として、熊本市出身の森高千里さんが歌う「渡良瀬橋」が栃木県足利市のご当地ソングとして全国区になったことを、羨望の気持も込めながら書いたものだ。

「熊本には歌がない!」(2010.1.16) 

 その後、「くまもとサプライズ」として具体的に始まった事業のイメージキャラクターとして“くまモン”が創造され、今や“くまモン”は事業の枠を超え、熊本全体をPRするキャラクターとして全国区の存在となった。
 そしてこのほど、くまモンのイメージソングを、なんと森高千里さんが歌うことになったのである。
 作詞作曲はKANさんで振付は南流石さん。小山薫堂さんが総合プロデューサーを務めている。そして今週末の3月17日、グランメッセ熊本で開催される「くまモン誕生祭 ~ずっとくまもとサプライズ~」で初披露されることになった。

▼森高千里さんの歌う「渡良瀬橋」

母の形見の小手毬を 赤い毛糸でくくるのじゃ・・・

2013-03-11 19:53:50 | 文芸
 北原白秋の最大の理解者であり支援者で、絶対的な存在だった母しけ。白秋の作品には母が度々登場するが、「柳川」という詩の中にも母への想いが垣間見える一節がある。

▼柳川
もうし、もうし、柳川じゃ、
柳川じゃ。
銅(かね)の鳥居を見やしゃんせ。
欄干橋を見やしゃんせ。
(馭者は喇叭の音をやめて、赤い夕日に手をかざす。)
       
薊(あざみ)の生えたその家は、……
その家は、
旧いむかしの遊女屋(ノスカイヤ)。
人も住まはぬ遊女屋(ノスカイヤ)。

裏のBANKOにゐる人は、……
あれは隣の継娘(ままむすめ)。
継娘(ままむすめ)。

水に映ったそのかげは、……
そのかげは
母の形見の小手毬を、
小手毬を、
赤い毛糸でくくるのじゃ、
涙片手にくくるのじゃ。

もうし、もうし、旅のひと、
旅のひと。
あれ、あの三味をきかしゃんせ。
鳰(にお)の浮くのを見やしゃんせ。
(馭者は喇叭の音をたてて、あかい夕日の街に入る。)
       
夕焼、小焼、
明日天気になあれ。 


※北原白秋は明治18年、母の生家である熊本は南関町の名家・石井家で呱々の声をあげた。

▼白秋の「柳川」の情景が唄い込まれた「水辺立秋」




柳川の北原白秋生家は、この時期 “さげもん”で飾られる

生誕130年 ~ 種田山頭火供養祭 ~

2013-03-10 16:27:04 | 文芸
 今日は種田山頭火ゆかりの植木町・味取観音瑞泉寺で「種田山頭火供養祭」が行われた。柏木住職による法要が営まれた後、「うえき山頭火の会実行委員会」副会長の中尾末義さんによる山頭火と妻・咲野の熊本での暮らしぶりなどについての講演があった。また、午後からは昨年募集した俳句の表彰や托鉢体験などが行われた。
 今回の中尾さんの講演では妻・咲野さんがいかに山頭火を支え、苦労の多い人生だったかが中心に語られた。また、同人仲間でもあった大山澄太という人の存在がなければ、山頭火が今日のように世に知られることはなかっただろうという。1989年にNHKで放送されたドラマ「山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」ではフランキー堺さん演じる山頭火を支える大山澄太を、辰巳琢郎さんが演じていてとても印象深かったのを憶えている。
 現在制作が進められている中山節夫監督の映画「種田山頭火」はもうやがてクランクイン、7月にはクランクアップ、11月に全国公開の予定という状況の報告もあった。







gooブログの8年!

2013-03-09 16:38:51 | ファミリー
 gooブログは今日で9周年を迎えたそうだ。僕がgooブログを始めてから先月で満8年が過ぎたから、gooブログが始まってまだ間もない頃からやっていたわけだ。もっとも僕はその前にエキサイトブログをやっていた時期もあるし、なんだかんだでブログ歴は10年を超えた。
 さて、gooブログに初めて投稿したのが2005年の2月16日。その記念すべき初記事に孫娘のみわのことを書いている。まだみわが1歳になる前で、伝い歩きをしながらパソコンの前の僕のところへやってきては、もの珍しそうにキーボードをいじくりまわしていた。そのみわも9歳。4月から4年生となる。時の流れの早さをいやというほど思い知らされる。

  

光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨

2013-03-08 19:04:44 | 音楽芸能
 わが家は浄土真宗だが、個人的にはほとんど無宗教で過ごしてきた。しかし、歳のせいか、このところお経などというものが気になるようになってきた。

▼観経文(かんぎょうもん)
光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(こうみょうへんじょう じゅうぽうせかい ねんぶつしゅじょう せっしゅふしゃ)
(なむあみだぶつ ・・・)十遍

「仏徳の明るい光は広く世の中を照らし、念仏を唱える人々を救いとって、けっして見捨てることなどない」というような意味だろうと解釈している。

▼長唄舞踊「阿国歌舞伎夢華」における念仏踊り

織田信長、明智光秀そして出雲阿国?が登場する「家久君上京日記」

2013-03-07 20:32:38 | 歴史
 戦国武将である島津家久(1547-1587)が天正3年(1575)に薩摩から京に上った時の旅日記「家久君上京日記」は、「金春流肥後中村家」のホームページの中でその存在を知ってから一度読みたいと思っていた。このほどやっと読むことが出来た。原文のままなのでよく意味がわからない部分もあるが、聞きしに勝る面白さだ。
 まず僕が興味を持ったのは、家久一行が帰路、温泉津(島根県大田市)で能か神舞を演じる出雲衆と出会うくだり(下記参照)だ。出雲大社の巫女だったという出雲阿国が文献に登場するのは、この7年後の天正10年「多聞院日記」あたりが最初。この出雲衆の中に、もしお国がまじっていたとすれば、わずか3歳ぐらいということになる。しかし、それはありえないことではない。現にいま、子供舞踊団こわらべの木村きみかちゃんは3歳でちゃんと舞台を務めているし、この日記の中にも「男女わらハへ」という言葉が出てくる。これは「童部(わらわべ)」つまり子供ということであり、後に彼等の踊りが「ややこ(稚児)踊り」と呼ばれたこととも符合する。確たる証拠はないが、家久君は幼い頃の出雲阿国と出逢っていたのかもしれない。

一 廿五日打立行に肝付新介ニ行合候、加治木衆三十人ほと同行、さて西田の町を打過、湯津に着、
  其より小濱といへる宮の拜殿にやすらふところに、伊集院に居る大炊左衛門、酒うり持参、さて
  湯に入候へは、喜入殿の舟に乗たる衆、秋目船の衆、東郷の舟衆、しらハ衆、各すゝを持参り候、
  其より小濱のことくまかり出雲之衆、男女わらハへあつまりて能ともなし、神まひともわかぬおひいれ、
  出雲哥とて舞うたひたる見物し、・・・

 この他にも、近江の坂本へ明智光秀を訪ね、琵琶湖の魚や酒で歓待を受けた話や、京で大坂の本願寺攻めから帰陣する何万騎という織田信長の大軍に遭遇し、馬上で眠っている信長を目撃するなど、実に興味深い話がでてくる。「本能寺の変」の7年前の話である。
 
▼温泉津

「わくわく都市くまもと」の春を彩る「お城まつり」はもうすぐ・・・

2013-03-06 19:30:38 | 熊本
 春の熊本を彩る様々なイベントの中心となる「春のくまもとお城まつり」が今年も3月23日(土)から始まる。お城まつりを意識して見るようになってから5年ほどたつが、春夏秋冬に行われるお城まつりの中でも、春は桜の開花時期でもあり、やはり一番華やかでワクワク感が強いように思う。さて今年はどんな思い出をつくってくれるだろうか。

▼画像をクリックすると大きなサイズが開きます


▼「春のくまもとお城まつり2010」における老舗料亭体験

今年の加藤清正役は“玄海竜二”さん!

2013-03-05 17:43:00 | 熊本
 4月6日(土)・7日(日)に行われる「城下町くまもと 時代絵巻2013」の主役ともいうべき加藤清正役が、片岡演劇道場主宰の玄海竜二さんに決まったようだ。昨年の第1回は映画俳優の藤岡弘さんが演じたが、これまで何度も加藤清正役を演じ、昨年の「春のくまもとお城まつり」の創作舞台でも清正役を演じた玄海竜二さんのキャスティングは落ち着くべきところに落ち着いたという感じだ。おそらく時代行列の前後でもお得意のパフォーマンスが見られるだろう。


「春のくまもとお城まつり2012」の創作舞台で加藤清正を演じる玄海竜二さん(演奏はViento)


「春のくまもとお城まつり2010」での玄海竜二さん、Viento、中村花誠社中の共演


「春のくまもとお城まつり2010」での玄海竜二さんとザ・わらべの共演

自然破壊が進む?成道寺川!

2013-03-04 19:11:51 | 熊本
 日頃、花園町の鳴岩の湧水へよく水汲みに行くが、そのついでに成道寺川を眺めに行くのを楽しみにしている。その成道寺川が最近とみに汚れてきたような気がしてならない。降雨後の汚濁などとは明らかに違うような気がする。
 つい先日も、水汲みの後、成道寺川を見に行ったら、たまたま近隣に住む年配のご婦人と一緒になった。自然と川の状態の話になり、その方が「川が汚れてきた」と仰ったので、あゝやっぱりそうなのかと思った。また、「以前は多かったクレソンが無くなった」とも仰っていた。川の上流で行われている道路工事などが影響しているのではないかと心配している。この成道寺川は今や、熊本市内に残された数少ない清流で、金色のスナヤツメや二枚貝等が棲息する自然環境が残された貴重な河川。県や市の管理部署へ問題提起して行きたい。


ひなまつり!雛祭!桃の節句!

2013-03-03 20:14:13 | 音楽芸能
 今日は桃の節句。熊本城桜の馬場・城彩苑では「城彩苑2周年誕生記念祭」が開催された。桜の小路の親水空間ステージでは桃の節句にちなんだイベントが次々と行なわれ、大勢の観光客から盛んな拍手が送られていた。
 午後は楽しみにしていた「饗宴!ひなまつり絵巻」を見に市民会館へ。長唄三味線の今藤珠美さん、筝の下田れい子さん、お囃子の中村花誠さんという、熊本が誇る邦楽の名手たちが揃い、一流のゲストたちとの競演による上質な邦楽絵巻が繰り広げられた。


おひな様の舞!? ザ・わらべ(城彩苑)


馬頭琴の音色に心ふるえた夜

2013-03-02 19:04:07 | 音楽芸能
 中国・内モンゴル自治区出身の馬頭琴演奏家リポーさんを熊本に招いてコンサートを開いてから、ちょうど6年の月日が流れた。知名度が低いにもかかわらず、主催者のUさん始め関係者の皆さんのご努力により、会場の国際交流会館は立見が出るほどの盛況となった。企画・運営を担当させていただいた僕も感動の夜だった。最後に会場全員で「スーホの白い馬」を合唱した時は、思わずウルッときた。いい想い出だ。


スタッフミーティング。リポーさんと司会の吉崎真美さん


幸山市長を表敬訪問


オープニングの「青いハンガイ」


心に沁み入るような馬頭琴の音色が会場に響く


吉崎さんの朗読とリポーさんの生演奏による「スーホの白い馬」


最後は会場全員での「スーホの白い馬」の大合唱