徒然なか話

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阿国歌舞伎が江戸城で演じられた日

2022-02-20 21:24:52 | 伝統芸能
 慶長12年(1607)の今日2月20日、出雲の阿国が江戸城に招かれかぶき踊りを演じたと江戸時代初期の史書「当代記」に書かれています。かぶき踊りが芸能として正式に認知された日ということができると思います。しかし、その時の演目など具体的な内容はわかっていません。阿国歌舞伎は「ややこ踊り」「茶屋遊び」「念仏踊り」の三つが主要な演目だといわれていますが、一部の題名や詞章が伝えられているだけで、音楽や舞踊についてはほとんどわかっていません。
 
 そんな阿国歌舞伎のおもかげを残す芸能として注目されているのが、新潟県柏崎市に伝わる民俗芸能「綾子舞」です。土地に伝わる由来伝承によれば、京都から伝来したもののようです。

▼小原木踊(おはらぎおどり)
 その「綾子舞」の代表的な演目で「小原木踊」という曲目があります。これは中世小歌にもよまれている京都八瀬の大原女の姿をうたったものです。阿国歌舞伎は小歌と四拍子の演奏で進行し、まだ三味線は使われていなかったそうですので、この映像を見ますと何となく雰囲気がわかります。



▼歌舞伎踊り(七つになる子)
 これは、中世の狂言小謡「七つ子」を現代の長唄に作り変え、舞踊小曲としたものですが、「七つ子」は阿国歌舞伎でも使われたことが分かっています。

「七つに成る子が、いたいけな事云うた、殿がほしいと諷(うと)うた、さてもさても和御寮(わごりょ)は、誰人(たれびと)の子なれば、定家葛(ていかかずら)か離れがたやの、離れがたやの。」と謡います。



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