徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

野郎帽子と“おねえ”文化

2013-12-04 16:56:19 | 歴史
 毎日、テレビで「おねえキャラ」のタレントを見ない日はない。いわゆるゲイの中でも、セクシャリティは別にして、女性的なものの見方・考え方を女性言葉で発言する男性のことを「おねえ」と呼ぶらしい。今の時代、男性でも女性でもないニュートラルな立場の人が求められているのかもしれない。
 それはさておき、「おねえ」はいったいいつ頃から存在していたのだろうか。僕らの子どもの頃、すでに丸山明宏さん(今の美輪明宏さん)が中性的な歌手として人気があったが、彼はボーイッシュな印象が強かった。僕が社会人になって間もない70年代初めの頃、熊本に「青柳」というナイトクラブがあった。会社の先輩に何度か連れて行ってもらったが、ママさんというのが日本帝国陸軍で軍曹だか伍長だかやったという猛者で、何人かの「おねえ」を雇っていた。もちろんその頃は「おねえ」なんていう言葉はなく、僕らは普通に「オカマ」と呼んでいた。その中の一人と僕の先輩は特別仲がよく、アフターで中央街の飲み屋に付き合わされたこともある。その頃のオカマたちのしゃべり言葉は今の「おねえ言葉」と何ら変わらない。
 歴史的に見ると、歌舞伎の舞台から女性がシャットアウトされ、若衆歌舞伎も禁止された1600年代の半ば、月代(さかやき)を剃り上げた野郎頭の役者だけが演じる野郎歌舞伎が始まる。女性役の役者(女形)は「野郎帽子」(別名紫帽子)と呼ばれた布で月代を隠し、普段も女性言葉でしゃべるようになったといわれる。これが、今日の「おねえ」の始まりではないかという説が有力だ。「野郎帽子」は粋で色気を感じさせると人気を博し、市井の女性たちにも広まったと言われる。
 しかし、この「野郎帽子」の始まりについて、代表的な民俗学者の一人、折口信夫は「はちまきの話」の中で、もともと日本には古くから、女性の頭には蔓草で頭を纏う「かづら」や頭を被う「領巾(ひれ)」などがあり、それらが合わさった京の「桂女」の「桂まき」などがある。男性が女性を演じるためにはこういう小道具が必要だったわけで、「野郎帽子」もその流れの中の一つである。と、ちょっと異なるニュアンスの起源を述べている。
 とりとめのない話になったが、今日、ザ・わらべやこわらべが頭に着ける「野郎帽子」にもそんな歴史があったのである。
※右の絵は写楽の「二世瀬川富三郎と中村万世」



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