熊本城の竹の丸から本丸へ登る途中の撮影スポットである「二様の石垣」の築造年代に新説が提示された。(23日付熊日新聞より)提示したのは熊本市・熊本城調査研究センターの鶴嶋俊彦さん。ブラタモリの熊本城編で大仰にコケてみせたあのご仁である。鶴嶋さんによると、これまでいわれてきた、傾斜が緩やかな手前の石垣が加藤時代、奥の急傾斜が細川時代という説には疑問があるという。鶴嶋さんの調査研究によれば石垣の特徴や史料の分析から、どちらも加藤時代に築造されたのではないかという。伝説はしばしば史実になることがあるという肥後考古学会の富田紘一先生のお話を聞いたこともあり、これまで散々聞かされてきた「二様の石垣」の話もひょっとしたら伝説に過ぎなかったのかも。これからの議論が興味深い。
最新の画像[もっと見る]
-
草の芽の便りきいたか 2日前
-
草の芽の便りきいたか 2日前
-
草の芽の便りきいたか 2日前
-
お国かぶき お江戸デビューの日! 3日前
-
お国かぶき お江戸デビューの日! 3日前
-
瞳を閉じて 4日前
-
マラソン大会を支える医療救護体制 5日前
-
マラソン大会を支える医療救護体制 5日前
-
マラソン大会を支える医療救護体制 5日前
-
ひえつき節 7日前
熊本日日新聞のWebを見ましたが掲載されていませんでした。
続編がありましたら、教えてください。
サントリーの熊本復興応援缶とやら
https://www.sapporobeer.jp/area/kyusyu/kumamotojou/int01.html
面白いところに取り上げられていますね。(^_^.)
内容的にはこれまで鶴嶋さんがテレビや新聞で話されたことですが、今回の新説のもとになっていると思います。