散歩していると、もう随分前に空き家となった民家の庭に「木瓜(ぼけ)」が真っ赤な花を咲かせていた。主はいないのに律儀なことだ。

漱石の「草枕」の十二に次のような一節がある。
――木瓜(ぼけ)は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。――
木瓜咲くや漱石拙を守るべく
要するに、木瓜のように頑固で実直で拙い人生を歩みたいということなのだろう。
漱石は「草枕」を執筆する9年ほど前、熊本の合羽町に住んでいた頃、この句を詠んだ。
同じく合羽町時代に詠んだ「菫ほどな小さき人に生まれたし」とともに漱石の人となりを表しているのかもしれない。

「草枕」の舞台となった鎌研坂を上り切り県道熊本玉名線を横切ると鎌研坂公園の漱石句碑が見える

漱石の「草枕」の十二に次のような一節がある。
――木瓜(ぼけ)は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。――
木瓜咲くや漱石拙を守るべく
要するに、木瓜のように頑固で実直で拙い人生を歩みたいということなのだろう。
漱石は「草枕」を執筆する9年ほど前、熊本の合羽町に住んでいた頃、この句を詠んだ。
同じく合羽町時代に詠んだ「菫ほどな小さき人に生まれたし」とともに漱石の人となりを表しているのかもしれない。

「草枕」の舞台となった鎌研坂を上り切り県道熊本玉名線を横切ると鎌研坂公園の漱石句碑が見える