徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

籠城陣中で「ションガイナ節」が流行った件

2022-01-21 19:15:57 | 歴史
 各地の梅のたよりも届き始め、自然と「♪ 梅は咲いたか・・・」と口ずさみたくなる季節がやって来た。この通称「梅は咲いたか」は、江戸初期から明治時代まで歌詞・曲調を変えながら歌われた「しょんがえ節」や「しょんがいな節」などと呼ばれた端唄の一つ。


わが家の梅ももうやがてこんな状態に(写真は過年度)


 この「しょんがいな節」が明治10年の西南戦争のさなか、薩軍に攻められて籠城戦を余儀なくされた熊本鎮台(熊本城)の陣中で歌われていたという記録が残っている。鎮台司令長官の谷干城少将を補佐し、鎮台参謀副長を務めていた児玉源太郎少佐の口述をまとめた「熊本籠城談」という文献の中に記されている。砲撃の音はするが一向にやって来ない援軍に苛立つ気持を替歌にしたものらしい。

▼「熊本籠城談」より
三月二十六日、初めて熊本の東に当たる鹿児島街道の松橋方面に、大砲の音がおどろおどろに聞こえた、これは山田少将の引率された別働隊が賊と衝突したので、さてはこの方面にも戦が始まったなと思って、二十七日に相なるとそれが次第次第に烈しくなって、今は激戦の最中、勝つか負けるか、願わくば逆賊を破って早く城下へ押寄せよかしといずれも心中秘かに神仏に祈っていた
二十八日に及んで植木口の旅団司令部よりして、忍びの使者が一人やって来た。これは福田丈平といって植木近在の者であったが、どうやらこうやら敵囲を免れてようやく城へ達したが、もっとも福田より前幾人も幾人も使者になってやって来たけれども一人も達しない、福田一人初めて城へ入ることができた、初めの間はどうも変だ間諜ではあるまいかと疑われたので、容易に入れることをせなんだが、遂に事情が判明して城に入れ、段々様子を聞くと、山鹿口の対陣は延長七里にわたっていること、南の関は向坂を降して木留まで進軍して来たことなどを報告した
ところで三月一日の調査には城中の兵糧ただ十九日間を余すばかりであったに今はというにすでに三月下旬、やがて四月に入る時節である、手を替え品を変えてやっとのことに露命を繋いではいるものの、この先の見込みは殆ど付かない、味方は来る来るとばかりで更に影も姿も見えぬところから、この頃陣中に替歌の「ションガイナ節」が流行した、歌は記憶しておらぬが何でも余程たしかなもので
「酒は見てるが煙草はまだかぇな、旅団は植木でトテチリシャン、音ばかり、ションガイナ」
とかいうようなものじゃったが、この歌は司令部から禁止されてしまった



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