徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

へうげものの伝説

2018-05-22 13:46:42 | 日本文化
 先日、八代市立博物館の帰りに近くの松浜軒(松井家御茶屋)に立ち寄った時のこと。邸内を見て廻った後、ギャラリーを覗いてみた。僕は茶の湯の経験もないし、骨董品の趣味も持ち合わせていないが、ギャラリー内を見まわした時、なぜか目についた茶碗があった。その茶碗に近付こうとすると、入口に立っていた係員の女性がすっと寄って来て、「黒織部です」とひと言。「黒織部」という名前は聞いたことはあったが、現物を見るのは初めてだ。やっぱり一種独特の風合いというか、存在感を発していた。古田織部についてはテレビアニメ「へうげもの」も見ていたし、利休や細川忠興との関係も知っていた。また、熊本城本丸御殿の中にある織部好みの茶室も何度も見ていたので親しみを感じていた。

▼黒織部沓茶碗(八代城主浜御茶屋・松浜軒)
 侘び茶の大成者・千利休(1522~1591)は、高麗茶碗のわずかに歪んだ自然な風合いを好み、自らコーディネートして茶の湯専用の楽茶碗を焼かせました。それは完全を否定し、わびさびた世界を生み出した利休にとってなくてはならないものでした。
 利休亡き後、茶の世界を牽引した古田織部は、より積極的に歪みを加えた「へうげもの」の茶器を作らせました。利休と織部に共通するのは、それぞれが全く新しい美意識を生み出し、世間に認めさせたということです。織部は利休の形ではなく、精神を継承したのです。
 この茶碗は、口縁を三角形に歪めた大胆な造形、漆黒の鉄釉と軽やかな鉄絵のコントラスト、これらが絶妙に調和して、400年経た我々の目にも新鮮な驚きを与え続けています。(広報やつしろ より)

▼数寄屋(熊本城本丸御殿内)
 織部好みの茶室。加藤清正は茶の湯を千利休に学び、古田織部の高弟であった服部道巴を200石で召し抱え、家臣の茶の湯の稽古に当たらせたといわれています。長六畳という特異な形態となっているのが特徴です。(本丸御殿案内より)


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