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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

漱石内坪井旧居にて

2024-09-22 20:16:14 | 文芸

夏目漱石内坪井旧居の座敷から庭を眺める

 昨夜来の断続的な強い雨も昼過ぎにはやんだので、猛暑で控えていた散歩に久しぶりに出た。いつも車で通り過ぎる「夏目漱石内坪井旧居」の門を約1年ぶりにくぐった。8名ほどの来館者と一緒になったが、そのうち5名は外国人だった。ひととおり見て回った後、座敷に腰を下ろして庭を眺めながらひと息ついていると、床の間の掛軸の句「菫ほどな小さき人に生まれたし」が目に入った。この句については以前、ブログのネタにしたのでさておき、2,3日前に再読した漱石の「草枕」に登場する俳句のことを思い出した。
 「草枕」の峠の茶屋の段において、画工が茶屋の婆さんとひとしきり会話した後、茶屋の鶏を写生していると、馬の鈴が聞こえてくる。そこで鶏の写生をやめて、帳面の端に次の俳句を書いてみる場面。

 春風や惟然が耳に馬の鈴

 画工の旅は春の設定なので、「春風」という季語を使ってのどかな春の山道の風景を詠んだものだろうが、「惟然(いねん)」というのは「広瀬惟然」という江戸前期の俳人で松尾芭蕉の弟子のこと。芭蕉の没後、師の俳句を讃歌に仕立てた「風羅念仏」を唱えて各地を追善行脚したという。つまり漱石は「惟然」も旅の途で聞いたであろう馬の鈴に発想を飛ばしたのだろう。
 この後さらに、馬子唄が聞こえてくる。「坂は照るてる鈴鹿は曇る あいの土山雨がふる」という聞き覚えのある「鈴鹿馬子唄」が春雨の中に聞こえてくれば、これはもう夢現(ゆめうつつ)の状態としか思われない。

 馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨

 この句の後、「帳面に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。」と言葉を濁している。


鳥越の峠の茶屋に立てられた漱石の句碑



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