徒然なか話

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「光る君へ」と曲水の宴

2024-09-09 14:30:18 | 歴史
 昨日の大河ドラマ「光る君へ」第34回では、3月3日の「上巳祓(じょうしのはらえ)」の日、藤原道長は中宮彰子の懐妊を願って「曲水の宴」を催した。ドラマでは「ごくすい」と読んでいたが、熊本の代継宮で行われる「曲水の宴」では「きょくすい」と読む。どちらの読みでもいいのだそうだ。
 この「曲水の宴」というのは、庭を流れる曲がりくねった遣水(やりみず、小川)のほとりに歌人たちが座り、上流から流れて来た盃が自分の前を通り過ぎる前に、与えられたお題の歌を詠んで盃を飲み干すという風雅な遊び。奈良時代に始まったという。
 この宴について、室町時代後期の公卿、一条兼良が記した有職故実の書「公事根源(くじこんげん)」には次のように書かれている。

--文人ども、水の岸になみゐて、水上より盃を流して、我が前を過ぎさるさきに、詩を作りて、其の盃をとりて飲みけるなり。羽觴(うしょう)を飛ばすなどいふも、此の事なるべし。--
 注)羽觴(うしょう)とは雀(すずめ)やおしどりを象った盃のこと。

 しかし、この史料は中世も後半になってから書かれたもので、そのずっと前、「光る君へ」の平安時代からこのような「曲水の宴」のやり方だったかどうか、書かれた史料は見出せないという。ひょっとしたら時代が下るにつれ、興趣を加えつつ変わって行ったのかもしれない。


熊本・代継宮の「曲水の宴」。歌人たちは盃が流れ着くまでに歌を詠む。


雀を象った浮きの上に盃が乗せられている。


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