今日の玉名からの帰りはいつもの河内経由とは趣向を変えて、久しぶりに吉次峠を越えた。吉次往還沿いもだいぶ観光地として整備が進んだようだ。半高山の頂上に車を停め、有明海方向や田原坂方向や阿蘇山方向などを眺めてひと時を過ごした。
吉次峠が田原坂や横平山とともに西南戦争の最激戦地であることはいろんなメディアで知られているが、そもそもなぜ吉次峠と呼ばれるようになったのかが興味深い。
吉次峠の名の由来は、金売吉次と呼ばれた金商人が、ここで盗賊に遭い殺害されたという言い伝えからその名がついたといわれている。金売吉次は、室町時代に成立した「義経記」などの物語に登場する伝説上の人物。平安時代後期、奥州の金と京の物品を交易し、莫大な財を築いたことや、牛若丸(源義経)を奥州の藤原秀衡のもとへ連れて行き、源氏の経済的支援者となったとも伝えられる。その金売吉次がなぜ肥後の山中で?と思うのだが、当時、奥州の金を各地で交易に使う集団がいたともいわれ、金商人のことを「金売吉次」と呼んでいて、特定の一人のことではない可能性もある。また吉次は行商の途中、盗賊藤澤入道に襲われ殺害されたともいわれる。金売吉次にまつわるいろんな伝説は各地に流布し、肥後国にも伝わったと思われるが、たまたま類似の事件が起きて吉次峠の由来になったのかもしれない。

半高山の頂上
能「熊坂」は牛若丸や金売吉次の一行を襲った盗賊熊坂長範が逆に牛若丸に討ちとられ、その亡霊が現れて大暴れするお話。熊坂長範のモデルは藤澤入道といわれる。

喜多流 能「熊坂」
吉次峠が田原坂や横平山とともに西南戦争の最激戦地であることはいろんなメディアで知られているが、そもそもなぜ吉次峠と呼ばれるようになったのかが興味深い。
吉次峠の名の由来は、金売吉次と呼ばれた金商人が、ここで盗賊に遭い殺害されたという言い伝えからその名がついたといわれている。金売吉次は、室町時代に成立した「義経記」などの物語に登場する伝説上の人物。平安時代後期、奥州の金と京の物品を交易し、莫大な財を築いたことや、牛若丸(源義経)を奥州の藤原秀衡のもとへ連れて行き、源氏の経済的支援者となったとも伝えられる。その金売吉次がなぜ肥後の山中で?と思うのだが、当時、奥州の金を各地で交易に使う集団がいたともいわれ、金商人のことを「金売吉次」と呼んでいて、特定の一人のことではない可能性もある。また吉次は行商の途中、盗賊藤澤入道に襲われ殺害されたともいわれる。金売吉次にまつわるいろんな伝説は各地に流布し、肥後国にも伝わったと思われるが、たまたま類似の事件が起きて吉次峠の由来になったのかもしれない。

半高山の頂上
能「熊坂」は牛若丸や金売吉次の一行を襲った盗賊熊坂長範が逆に牛若丸に討ちとられ、その亡霊が現れて大暴れするお話。熊坂長範のモデルは藤澤入道といわれる。

喜多流 能「熊坂」