玉名市の「熊本藩高瀬米蔵跡」が今月、国史跡として指定されることになりました。近年、明るい話題が少なかった玉名市の町興しの起爆剤になれば幸いです。
6月に文化庁の文化審議会が文部科学大臣に答申した時、NHK熊本放送が伝えた内容は下記のとおりです。
江戸時代に熊本藩の年貢米が集められた玉名市の米蔵の跡地と米を運んでくるのに使われた船着き場の跡地が「熊本藩高瀬米蔵跡」として新たに国の史跡に指定されることになりました。「熊本藩高瀬米蔵跡」は玉名市の菊池川沿いにある江戸時代の米蔵と2つの船着き場の跡地からなります。当時、この場所には10の米蔵があって、熊本藩の年貢米の半分が水路を使って運び込まれ、保管したのち大阪に送られていたということです。米蔵は西南戦争で焼失しましたが、蔵の柱を支えていた7つの礎石や、船着き場まで俵を転がして運ぶのに使った石造りの坂道などの遺構が、米の集積地として栄えた当時の面影を伝えています。
文化庁の文化審議会は「全国的にも希少で、近世の物流と水運施設の様相を知る上で重要な遺跡だ」として、17日、国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
高瀬船着場跡と俵転がし跡
大河ドラマ「いだてん」で再現された高瀬船着場
大河ドラマ「いだてん」で再現された俵転がし
6月に文化庁の文化審議会が文部科学大臣に答申した時、NHK熊本放送が伝えた内容は下記のとおりです。
江戸時代に熊本藩の年貢米が集められた玉名市の米蔵の跡地と米を運んでくるのに使われた船着き場の跡地が「熊本藩高瀬米蔵跡」として新たに国の史跡に指定されることになりました。「熊本藩高瀬米蔵跡」は玉名市の菊池川沿いにある江戸時代の米蔵と2つの船着き場の跡地からなります。当時、この場所には10の米蔵があって、熊本藩の年貢米の半分が水路を使って運び込まれ、保管したのち大阪に送られていたということです。米蔵は西南戦争で焼失しましたが、蔵の柱を支えていた7つの礎石や、船着き場まで俵を転がして運ぶのに使った石造りの坂道などの遺構が、米の集積地として栄えた当時の面影を伝えています。
文化庁の文化審議会は「全国的にも希少で、近世の物流と水運施設の様相を知る上で重要な遺跡だ」として、17日、国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
(6月17日放送のNHK熊本放送「クマロク!」より)
高瀬船着場跡と俵転がし跡
大河ドラマ「いだてん」で再現された高瀬船着場
大河ドラマ「いだてん」で再現された俵転がし
高瀬蔵から俵を積み出す風景を唄った「肥後の俵積出し唄」