徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

村上宗隆選手(東京ヤクルトスワローズ)のこと

2022-10-01 21:44:42 | スポーツ一般
 プロ野球もいよいよ大詰め、注目の村上宗隆選手は9月13日に日本人選手最多タイの55号を放って以来足踏みが続いています。ヤクルトの残り2試合に期待をしていますが、仮にこのまま終わってもいいと思っています。彼はまだ22歳。これから何度も新記録に挑戦してもらいたいからです。
 彼が並外れたスラッガーとして注目され始めた3年前、NHK熊本放送の「ニュース845くまもと」(2019.9.18)で彼のことを取り上げました。その翌日、僕はブログにその主な内容を投稿しましたので、再編集し再掲してみました。

 熊本市出身の19歳、村上宗隆選手です。スピード感あふれるこのスイング。プロ野球ヤクルトの若きホープの躍動が今、多くのファンの心をつかんでいます。村上宗隆選手は十代にもかかわらず、シーズン終盤にさしかかった今、打点王などのタイトル争いにからむ活躍を続けています。この打撃力はどうやって培われたのか、かつての指導者に取材したところその秘密が見えてきました。
※あどけない表情を見せる中学時代の村上選手。チームではキャプテンを務めていました。

 中学時代の村上選手を指導していた吉本幸夫監督によれば、当時練習をしていたグラウンドでちょっと困ったことがあったそうです。それは村上選手の打撃がパワフル過ぎて、打球が右翼フェンスを超え、民家の屋根瓦やスレートを割っていたからです。



 居住者の濱田さんはチームの練習日には畑作業もやめて退避していたそうです。吉本監督は、これ以上近所に迷惑はかけられないと、村上選手にある指示をしました。それは左中間方向を狙って思い切って打てということでした。それから村上選手は次々とレフト方向に飛ばす鋭い当たり。左へのホームランを打てる村上選手のテクニックはこの時培われていたのです。

 九州学院高時代の恩師、坂井宏安監督によれば、当時のびのび野球を楽しめた環境が村上選手のものおじしないスタイルを形づくったと考えているそうです。九州学院チームの特徴は先輩後輩の上下関係がなく、何でもお互いに言える環境だったそうです。そういう環境で育った村上選手は、ヤクルトの大先輩である名手青木宣親選手に「バントで前に出るからベースカバーお願いします」と平気で言ったそうで、坂井監督は思わず「お前が言うな!」とツッコんだそうです。
※写真は九州学院高時代の恩師、坂井宏安監督