徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

大矢野島随想

2022-10-31 22:35:04 | 熊本
 先週、BSフジ時代劇「斬り捨て御免!」に天草島原の乱で一揆を率いた森宗意軒の子孫が登場したという話を書いた。数日後、ご近所のホンモノの森宗意軒のご子孫と路上で遭遇した。さっそくテレビの話をしたらご本人は見ておられなかったが、おそらくその類の話はこれまで何度もあったのだろう。作り話など歯牙にもかけないといった感じだった。後日あらためて訪問することを約して別れた。
 それはさておき、立ち話のなかで大矢野島(上天草市)に残る森宗意軒神社の話が出た。一度お参りに行きたいと思いながら未だ実現していないことを思い出した。大矢野にもしばらく行っていない。父の思い出が残る上天草市の上小学校を訪ねたのはもう11年前になる。

▼父の足跡をたどる旅 ~ 上村尋常高等小学校 ~(2011.4.28)
 昨日は夜半まで降り続いた雨も上がり、五月間近を思わせる晴天が広がったので、思い立って母を連れ、父の足跡をたどってみることにした。小学校の教員をしていた父は、県内の7、8箇所の学校を転勤しているが、僕がまだ一度も行ったことがないのが上天草の上小学校だ。なにしろ昭和10年頃のこと、当時は上村尋常高等小学校と言った。天草五橋の1号橋を渡った大矢野島のほぼ中心部にある。僕がイメージしていたとおり小高い丘の上にあった。教頭先生にご挨拶してお話をお伺いした。もちろん父の勤めていた頃とは校舎も建て替えられ、運動場の位置も変わったそうだ。父は島の南西部、江樋戸港近くの旅館に下宿し、週末熊本の家に帰っていたようだ。学校を辞した後、下宿していたという旅館を捜して江樋戸港まで下りた。港の前の酒屋に飛び込んでたずねてみようと思った。するとラッキーなことに80歳前後と思しきおばあちゃま達がおしゃべりの真っ最中。主旨を話すと、なんとそのうちの一人は父の名前に記憶があると言う。ただ年齢的には父の勤務時期とちょっとズレているので、お兄さんかお姉さんとの接点があったのかもしれない。肝心の下宿した旅館も判明した。現在は旅館は一軒もないが、当時は2、3軒の旅館があったという。そのうち大宮旅館というのがそれらしい。大宮旅館という名前を聞いて母の記憶も甦った。たしかに父から大宮旅館という名前を聞いたことがあるそうだ。いろんな話を聞きながら、20代の父がここら辺を闊歩する姿が目に浮かんだ。こころ優しきおばあちゃま達に感謝!。


現在の上天草市立上小学校(旧上村尋常高等小学校)

 下の写真は上村尋常高等小学校の教職員の集合写真。昭和11年3月の撮影らしい。当時父は24歳、教員になって既に5年ほど経った頃のようだが、真ん中で腕組みをしている小生意気な若手教員が父だ。



父の宿舎(大宮旅館)の目の前には江樋戸港


 上天草市の天草四郎「生誕400年」記念事業PR特命大使の舞踊団花童によるPV動画「天海」。
 ロケが行われた「湯島」は天草島原の乱で天草四郎や森宗意軒らが軍議を行なったといわれ、別名「談合島」とも呼ばれる。また近年では「猫島」としても知られる。