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ほかひびと ~芸能の源流~

2022-10-18 20:01:24 | 伝統芸能
 昨夜の「100分de名著 折口信夫“古代研究”(3)」は「ほかひびとの芸能史」と題して、日本の芸能はどのようにして発展したのかを解説していた。

 常世から祝福の言葉を述べにやって来る「マレビト(神)」。「マレビト」を迎えて食事を出したり歌を聴いてもらったりともてなすことが、一つの形式を生んでその形式というものが日本の芸能の源流となっていった。全国に残る神楽の中で折口が注目したのは長野県の「雪まつり」。翁面を着けた「マレビト(神)」のほかに「もどき」と呼ばれる別の翁が登場する。神の舞を真似しながら意図的に崩し、笑いを誘う。折口は日本の演芸の大きな要素をなすものとして「もどき」役の意義を重くみたいと述べている。近代の猿楽にあててみれば狂言方に当たるものである。そしてその「もどき」のルーツは「ほかひびと」であるとも述べている。

 日本の芸能史の始まりには「ほかひびと」という流浪の民の存在があった。「ほかい」とは「ほぐ(寿ぐ)」と同じ意味を持つ。折口によれば、「ほかひびと」とはもともと神の代りに祝福の言葉を述べる人すなわち宗教者だった。大和朝廷による権力統一や改宗を拒んだりして集落を追われる「ほかひびと」が出てきた。やがて彼らは家々を回って「ほかい」を行い金品を受け取る芸能者の道を歩むことになった。多くの人に「ほかい」を聞いてもらうために祝福の言葉に滑稽の身振りを加えて笑いを誘い、徐々に宗教的なあり方から脱却して行った。一方で彼らは流浪しながら施しを受ける賤しい身分の者として差別を受けたと考えられる。彼らの異様な風体も相俟って、忌み嫌われる対象ともなって行った。折口が雪深い集落で見た「もどき」芸は「ほかひびと」が険しい道のりの果てに伝えたものの一つだった。彼らの生き様は今も日本各地の祭に息づいているのである。

 概ねそんなような内容だったが、番組を見ながら次の二つのことが頭に浮かんだ。
 一つは能楽の原点とも言われる「翁」のこと。昨年3月に熊本でも行われた「翁プロジェクト熊本公演」で初めてナマで見た「翁」における「翁」と「三番叟」の関係はまさに、この「マレビト」と「もどき」の関係に他ならない。あらためて能楽ないし翁の深遠を感じた。


2021.3.9 水前寺成趣園能楽殿「翁プロジェクト熊本公演」~三番叟・揉みの段~

 二つ目は、川端康成の「伊豆の踊子」のこと。「ほかひびと」は後の世の旅芸人や門付け芸人へと繋がっていくわけだが、「河原乞食」とも呼ばれた流浪の芸人たちが蔑まれる様子が描かれている。天城峠の茶屋の婆さんや宿の女将らが旅芸人たちに向ける侮蔑のまなざし。そして村の入口には「物ごい旅芸人村に入るべからず」という立て札。淡い恋物語の向こうに酷い差別の現実が見える。


映画「伊豆の踊子」(1963年 日活)