3年ぶりの復活が発表された「山鹿灯籠まつり」のメインイベント「千人灯籠踊り」。浴衣姿の女性たちが和紙でできた灯籠を頭にのせて踊る幽玄の世界が広く知られているが、今年は規模を縮小して行われる。
「山鹿灯籠まつり」で踊られる曲は3曲。主に踊られるのがこのまつりを象徴する「よへほ節」。明治初期から湯の町山鹿のお座敷唄として歌われていたが、昭和9年に山鹿の旦那衆が大作詞家・野口雨情を招き、温泉町再興のためのご当地ソングとして改作したもの。
2曲目は「山鹿盆踊唄」。戦後、古墳時代の景行天皇九州巡幸に由来をもつ灯籠まつりを、それとは別に行われていた盆踊りと合体させ、今日のような灯籠まつりの形に再構成した功労者の一人、民俗学者で放送作家の木村祐章によって作られた。
3曲目は「米原長者口説き歌」。1300年前、大和朝廷によって築かれた鞠智城(きくちじょう)がある米原地区に、当時から語り継がれている「米原長者伝説」。暮れる太陽を呼び戻し、一晩で三千町歩の田植えをしたという長者伝説をもとに作られたのがこの歌である。
今日はそのうちの「山鹿盆踊唄」を次の二つの映像でご紹介したい。
「山鹿灯籠まつり」で踊られる曲は3曲。主に踊られるのがこのまつりを象徴する「よへほ節」。明治初期から湯の町山鹿のお座敷唄として歌われていたが、昭和9年に山鹿の旦那衆が大作詞家・野口雨情を招き、温泉町再興のためのご当地ソングとして改作したもの。
2曲目は「山鹿盆踊唄」。戦後、古墳時代の景行天皇九州巡幸に由来をもつ灯籠まつりを、それとは別に行われていた盆踊りと合体させ、今日のような灯籠まつりの形に再構成した功労者の一人、民俗学者で放送作家の木村祐章によって作られた。
3曲目は「米原長者口説き歌」。1300年前、大和朝廷によって築かれた鞠智城(きくちじょう)がある米原地区に、当時から語り継がれている「米原長者伝説」。暮れる太陽を呼び戻し、一晩で三千町歩の田植えをしたという長者伝説をもとに作られたのがこの歌である。
今日はそのうちの「山鹿盆踊唄」を次の二つの映像でご紹介したい。