八代には「舟出浮き(ふなでうき)」というアウトドア・レジャーがある。漁船に10人前後の客が乗り込み、漁師の伝統漁法を目の前で見物するとともに、獲れた季節ごとの海の幸を、八代海に浮かぶ無人島に上陸して漁師さんがさばいて料理してくれるというもの。
「舟出浮き」は江戸時代、八代城主だった松井家が球磨川河口で楽しんでいた船遊びに由来するいわば「海のピクニック」。
僕が「舟出浮き」という行事のことを知ったのは10年ほど前のこと。その時ハタ!と思い出した。今から60数年前、父が八代の太田郷小学校に勤務していた頃、教職員の慰安行事に僕も連れて行ってもらった。それが八代海でのイカ釣り舟だった。海に沈めてあった籠を次々に引き上げると中にイカが入っていて、船上へ上がる瞬間に真っ黒いスミを吐く。みんなキャーキャー言いながらスミをよける。そして漁が一段落すると無人島に上陸して弁当を開いた。釣ったイカをそこで食べたかどうか憶えていないが、お土産に持って帰ったことは憶えている。あれが「舟出浮き」だったのだと認識したのはそれから50年以上も経ってからだった。

松井家の御用絵師が描いたという「舟出浮き」の様子(無人島での貝掘りか)

上陸した無人島で小学生の僕と女の先生が記念撮影
「舟出浮き」は江戸時代、八代城主だった松井家が球磨川河口で楽しんでいた船遊びに由来するいわば「海のピクニック」。
僕が「舟出浮き」という行事のことを知ったのは10年ほど前のこと。その時ハタ!と思い出した。今から60数年前、父が八代の太田郷小学校に勤務していた頃、教職員の慰安行事に僕も連れて行ってもらった。それが八代海でのイカ釣り舟だった。海に沈めてあった籠を次々に引き上げると中にイカが入っていて、船上へ上がる瞬間に真っ黒いスミを吐く。みんなキャーキャー言いながらスミをよける。そして漁が一段落すると無人島に上陸して弁当を開いた。釣ったイカをそこで食べたかどうか憶えていないが、お土産に持って帰ったことは憶えている。あれが「舟出浮き」だったのだと認識したのはそれから50年以上も経ってからだった。

松井家の御用絵師が描いたという「舟出浮き」の様子(無人島での貝掘りか)

上陸した無人島で小学生の僕と女の先生が記念撮影