今朝庭に白い花が咲いたように一面霜柱、昨日はウッカリ炬燵の中で寝てしまったので、夜の冷え込みに気がつかなかった。温泉へとんでいき、友達が送ってくれた本を、ぬるめの露天風呂に入って読む、ニ部治美さんの[百の緑の中で]写真も素敵だけれど、作者の花を愛する気持ち、自然にたいする思い、などが綺麗な文書から伝わってくる、「朴の花は神さまの花」と語っているところを読んで、15,6年前日光に、せっせと通っていた、一代目のチワワのデコを、お供に鳴沢の源流に向かって、ブラブラ歩いていた時、沢すじの朴の新緑の美しさに見とれ、そして葉にふれまがら、「どうしてそんなに美しいの」と、木に問いかけ、出来ることならゴクリと呑み込んで、自分の体の1部にしてしまいたい・・・その時の思い、風景が映像となってはっきりよみがえってきた、後になって朴の木は、ものによっては木の中が緑色をしている、ということを聞いて、それが見たくて、欲しくて、あちこち探し歩いたが、見ることも、手にすることも出来なかった、それから10数年たって、旅先で卵形にくりにいた、緑色した朴ノ木を買い求めることが出来、その時の嬉しさ、いまでも時にふれ、手のひらにのせながめたている、春が来ればかならず会えると、思っていた美しい若葉、それが年々強い日差しのため、輝きを失ってきている、とくに表面積の広い、朴、栃、山葡萄、の葉は痛みがひどい、最近では、「急いで夏
濃緑になって」とつぶやきながら新緑の季節を過ごす、心躍る春のはずなのに、心配、不安を感じながら春を迎える、二部さんがこの本を書かれたのは、1987年、20年前、今起きている自然の変化を彼女もなげいているのかな、などなど思いながら、1時間、体はすっかりふやけてしまった。
濃緑になって」とつぶやきながら新緑の季節を過ごす、心躍る春のはずなのに、心配、不安を感じながら春を迎える、二部さんがこの本を書かれたのは、1987年、20年前、今起きている自然の変化を彼女もなげいているのかな、などなど思いながら、1時間、体はすっかりふやけてしまった。