ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

シビレる言葉 AGAIN 8

2017-12-25 06:23:00 | 日記
甲斐さんが初めて俳優としてドラマに出演された後
甲斐バンド・シンフォニーのMCで「俺は腑に落ちてないんだから(笑)」と
ご自身の演技を振り返っておられたそうですが(笑)

納得できないこと、合点がいかないことを表す
「腑に落ちない」の「腑」は「五臓六腑」に使われている通り
内臓全体…(腑は肝、胃や腸など)を指す言葉だし

また、受け容れることのできないことを「呑めない」
感心できないことを「戴けない」
油断がならないことを「食えない」と言ったり
「腹を割って話す」とか「腹を探る」という表現があったりと
「うごめく内臓の波動と魂の波長は
どこか深く『こだま』し合っている」と鷲田清一さん

天草地方の方言で「不気味」「恐ろしい」という意味の
「えずらしか」を取り上げられた際には
「おぞましいの『おぞし』『おずし』が転じて『えずい』となったらしい
京都育ちの義母も吐きそうになると『えずく』と言っていた
『はらわた』から立ち上る語は、いずこでも通じる?」と記されてました

北方謙三さんは「楊令伝」の中で…
「覚悟ってのは、どこかでぽきりと折れちまったりする
納得ってのは、どんなに曲げられても、折れやしねえんだよ
折れたら、折れたところで納得する」
…と元梁山泊軍団の隊長に話させておられますけど

「腹をくくる」より「肚がすわっている」方が強靭というか
「判断」や「決断」と「納得」や「得心」とでは
頭で決めるか、心で決めるかといった違いがあるような気が…

「頭では判っていても、やりたくない」
「判っちゃいるけど、やめられねえ(笑)」って
やっぱり納得してないからなんですよねぇ…(苦笑)

「冷や酒と親の意見は後薬」…その場では腑に落ちないけど
後になってじわじわ効いて来るという諺がありますが

実業家・渋沢秀雄さんは…「冷や酒と親の意見は後から効くと言うけれど
後のことなど構っちゃいられぬ日もあった
ちょうどお燗がつきました」とおっしゃってますし…(笑)

大相撲夏場所初日の結びの一番で
小結・嘉風関が横綱・稀勢の里関を破った後
場所前の稽古中に痛めていた左足ふくらはぎの状態を訊かれ
「みんな、どっか痛いとこ有りますからね」と
暗に、横綱が前場所で左上腕部を負傷したことを含ませて?お答えになり

「納得のいく相撲だったか?」との質問に
「150点です」とおっしゃったのは
相撲の内容がどうであれ「納得できない」と口にすることは
横綱に対して失礼だというお気持ちからじゃないかと…?

余談ですが…かつて、大相撲本場所の表彰式に
「ヒョーショージョー」と片言の日本語で登場されていた
パンアメリカン航空のデビッド・ジョーンズさんをご記憶でしょうか?

53年に始まった「パンアメリカン航空賞」を
廃止しようとした日本総支配人に反対し
NY本社の副社長に「総支配人がやらないなら私がやる」と直談判なさって
61年夏場所から91年夏場所までの30年間、贈呈役を務められた方です

ジョーンズさんは「方言保存運動に興味がある」と
各地で一言ずつ方言を交えて「ヒョーショージョー」を読まれたらしく
66年の九州場所では、事前に口上をローマ字で書いたものに
抑揚の矢印を付けて猛特訓なさった博多弁で

「アンタクサ、ヨーガンバッテ
ヨカセイセキバ…」と披露されたそうで(笑)
奥さんは、そのエピソードを知って以来ずっと
ジョーンズさんのファンでした(笑)

今では、モンゴルを始め、ブルガリアやチェコ、ハンガリーなど
8ヶ国の大使館代表者が「ヒョーショージョー」と読み上げておられるほど
日本の「ファンタスティック」な国技は注目されているというのに
今回の騒動が残念でなりません(汗)

それはともかく「説明」と「説得」はどう違うか?について…
説明は「誰かの頭の中に全く新しいアイデアを積み上げること」
説得は「相手のアイデアを壊し、新たなアイデアに作り変えること」
当然、相手のプライドを傷つけないように
「説得」することの方が難しい訳で

演出家・竹内敏晴さんは…「言うだけ言えばいい
相手がどう思おうと、言いっぱなし…という場合が多いのは
体が他人に向かって開いていないのだ
話しかけるということは、相手に働きかけ、相手を変えようとすること

相手に向かって体が開いていないと言葉は届かず
相手も自分に話しかけられたとは感じない
自分の思いを言うだけでは、会話は成立せず
言葉はただの『つぶて』になるだけだ」と話され

村上龍さんは…「理解し合えるはずだという前提に立つと
少しでも理解できないことがあった時に事態は上手く行かなくなる
対話は、他人と同じ考え、同じ気持ちになるためになされると考えると
いずれかが理解を断念した時、対話は閉じられる

理解できなくて当たり前、むしろ語り合えば語り合うほど
相手と自分との違いが、より微細に見えて来る
それを対話だと考えれば、理解し合えなくても
共に居られる場所は少し広がる」と記されてます

説得する側が、自分の意見を押し付けるのではなく
真摯に向き合って話しかけることによって
説得される側が、その話に耳を傾け、納得しないことには
本当に「説得」できたとは言えないんでしょうね

千利休は「客と亭主はどのような心持ちで茶会に臨めば良いか」と訊かれ
「かなふはよし、かないたがるはあし」
…茶の湯の心に通じた者同士なら良いが
未熟な者同士が向き合う場合、互いに心を窺い迎合しようとするので
共に道を間違う…と答えたらしい

相手の心に叶おうとすることは「へつらい」であり
この「無理」が趣向を作り物にする…とはいえ
ついつい軋轢を避けようと、流してしまいがちなことも…(汗)

でも、いしいひさいちさんが「ののちゃん」の中で…
「『食べれる』は間違いで『食べられる』が正しい」と言う優等生に

担任の先生が「わざわざ正しいって言わなくちゃならないのは
大して正しくないからね
間違いだって言わなくちゃいけないのも
大した間違いじゃないからよ」と話すシーンを描かれていて

昔、甲斐さんが「とるに足らない喧嘩だったら負けなさい、ヤられなさい
けど、セコイ喧嘩には負けたとしても
『ここぞ勝負』っていう時には『殺し合いが出来る男』になりなさい」
…と、おっしゃっていたことを都合よく(笑)思い出しました
コメント
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