ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

可愛い子には旅を…2

2016-03-24 07:23:00 | 日記
前回の記事でご紹介した萩尾望都さんの「福島ドライブ」や
栗本薫さんの「ポップコーンをほおばって」のように
甲斐さんの「可愛い子」をきっかけに誕生した作品も多々あるんでしょうが

何かクリエイティブな才能に恵まれておられる方ならいざ知らず
多くの方にとっては、ご自分の好きなアーティストの曲
もしくは好きな曲の「産みの親」として
「甲斐よしひろ」や「甲斐バンド」に興味を持たれるという流れが
主流なんじゃないかと…?

まあ、奥さんが甲斐さんのカバーされた【サルビアの花】を聴いて
早川義夫さんやジャックスの曲に手を伸ばすみたいな…(笑)

松田聖子さんのファンでいらした小錦さんが
現役時代、雑誌の取材で「いつも聴いてる曲は?」との質問に
「松田聖子と甲斐よしひろ」と答えておられたんだけど

「松田聖子と甲斐バンド」じゃなく「甲斐よしひろ」とおっしゃったのは
おそらく?その「流れ」でしょうね(笑)
ちなみに、甲斐さんもこの記事をご覧になっていたらしく
「思わず見てしまいましたねぇ
正直言って嬉しかったなぁ」と話されてたそうです(笑)

大瀧詠一さんが、聖子さんに提供なさった【風立ちぬ】も
「DEBUT AGAIN」に収録されてるんですが
このセルフカバー音源は、渋谷公会堂で行われた
「ヘッドホン・コンサート」のもので

観客の方は、入場時に貸与されたFMウォークマンで受信した
演奏音源を聴くという実験的なスタイルのコンサートだったこともあってか

「今日歌ったら、一生、二度と歌うことはないだろうという歌を
やってみようと思います」と大瀧さん(笑)
歌の途中で、大瀧さんが笑いをこらえておられるような部分も…(笑)
松本隆さんの歌詞があまりに可愛いくて(笑)
照れくさく思われたのかも知れません(笑)

甲斐さんも【ハートをROCK!】を歌われる際には
少し歌詞を変えていらっしゃいますけど(笑)
1度ならず、ライブでお歌いになっておられるし
去年の名古屋でのクリスマス・ライブで
「今後一生、二度とやることはない」とおっしゃった曲よりは
ハードルが低いってことでしょうか?(笑)

それはさておき…以前にも触れましたが
甲斐さんによると…「ひとりのシンガーがさ、10年、15年歌ってたとしたら
「来た来た」って「歌を歌う自分」を感じられるのは1回か2回だね」

「物凄くてめえ自身がシビアにならざるを得ない時っていうか
てめえ自身が最高のボルテージなんだっていう感じで作った歌
俺の場合、それが【漂泊者】だった訳なんだけど
それでもね、聴く側はやっぱり「ただの歌」としか聴かないからね」

「色んな人の心に残る流行り歌ね…
それはやっぱり、その時の時代のタイミングと
リアリティーのある、なし、で決まるんだろうね
信じさせたり、信じ込ませたりするリアリティー。これなんだよね」

「ただ、そういう歌を作ってる本人は
ハンパじゃなくキツイよね
その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収してさ
最大公約数の無意識っていうもんを
てめえの血と肉を使って表現する訳だからね」

…なので尚更、甲斐さんの方から
その「我が子」を託したいとおっしゃった西田佐知子さんって
ホントにスゴイ歌い手でいらしたんだなあと改めて思います

「ファンだと公言していたら、急に依頼が舞い込んだ」という
【異邦人の夜(シスコナイト)】について
日刊スポーツのコラムに書かれたり
西田さんのご子息・関口知宏さんが
セイヤングに出演なさった時に話されたりしてましたが

「普段だったら、曲を書き上げるとアレンジャーまで指定するんだけど
西田さん相手なので、さすがに向こうにお任せした
レコーディングに立ち会うことになり
遠慮しつつもスタジオにお伺いした」

「初めて会った西田さんは、クレバーさに「ある種の確信」を
ふんわりとした空気で包んでいるといった感じの方で
思った通りの人でした」…って、甲斐さんファンの皆さまには
「あの甲斐さんが?(失礼!)」と驚かれるほどの低姿勢ですよね(笑)

「僕が愛してやまない、ちあきなおみにさえ
確実に影響を与えていると言われてるくらい
今までの日本人にない大きなグルーヴで歌える人」なので

ディレクターの方に「何か一言」と言われても
何度も「大丈夫です」と答えておられたのに
しつこく促されて仕方なく
「いつもの感じで大きいノリでやって下さい」とおっしゃったら
「いきなりスタジオ中に緊張が走り
一挙にピリピリした空気になってしまった」んだとか…(苦笑)

「僕らロックの世界と違って、歌謡界では、作家は大先生なのである
その大先生が吐いた言葉である
重い一言になってしまったという訳だ

普通に歌って下さいというつもりで吐いた言葉だったんだけど
20代半ばの若造に、その場を和らげる知恵はなく
ほうほうの体でフェードアウトさせて貰った」ようですが(苦笑)

関口さんによると…西田さんは、ご自身の最後のシングルとなったこの曲を
大層、気に入っておられたみたいで
ご自宅でもよく口ずさんでいらしたという
このことをお聴きになった甲斐さん
ホントに嬉しそうな声でしたよね(笑)

ちなみに、奥さんがリアルタイムで聴いた西田さんの曲は
【女の意地】だったんだけど(笑)
その後、甲斐さんがラジオで歌われた【東京ブルース】をマスターし(笑)
職場の研修旅行で歌って、年輩の上司の方に
「見所がある(笑)」と可愛がって頂いたらしい(笑)

それはさておき…大瀧さんは自他とも認める
大の小林旭さんファンでいらっしゃいましたが
その小林さんが、大瀧さんの追悼番組の中で…

【熱き心に】のレコーディング作業終了後に
大瀧さんが、ついさっきまで小林さんが歌入れをなさっていた
ボーカル・ブースに入られ、同じマイクで歌われていた(笑)

…というエピソードを披露されてたんだけど
奥さんの甲斐さんに対するのと同じようなファン心理に
思わずクスッと笑ってしまいました(笑)

このアルバムの音源は、その時のものではないか?と言われてるみたいですが
「アキラ本人よりも、往年のアキラらしい
情感を強くたたえた歌声に驚かされる」という解説の通り
万感の思いがこもったような声と共に
嬉しさを堪えきれない大瀧さんの笑顔が目に浮かびます(笑)

余談ですが…
「もういいだろ、新作は」と本音とも冗談ともつかない調子で
よく話されていたという大瀧さん
でも、頭の片隅にはいつも「次」への思いがおありだったという

一昨年の一周忌に向けては、オールタイム・ベスト「Best Always」が
昨年3月には「NIAGARA CD BOOKⅡ」がリリースされ
CMでは、大瀧さんの曲が頻繁に流れていても

「もう二度と新作が出ることはないんだ」と
淋しく思っておられた方々にとって
今回のアルバムは、最後のサプライズ・プレゼントになった訳ですが

奥さんは、栗本薫さんとロバート・B・パーカーが亡くなられて以来
本屋を訪れる楽しみが半減してしまったようだし
やっぱり、甲斐さんにはまだまだ歌い続けて頂かないと…と痛感した次第です
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可愛い子には旅を…1

2016-03-22 07:29:22 | 日記
昨日の記事でチラッと触れた大瀧詠一さんの「DEBUT AGAIN」
曲を流しながら、解説を読んでいると…

「ヒット曲は、それを歌うシンガーのために誂えられた
オーダーメイドのドレスのよう
他の誰にも似合わない、そのシンガーだけのもの

それなのに、そんなヒット曲を作者自らが歌う時
目からウロコが落ちるような感動に見舞われることは多い

オーダーメイドのドレスを着てみたら
その持ち主よりも作者の方が似合ってしまった
…みたいなことかも知れない」とか

「歌詞とメロディは、結婚によって結ばれるカップルなのだ
そして、その作者とは同じDNAを分かち合う親子なのだろう
親元を離れて、様々な場所へと旅をして
ある日、ふらりと親元に戻って来る
かつては、全然似てないと言われたはずなのに
ふとした仕草や表情は、やっぱり瓜二つだなぁ、みたいな…」と書かれていて

以前に甲斐さんがサンストで「人に曲を書くっていうのは
俺にとって、えらく刹那的なことではあるんだよね」
…とおっしゃっていたことを思い出しました

「自分たちのレコーディングの合間にしか書かないという
そういう意味では、かなりスレた作家活動してるんだけど(笑)」と甲斐さん

「自分の歌に物凄く欲がある時は、やっぱり、人のために曲作りするのって
相当、苦になる作業だったりする訳でさ
精神的にかなりな労力とエネルギーを費やすっていうことでね

あの人のために書きたいんだ、と思うような歌い手がいたとしても
どこかで、てめえ自身に対する欲を切って
非常に身を切るような刹那的な所を断ち切って
書かなきゃならない訳だからさ」

「だけど、それとは違う部分で自分に返って来るモノはあるんだよね
人に書いた曲が当たった、と
それが大きな反響と共に、てめえの所へ返って来る、と
そこでもう1回、てめえの中でフィードバック出来る訳だから

可愛い子(曲)には旅をさせろ、と
おお、でっかくなって帰って来たな、と
お父ちゃんもガンバるぞ、と(笑)
人に曲を書くことには、こんなスゴイこともあったりする」と話されてますが

甲斐さんの曲には、甲斐さんご自身が色濃く反映している…というより
正にその時時の「生身の甲斐さん」が描かれている
…と言っても過言ではないと思うし

全部が全部、ホントにあったことではないにしろ
その血や骨や肉を削って作られたものを人に託すことは
それこそ、身を切るような痛みを伴うんじゃないかと…?

大瀧さんは、ご自身の音楽活動とは別に
甲斐さんよりも少し職業作家的…と言ってはナンですけど
プロデューサーとしてのお立場から、ご自身の曲でもって
歌い手の方を押し出すことに重点を置かれていたように感じてたんですが

このアルバムの解説によると…
セルフカバー音源が存在することを
身近なスタッフの方にも告げられてなかったみたいで

かつて、ご自身が憧れていらした
アメリカン・ポップス黄金時代のソングライター達のように
いつかはセルフカバー集を作りたいと思っておられたのかも
この音源がいったいどんなシチュエーションで録音されたものなのかも
全てが謎に包まれているらしい

提供楽曲の大瀧さん歌唱バージョンに関しては
CM用のデモテープや提供歌手の方が歌入れなさる前の「仮歌」などを
聴かれた関係者の方はおられるものの
今回発見された音源は、それらとは異なったバージョンだそうだ

大瀧さんは、ご自身の作品のレコーディングでもボーカル録りの際には
エンジニアの方やスタジオのアシスタントの方も「人払い」なさって
スタジオの照明も暗く落とした中
完全にお一人だけで行われていたみたいですし
レコーディング自体は、今まで通りのスタイルなんでしょうけど

「ひとつだけ違うのは、おそらくこれらは
自分のためだけに歌った自分だけの歌だということ」との一文に
「我が子」との再会を水入らずで楽しみたいという
大瀧さんの「父親」としての姿が目に浮かびました

ともあれ、甲斐さんは「セルフカバー集」という形では
長い間お蔵入りになっていた(苦笑)音源を
東日本大震災の後に書き下ろされた曲と共に
「ホーム・カミング」として発表されましたが

甲斐さんの提供楽曲のほとんどは、アルバムやライブなど
何らかの形で甲斐さんバージョンが披露されてますよね?

奥さんに言わせると…「甲斐さんは、新しい曲が出来たら
きっとすぐに歌いたくなるんだよね(笑)」
それは「その曲がその時の甲斐さんの一番言いたいことだから」なんだとか…

「アマチュア時代のこんな曲でもいいの?」(笑)とおっしゃったいう
【ランデヴー】は、B面の【メモリーグラス】が
先に【氷のくちびる】のB面や「甲斐バンドストーリー」に収録され
【ランデヴー】も後に「My Name is KAI」のツアー特典になったし

鹿取容子さんの【グッドナイト・ドール】のセルフカバーはさておき(笑)
B面の【奴(ギャンブラー)】は「虜」に
高樹澪さんの【ハート】と【オクトーバー・ムーン】は
どちらも「リピート&フェード」の甲斐さんのプロジェクトに収録されてるし

松田聖子さんの【ハートをROCK!】や近藤真彦さんの【ブルー・シティ】
研ナオコさんの【別離の黄昏】や明石家さんまさんの【サンキュー】
竹本孝之さんの【ウィークエンド・ララバイ】に
時任三郎さんの【みえない手のひらで】等も
甲斐さんのソロ・アルバムやライブで耳にする機会があったみたいだし

氷川きよしさんの【人生号】は、確か「解禁前」に「ちょっとだけね」と
内緒で披露されてたようだし(笑)
TOKIOの【ひかりのまち】と【ラン・フリー】は
契約期限が終了するのを待ちかねたかの如く(笑)
「目線を上げろ」に収録されたり
「ずっと歌いたかったんだよね」とセトリに加えられたり…

あっ!甲斐さんが「恋をしたら、曲って書けるんだよ」とおっしゃったのは
この2曲を書かれた時じゃなかったっけ?(笑)

ISSAさんの【Fight the Future】や土屋公平さんの【立川ドライブ】等々も
折に触れ、また時を経て「お父ちゃん(笑)」が歌われてます

そういえば、松藤さんやイチローさんのボーカル・バージョンを
甲斐さんがカバーなさってるパターンも数多くありますけど
「松藤甲斐」で「松藤に返してあげた(笑)」
【きんぽうげ】も立派なセルフカバーですね(笑)

そうそう!余談ですが…
松尾清憲さんの【レイニードライブ】超シビレました♪

一方で、オファーがあっても、レコーディングやツアーで忙しかったり
甲斐さんの琴線に触れられなかった?新・御三家の方や
イメージが湧かないドラマの主題歌や
「ジュリーが好きだからこそ、丁重にお断りした」こともおありだし

「どうしてもという事なので、悩んで、10代の時に書いた曲を渡した
元は50'Sっぽいアレンジなので、その時代のテイストを入れて
少しトリッキーなスタイルで渡したら、見事にボツになった
その話を中島みゆきにしたら、笑い話にされて
後々までパーパー色んなトコで、ずっと喋られてしまった」ことも…(笑)

甲斐さんご自身が「書きたい」とおっしゃっていたのは
渡哲也さんと西田佐知子さんですが

鹿取容子さんについては、サンストで
【ゴーイング・バック・トゥ・チャイナ】を流されたり
サビを口ずさまれたりと、かなりお気に召しておられたようだし(笑)

「シブがき隊のフックンが甲斐バンドのファンらしいですが
アイドルから曲を依頼されたらどうしますか?」との投稿に
シブがき隊の【サムライ・ニッポン】と
【スシ食いねェ!】が好き♪と甲斐さん(笑)

それが廻り廻って「マッチ」になったのかなあ?
でも、当時の近藤さんが「嵐を呼ぶ男」をリメイクなさったこともあり
アノやんちゃ坊主的な「がむしゃらな感じ」は
甲斐さん好みだったんじゃないかと…?(笑)

鹿取さんのレコーディングには立ち会われなかったみたいだけど(苦笑)
高樹さんのアルバムは、プロデューサーに近い形で関わっておられたため?
スタジオで「お手本」を示されたそうで

高樹さんは、仮歌をお聴きになって
【オクトーバー・ムーン】の「ちょっと後ノリのもたれるような感じ」を
「意図的に頂いちゃおうと思いました」と話されてるんですが

奥さんによると、甲斐さんは…
「楽譜の読めない人が、仮歌を聴いて曲を覚えると
意識するにしても、あるいは無意識にでも
歌い方が似てしまうんだよね」…と話され

「だから、そうやって覚えても
自分の歌い方で歌える松田聖子は歌が上手い」とおっしゃってたんだとか…

甲斐さんご自身が、他の方の曲を歌われても
まるで、ご自分の曲であるかのように(笑)
あの「声」と「甲斐節」で歌われる方だからか?
その歌い手の方に対する評価は、音程やリズムの正確さではなく
「持ち味」とか「個性」と呼べるようなものが基準なんでしょうね?

余談ですが…萩尾望都さんが、ご自身の作品集
「新装版 なのはな」のあとがきで
甲斐さんが土屋公平さんのために書かれた
「立川ドライブ」をモチーフになさった「福島ドライブ」について…

甲斐さんが、この曲をセルフカバーされたライブで
「何故か福島のことばかりが頭に浮かんでは消え」
「歌が終わる頃には、これは福島のことを歌っているのだと勝手に思い込んで」

1年後に「福島ドライブというタイトルで描きたい」と話し始められた途端
「甲斐さんは「あっ、いいよ、いいよ」と響くように答えて」

「私が、原発事故のエピソードも入るし
甲斐さんが歌に込めたテーマとズレるかも知れないし
もし、過激なのは困るとか…と、もぞもぞ言い始めると
きっぱりと「何でも好きなように使っていいから」
こういうのを男らしいと言わずして何としょう」と記されてます(笑)

「漫勉」のおかげで(笑)「横長」のコマが並ぶ
「福島ドライブ」を改めて楽しませて頂きました♪

「親元に帰って来た」曲が、再び一人歩きをして
「兄弟」みたいな友人を作ったって感じでしょうか?(笑)

今回の作品集のことをお聴きになって
甲斐さんは「なのはなと一緒の本になるのが嬉しい」とおっしゃったそうです
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最近の番組

2016-03-21 09:28:05 | 日記
先日の「SONGS」素晴らしかったですね♪
大瀧詠一さんが亡くなられて早や3年…
ご自宅のスタジオの中から見つかったというセルフカバー音源を元に
当時のレコーディングを再現しようとの企画に

大瀧さんに師事なさっていた井上鑑さんを始め
はっぴいえんどの鈴木茂さんやシュガーベイブの村松邦男さん
オリジナル曲を歌われた薬師丸ひろ子さんと鈴木雅之さん
長岡道夫さん、安田裕美さん、上原ユカリ裕さんなどなど
大瀧さんゆかりのそうそうたるメンバーの皆さんが集合なさってました

もっとも奥さんは、甲斐さんゆかりの斉藤ノブさんと
難波弘之さんに反応してたけど…(笑)

ともあれ、大瀧さんの代名詞でもある
きらびやかでゴージャスな「ナイアガラ・サウンド」は
大瀧さんの「音圧」へのこだわりから生まれたもので
楽器ごとに録音して、音を重ねて行くのではなく
全ての楽器が一同に介しての一発録り

しかも同じ楽器を何人ものプレイヤーが、同時に弾くことで
音の厚みを作り出すそうですが
アコースティック・ギタリストの古川忠英さんによると
ストロークのアップ・ダウンも「全部一緒、違っちゃいけない」らしい

ストリングスも含め、総勢20名が一発録りと聞いて
甲斐バンドが「ROCKS」を録ったスタジオかな?と奥さん(笑)
天下のNHKのスタジオをナメてます(笑)
でも、甲斐さん達のスタジオも
きっとこんな感じだったに違いないと食いついておりました(笑)

ただ、大瀧さんの声で「探偵物語」が流れ始めた途端にうるうる…
甲斐さんがセイヤングで
「大瀧さんが亡くなられてから、ずっと大瀧さんの曲を聴いてた」と話され
番組でも曲を流された後
「ああ、大瀧さんの声だって思うね」とおっしゃってましたが
その意味がホントに判ったみたいです

この曲を歌われていた薬師丸さんも「(この曲の)曲調もありますけど
切ない感じになりますね」とコメントなさってたんだけど
ただ、ナレーターも務められていた薬師丸さんの声で
大瀧さんの声が聴こえなくなってしまい欲求不満(苦笑)
昨日発売のはずの大瀧さんのアルバム
「DEBUT AGAIN」を一昨日に買いに走ってました(笑)

それにしても、こんな大勢の腕利きミュージシャンをバックに歌われるって
薬師丸さん…ええ度胸してはります(笑)

大瀧さんに憧れて歌手を目指されたという鈴木さんは
かつて、大瀧さんから
「大人になって行く過程を作品の中で表現することが大事
アメリカン・ポップスやドゥワップ
ロックン・ロールだけに固執していたら
オールディーズ・バンドで終わるからね」と言われたと話されてましたが

「成長する過程を見せる」ことを信条になさってる
ロッカーの方に心当たりが…(笑)

シャネルズからラッツ&スターに改名される際に
初めて大瀧さんが書いて下さったという「Tシャツに口紅」は
鈴木さんの「大瀧さんと一緒に歌いたい」との希望により
大瀧さんが愛用なさっていたマイクを隣に置かれ
「いいかな?ワン、ツー…」という
大瀧さんのカウントから始まる音源とのデュオで放映されました

鈴木さんが、まるでそばに大瀧さんがいらっしゃるかのように
隣のマイクの方をご覧になりながら歌い終えられた時
井上さんの楽譜が床に落ちるというハプニングが…(笑)
その瞬間を捕らえていたカメラの映像を見ると
誰かが手で払い除けたみたいな落ち方で
「大瀧さんがいる」としか思えませんでした(笑)
皆さんの笑い顔を拝見した限り
「ヤラセ」ではないんじゃないかと…(笑)

最後は薬師丸さんも加わられ「3人」で「夢で逢えたら」
松本隆さんとの強力タッグで、数々のヒットを飛ばして来られた大瀧さんが
自ら作詞も手掛けておられる曲です

大勢のアーティストの方にカバーされたこの曲のセルフカバー音源を
ご葬儀の準備中だったご家族が見つけられ、出棺の際に流されたという
奥さんの涙腺はゆるみっぱなしで番組終了…

こんな豪華なメンバーで、30分は短すぎると思ったけど
豪華なメンバーだからこそ、収録日の調整が大変だったのかなあと…?

そうそう!佐藤剛さんがご自身のツイッターで
「観る前からお願いしたい。是非、1時間バージョンを作って頂きたい」とか
「フライング気味にテレビを点け、準備していたら
AKB48がキャバクラの話をやってた
あと8分の我慢です」と呟かれてました(笑)
ホントにお好きだったんですねぇ♪

それはさておき、前回のセイヤングで…
松井秀喜さんが子供の頃に通っていらした駄菓子屋さんに
福田和子が来ていたらしいって話の最後に
「寺島しのぶが演るんでしょ?
それが言いたかっただけなんだけど…(笑)」と話されていた
「福田和子・整形逃亡15年」を見ました

当時よくマスコミで取り上げられていた
「逆探知されたら困る、アブナイ、アブナイ」という電話のやり取りやら
「よく手配写真の女に似てるって言われる」と
自ら話していたことなどが盛り込まれていたこともあり
寺島さんの演技力と相まって
このドラマは、ホントの実話なんだという説得力がハンパなかったです

当時は、ナンで次々と騙される男性がいるんだろう?(失礼!)とか
逃亡先に息子を呼び寄せるなんて、どういう神経なんだ?と思ってたけど
それだけの魅力がある女性だったり
愛情深い母親だったりしたのかなあと…?

逮捕されたと知って、面会に訪れた息子さんが
「これで、いつでも好きな時に会える」と話すシーンは
ちょっとグッと来ちゃいました

それにしても、顔を変え、偽名を使い、15年間も逃亡を続け
時効まであと21日で逮捕され、調書にサインする時に
「福田和子」という自分の名前が、見知らぬ他人のものみたいに感じるって
何だか凄まじい人生ですねぇ

続いては「ホンマでっか?TV」に
「フラジャイル」のキャストの皆さんが出演された際
この放送日前に、撮影の様子を見学なさった脳科学や心理学の先生方が
それぞれのご専門分野の観点から
キャストの皆さんの内面を分析されていたことが明かされてたんだけど
それによると、長瀬智也さんは「人たらし」だそうです(笑)

他の共演者やスタッフの方の言動に、いつもリアクションするのではなく
他の方が笑ってる時でも、長瀬さんだけ反応されないことがあるらしく
そうすると、相手の方は何とかして
長瀬さんの関心を惹きたいと思われるものなんだとか…

甲斐さんが「普段、無愛想だと思われてるから
普通に挨拶しただけで、イイ人だと言われる」と話されてるのと
同じような心理が働くんですかね?(笑)

また、長瀬さんご自身は全く無意識の行為だったみたいですが
本来、右利きでいらっしゃるにも関わらず
「右手で取ったものを左手に持ち替える」のは
脳科学的に見ると「ストレスがたまって、ものすごく疲れてる状態」だそうで
左脳を休ませるために、右手ではなく
左手を使ってバランスを取ろうとしているためらしい

甲斐さんが、右に左にマイクを持ち替えながら歌われるのも
単に左利きでいらっしゃるから…だけではないのかも知れません

最後は「ちゃちゃ入れマンデー」の「関西のココがハズイよ!SP」で
「ナンでもダジャレに頼るのがハズイ」との話題になり

「テレ茶店」という喫茶店や「たすけ亭~」というお好み焼き屋さん(苦笑)
「面白い恋人」「こんにゃく発表」などの商品名が紹介され

さらには「チカン アカン」や
「そのバッグ 狙ってますよ 後ろ(バック)から」という防犯の標語まで
「ダジャレ言ってます感をわざわざ演出」しているとか(汗)

奈良県のICカードは、鹿のイラストが描かれた
その名も「CI-CA(シーカ)」で(苦笑)
奈良県民の方でさえ「そこしか頼るトコがない」やら
「ひねり出してそれか」とおっしゃってたんですが(笑)

コメントを求められた博多大吉さんが
「Suicaだって、スイスイ行くカードってダジャレでしょ」と話された後
「福岡の大橋という土地に
巨泉ってスナックがあるんですよ(笑)」とおっしゃった時には
日頃ダジャレにキビシイ奥さんも寛大でした
甲斐さんのお膝元には、点が甘くなるようです(笑)

余談ですが…村松邦男さんが
シュガーベイブ時代についてのインタビューで…

僕たちは、ニッポン放送のスタジオでデモテープを録音したんだけど
そこにティンパニーがあって、その音を入れようってことになった

ところが、皮の真ん中を叩いたものだから、ズボッと破れてしまった
それで止めておけばいいのに
もう1台のティンパニーも叩いて破いちゃった
ティンパニーの皮って、結構値段が高くて、1枚何万円もするんだよね
しっかりと、バレないようにしましたけど…(笑)

その話を思い出しながら「SONGS」をリピートしてます(笑)
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機関紙BEATNIK27

2016-03-19 10:57:10 | 日記
「甲斐バンドライブ10年」特集も残すところ4本になりました
まずは、1980年12月9日の武道館ライブについて
「'81青春カタログ8月号」の記事から…

今年の始めに放映されたNHKの「ヤング・ミュージック・ショー」の中に
甲斐よしひろの凛々しいまでの「若気」が見事に捉えられていた
去年の12月8日9日の2日間に渡って行われた武道館コンサート

9日の日の楽屋…アンコール前に楽屋に戻って来た彼が
何気なくテーブルに置かれた「夕刊フジ」に目を落とした
新聞には一面に「ジョン・レノン射殺される」と報じてあった

ギョッとした表情で、カメラに向かって
取り繕いようのないひきつった笑いをした後
彼はその新聞を両手で破り、部屋の隅のゴミ箱に捨て去ったのだ
そして、ステージに上がった彼は
「逝ってしまったジョン・レノンのために」と一言前置きして
「100万$ナイト」を全身で歌ったのだった

…って、甲斐さん笑っておられましたっけ?
新聞をカメラの方に向けられた後、もう一度じっとご覧になって
「信じられない」みたいに首を振りながら破かれてたような気が…?

ちなみに…当日は、その訃報の詳細を知らず
甲斐さんの言葉に驚かれた方が多かったんだとか…
まあ、ネットニュースなんてない時代ですもんね(笑)

ともあれ、記事は続き…ジョン・レノンを否定したのではない
涙を流して、感傷の中に浸ってしまうことを拒否する
ジョンの死が、自分が全身全霊をかけて乗り越える対象であるということを
瞬時の内に決意して
それを引き受ける…そんな行為のようだった
それこそが「若気」だと思うのだ

ジョンの若い頃もそうだっただろう
「俺たちはキリストより有名だ」と言って、袋叩きに合い
フィリピンでは、ガードマンさえ付けて貰えず
学生たちに包囲されたことがあった

事が起きた後で、フィリピン大統領からの謝罪の言葉に対して
ジョンは「フィリピンに大統領なんていたっけ?」と切り返してみせた

不遜だったのだ。あらゆる権威に対して不遜だった
そして、不遜であることの「落とし前」をつけることがバネになっていた

「ビートルズの時代」という写真集に、リバプールの不良少年だった4人が
時代と共に変わっていく様が克明に残されている
中でも、若かった頃のジョンがいい
ジーンズに革ジャン、全身にバッチのようなアクセサリーをつけて
エルヴィス・プレスリーのポーズを真似るジョンの笑顔には
「若気」の持つ陰と陽が、まるでエルヴィスのR&Rのように踊っている

甲斐よしひろは、武道館の打ち上げの後
込み上げる何かを振り捨てるように
「時代が必要としなくなった奴は死ぬんだ」と吐き捨てていた
若気のなくなってしまったジョンを拒否したのだろう

そして、かつては銃を向ける側だったジョンが、逆に撃ち殺されるという
惨めさとやりきれなさを拒否したのだろう
それは、自分自身の若気に賭けることでもある…と結ばれてます

ただ、その後のサンストで甲斐さんは
「60年代を代表する音楽シーンの幕がひとつ降りた
これは、かなりショックだった」と話されていて
「拒否」というのは、悔しさや無念さの裏返しだったんじゃないかと…?

続いては、1981年9月13日の花園ラグビー場
その前夜に取材された「FMステーション」のインタビューで…

去年、色んなゴタゴタやスキャンダルがあって、感性がボロボロになった
まるで、片足を引っ張られて、剥ぎ取られてという感じでね
そういう状態の中で残るのは
自分の感性を信じていくことでしかなかった

甲斐バンドが、甲斐よしひろが、ものすごく元気になって行くためには
今までの音の繰り返しじゃダメだったんだ
去年までの歌をもう一度、自分の中で爆発させるためには
もうひとつ強力でボルテージの高い曲を作る必要があった

今までのパーカッションの曲は
ストーンズやトーキング・ヘッズのやり方を真似ることでしかなかった
でも、どっちも日本人の血じゃないからね
そういう意味からすると、今回、サウンド的に見たら
日本というより世界的にも例がないパターンじゃないかな?

詞はものすごくシンプル。メロディも詞もバンドの形態も
ギリギリの核で行きたかった
ぜい肉を削ぎ落とした感じでね
俺としては会心の作品だと思ってる
これであと10年間やって行ける自信が出来たもの

俺たち、去年から1年間もヒットシングルがないんだよ
だけど今回のコンサートには、2万人集めた
俺たちは観客動員数では、今や日本史上最高のロックバンドなんだ
でも、それがどうしたって言うんだ?結局、昨日までのことよ

「今回の曲」というのは「破れたハート…」のことだ…と田家秀樹さん
1枚のシングルヒットなどよりずっと
深くて太い繋がりを持ったバンドだという自信に近い認識
それは、この日のコンサートにも充分に出ていた

「最もハードでホットなスポーツ
ラグビーの汗が俺たちにはピッタリ」ということで決まった会場
1曲目の「破れたハート…」で総立ち、2曲目の「翼あるもの」では
1万人以上が一斉にステージ前に殺到、失神者が続出
上空には、常時数百枚のビニール座布団が舞うというパニック状態になった

このコンサートを見ていたある評論家は、客席の熱狂を「混乱」と呼んだ
それに対して甲斐よしひろは
「腹の中では、もっと来い、もっと来いというようなことを
呟いてたみたいな気がする」と言っていた

ここ10年の日本の野外コンサートの中で
アーティストサイドが「暴動」という表現を使って憚らないコンサートは
唯一これだけと言っていいかも知れない…と書かれてます

別の記事によると…「混乱」とおっしゃった方々は
「いつも客席全体を強姦するつもりだから」という
甲斐さんの言葉がお気に召さなかったらしく
「熱狂」と呼ばずに「混乱」と呼び
コンサートの「手落ち」と表現されたんだとか…(苦笑)

「コンサート会場のゴミを拾えば、全て美徳になるって、どういうことだと思う?
ゴミ拾いとコンサートとは関係ないはずじゃないか」と甲斐さん
ロックコンサートをも「茶の間」の価値観でしか見られないマスコミ
「ゴミを拾う」という「美徳」がないと
コンサートそのものを評価できない評論家たち。甲斐は拒否すると記され

9月18日の新宿厚生年金での抜き打ちコンサート(笑)で
甲斐さんが「花園は素敵でした」とおっしゃった後
「コンサートにルールなんてないと思う
ステージは俺たちの生きる場所で、客席はみんなの生きる場所だ
俺はここで死ぬ気でやる
みんなもそこで目一杯やって欲しい」と話されたことについて

「客席とステージ、この立場さえ崩さなければ
どんなに騒ごうと構わないという彼の言葉は
花園の「共感」を「混乱」としか表現できなかった
マスコミへの挑発でもあった」と結ばれてます

ゴミじゃないけど、花園の終演後にビニール座布団(笑)を拾ったのは
奥さん達だけじゃなかったようだし
かつて、紙テープの「後片付け」をなさった
吉田昌佐美さんみたいな方もいらっしゃるんですけどね(笑)

それはさておき、その新宿ライブは
「1週間前に新聞とラジオで1度だけ告知されただけである」と亀和田武さん

亀和田さんの推理(笑)によると…
「いつも同じ顔触れのファンに最前列を占拠されている状態が
長い間続いていたんじゃないか?
そしてその見慣れたファンのリアクションに
バンド側が食傷し始めたのではないか?」ということで
「いつも後ろにいるファンにも最前列で見るチャンスを…といった
人道的な配慮もあったかも知れない」んだとか…(笑)

まあ、実際に皆さん大慌てでチケットを買いに走られたみたいだし
いつもは1階の前方だった方が
この日は2階席という「シャッフル」が起こったそうです

ただ、奥さんは、甲斐さん流の「テーゼとアンチテーゼ論」にのっとって
数万人規模のライブの後には
いつものホールに戻ってやりたいという意味もあったんじゃないかと…?

「花園のステージでレゲエ調に生まれ変わった安奈は、1度きりで終わり
翼あるものがラストナンバーに、漂泊者が最後の最後に演奏され
オープニングを100万$ナイトで飾るという
大胆なプログラムだった」との記事もあり
花園を体験できなかった方への「救済」とは違っていたのは確かですね

ラスト1本に選ばれたのは、82年6月17日の品プリ・ゴールドホール
人工芝を敷いただけ、椅子なし、ロープが張られたコンクリートむき出しのホールで
半年間の休業明けのツアー初日、甲斐さんは
「初めて半年間のインターバルを取って、この場に出て
どれだけの照り返しを得られるか、そればかり考えていた
インターバルを取った甲斐がある」と話され

「新譜ジャーナル9月号」の記事にも
アンコールの「観覧車'82」を最後にホールの照明が点いて終了…と思ったら
そのままの状態でメンバーが再び登場
もう一度「破れたハート…」を歌い始めた
このライティングも何もない
ステージまでむき出しの演奏を引き合いに出すまでもなく
今まで以上にダイレクトなステージではなかったかと思う
ガレージで演奏することは誰もが出来るが
広い会場をガレージのように感じさせてくれるグループは滅多にいない

ステージと客席がお互いに「半年間待って来た
そして、今、ここにいる」という思いを分け合っていたに違いない…と記されてます

この初めてのオール・スタンディング形式については
甲斐さんの「海外でやってるのに
日本ではなくてオカシイと思っていた」との言葉に始まり(笑)
ディスクガレージの中西健夫さんが奔走なさって(笑)実現した訳ですが
これが後の飛天ライブに結びつくんだから
やっぱり甲斐さんって「持ってる」んですよね(笑)

さて、この「ライブ10年」企画の最後に田家さんは
大会場でのイベントと地方のホールと
本質的な意味で、客席とステージの関係は変わらないから
これ以外のコンサートにも様々なドラマがあったはず
ただ、やはり際立って目立つシーンがいくつかあり
ここに取り上げたのは、そんな特筆モノの場面だ

「伝説」というのは、体験した者が体験してない者たちへ語り伝える中で
生まれて来た話で、そんな話を伝えて行く語り部たちは一人ではない
甲斐バンドには、全国の会場に自分の言葉を持った語り部たちがいて欲しい

雑誌の性格もコンサートと同じく、その時だけのものかも知れない
始めから残そうと思って作られてはいない
だからこそ、そこには「現在」がある
こうして抜粋してみると、甲斐バンドのその瞬間の息使いが伝わるかも知れない

甲斐よしひろは、終わってしまったコンサートの話をほとんどしない
だからこそ、その時その時の「現在」を語った雑誌の
インタビュー記事に意味があるのではないだろうか…と結ばれてます

地方の語り部から聴いた話や資料をもとに
ゆるゆる書かせて頂いてることにも
多少は意味があるのかなあと…(笑)
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機関紙BEATNIK26

2016-03-18 07:59:36 | 日記
「甲斐バンドライブ10年」特集にピックアップされた11本のライブ
6本目は、1979年9月2日のNHKホールです

FMファン9/17号の記事には…奇妙な胸騒ぎがした
それは圧倒的な期待感でもあり、唐突であるがゆえのとまどいでもあった
甲斐バンドがNHKホールでコンサートをやるという
そして、そのライブをFMとNHKテレビ(!)で放映するという

「なぜ、テレビに出る気になったのか?そして、なぜNHKなのか?」
こういう問いかけ方はあまり愉快ではないだろうとは思ったのだが
彼はストレートな姿勢で答えをくれようとした

「俺たちが、どういう顔をして、どういうことを思い
どういうバンドであるかということを多くの人に知って欲しい
これは早くから思っていたんだ
だから、デビューした頃は何回かテレビに出たこともある」

「ステージでの息づかいを理解してくれて
俺たちのテレビへの不信感を打ち破ってくれる人と出会えたら
いつだってテレビに出る気はあった」

「彼がやろうと言ってくれるのなら
失敗しようとどうなろうと、やってみようと俺は思う」
あの甲斐よしひろを、これほどまでに突き動かした「彼」とは
NHKディレクター、湊剛さん

湊ディレクターは「サウンドストリート」や
テレビの「ヤングミュージックショー」などを担当し
NHKがニューミュージックやロックの分野で時代に取り残されなかった
いや、ある意味で先駆的な役割を果たし得たのは
この人の力に負うところが大きい

「番組は、関わっている者のやり方、考え方が入らなければならないと思う
私は、シングル指向の番組しかない中で、LP指向のテレビ番組を作りたい
人生も、目まぐるしいシングルではなく
LP指向の生き方をすべきだと思うから」

「収録のための準備は、今までのどのコンサートよりも
コミュニケーションが上手くいった」
それから、と湊さんはニコッと笑い
「俺たちは、35歳と26歳とで、男と男の戦いをやっているんだ」…と記されてます

サンストの放送中に、甲斐さんが
「俺をジュークボックス代わりにして歌わせる」とか(笑)
「俺じゃなくて、湊剛が気に入ってる曲をかけます」とか(笑)
度々、そのお名前を口にされたり

「HEROは1位になったのに、感触はどこがダメなんだろう?」と
「怒ってるみたいに」疑問を投げかけられ
「突然来て、突然帰って行った」り(笑)
公私に渡って、おつき合いなさってたんですよね?

このライブ番組の中でも、湊さんがインタビュアーを務められ
「俺たちがテレビを拒否してるんじゃなくて
テレビが俺たちを拒否してるんだから
コンサートをキチンと伝えて貰いたい」という
甲斐さんの考えに応えておられました

ただ「一番問題になったのは、音のことでしたね。うるさくないか?
それに、会場を壊したりしないか?…大変でした」と湊さん(苦笑)

かつて、泉谷しげるさん達のコンサートに
NHKホールを使われたのが湊さんで
その時にトイレットペーパーを全部ホールで放り投げられたらしく(笑)
それ以来、ホールの使用が出来なくなってしまっていたため
「甲斐バンド」という「反社会的なイメージを持たれていたバンド」が
NHKホールでライブをやるのは「すんなりと行かなかった」ようです(笑)

でも、イチ一般視聴者としては、ホールの使用云々よりも
NHKのスタジオではないにしろ、国営番組(笑)のイベントを
「ベストテン」の生中継に開放することの方が
もっと大変なことみたいに思えるんですけど…?(笑)

余談ですが、別の雑誌記事には…
甲斐よしひろに言わせると
コンサートでアーティストと観客が一体になるなんてあり得ない
ライブはエネルギーの燃焼のし合いなんだそうだ

1年ほど前に同じNHKホールで、デビッド・ボウイ公演があったが
会場の熱気は、その時をはるかに上回るエキサイティングなもので
クィーン、ロッド・スチュワート、ビリー・ジョエルなどに
充分、匹敵するものであった

次々とぶつける味わいのある甲斐の歌を聴いていると
日本のロックのエキス、存在感を感じるのである
演出、ステージの飾り、一切なし。ハッタリもなし
ただひたすら演奏し、歌い、聴かせる
春のツアーよりも荒々しかったという印象
甲斐は変に落ち着いてしまうより
荒々しければ荒々しいほど新鮮でパワフルである…と書かれてるんですが

長岡さんがツアーを休まれることになり
セッション・メンバーがいらしたとはいえ
デビュー以来初めて、メンバー3人だけでステージに立たれた訳で
その戸惑いを吹き飛ばす意味でも気合いが入っておられたんでしょうね?

続いては、1980年8月10日の箱根ピクニック・ガーデン
新譜ジャーナル11月号の記事より…

いきなり「漂泊者」で始まるなんて思ってもみなかった
この作品(うた)でスタートすることは危険だということは
誰もが判っていたはずなのに
甲斐バンドは、あえてそれをやってしまった
ファンの興奮は予想以上に凄まじい
もう頂点に昇ってしまった奴がいっぱいいる

僕が心の中につけられた傷跡として、今でも思い出せるのは
後半の最も盛り上がった「ポップコーンをほおばって」の最中に
甲斐が突然、ギターのネックを持ち、地面に叩きつけ
そのギターが真っ二つに折れた瞬間
僕の胸は異様な痛さを味わったということ

さらに、2度目のアンコールの際に歌われた
「漂泊者」がすごくクリエイティブで、そのメッセージだけが
針のように胸に突き刺さって来たことである

奥さんには知る由もなかったんだけど
当時の甲斐さんは、結婚生活が破綻してしまわれたことは元より
それを「口に出来なかったことの方が苦しかった。限界だった」そうで
後になってから、文字通り「血を吐く思い」で
この曲を歌われていたことに気づき、かなり落ち込んだらしい

この書き手の方は…
甲斐バンドのファンは誰もが変な連帯感など存在しえない場所
(そう誰もが独りという立場)で
甲斐よしひろの歌を「自分の歌」として叫ぶ勇気を持っている
だからこそ「漂泊者」のリフレイン「誰か俺に愛をくれよ」の部分を
全員が総立ちで歌っても全然気持ち悪くないのだ…と記されてます

以前にもご紹介しましたが、別のインタビューでは…
1年くらいかけて準備しないといけないと言われる規模のイベントを
3ヶ月足らずで準備なさって、なおかつ「絶対に成功させようと思った」ことで
「不安でいっぱいだった」と甲斐さん

「前の晩まで、俺、気負ってたんだ
ものすごく気負った漂泊者を歌おうと思ってた
そのまま突き進んだら、ああいうステージにならなかったと思うよ」と話され

前夜のリハーサルを終えられた後に
徹夜で開演を待っていらしたファンの方々を見かけられ
「ホテルに帰ったら、気負いなんて全くなくなっていた
カッコつけてやろうなんて思わなくなったんだね
ただ一生懸命歌えば、それでいいんだと思ったんだ」とおっしゃってました

MCが少なかったことについても
「初めてのビッグイベントだから
何か喋ろうかとも思ったんだけど
結局、よく考えたら喋ることなんて何もないんだよね(笑)

僕らが伝えなくちゃいけないことは
このイベントが今日、今晩、ここだけでしかやれないものなんだってこと
それだけだった。それには言葉なんて要らない
ハートが伝わればいいと思った」と答えていらっしゃいますが

先の記事には…甲斐がアンコールで出て来た時に言った
「今日と同じステージを、このスタッフで、このメンバーで
何年続けられるか判らない
もしかしたら、あと2年で力尽きるかも知れない
でも、俺たちはギリギリまで、ぶっ倒れるまでやるからね!」という言葉が
僕の心に今も響いていると書かれてます

長岡さんが休養から復帰されることなく、甲斐バンドを脱退なさった時
春のツアーでの「最後の長岡さん」を記憶に刻めなかったことで
奥さんの「今夜限り感」が切実になり
それ以来、こういったイベントだけじゃなくて
同じツアーの中でも毎回それぞれのステージを
じっくりと味わおうと思ってるみたいなんだけど

いかんせん、熱狂してライブにどっぷりと浸り
せっかくの記憶がぶっ飛んでしまうというジレンマが…(笑)
まあ、甲斐さんも「良いライブは忘れるようにしてる」そうですし
ホントに大事なことは、自然に記憶に残るとの説もあるらしいしね(笑)

余談ですが、記事の最後に…
手元にこのイベント当日のデータのメモがある
舞台設営が、4トントラックのべ40台、クレーン車2台
260人の人員が、3日間かけて行われた…(中略)とか

スタッフが全員で500人で、客のツアーバスが300台で
総観客数が24000人だ…といったことが
ズラーッと書かれてあるんだけど
こんなものが人の心を動かすものじゃないことは、とっくに知っていた

…と記されてますが、奥さんは
そういう「規模」だけで語られることについての言葉だとは思うけど
甲斐さん達が良いライブをするために
これほど大勢のスタッフの方々が、見えない所で
ステージを支えておられたことは、ちゃんと書いて欲しいんだとか…

確かに、記事には触れられてませんが
このイベントの前だけでなく、ライブが終わった後にも
大変な撤去作業がおありだったんでしょうね?
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