ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

バンドやろうぜ!その31

2015-02-11 20:28:19 | 日記
昔の甲斐バンド時代や当時のバンドについてのインタビューで
甲斐さんいわく…

(花園ライブの後の記事で…)
バンドが大きくなると目的があやふやになったりするでしょう
俺たちはものすごくハッキリ目的を掴んでいた

後は『いい曲を書けばいい』ということだけ
俺たちが終わる時は、曲が書けなくなった時です

(ニューヨークでのレコーディング中に…)
『バンドをやめよう』と思ったんですよ
でもメンバーのことを考えた時に『やめられないな』と…

自分の脆さに自分でガックリきたけどね
『俺って優しいんだな』って(笑)
それまでは自分のことを『ひどいヤツ』だと思ってたから…

僕は表現で、諦めたりするようなことは絶対に嫌だし
出来る限りやってきてないんだけど
それは諦めざるを得なかった幾つかの内の一つですね

今思うとそうして良かったと思うけどね
表現というのは情愛もその裏付けの中にないとダメだからね

(BIGGIGの後には…)
僕ら、こういうイベントって3回目でしょ
だからすぐ休んだよね、休むのが一番いいって

だけど結局、ライブとビデオの編集に呼び寄せられたけど(笑)
実質、3日しか休んでないから
ウチは明るい母子家庭よ、ホントに(笑)

そのミックスダウンの時にあるトラブルがあって
僕は、テープにハサミを入れて繋ごうって言ったの
そうしたら大森が『これは歴史だから、ハサミを入れない方がいい』ってハッキリ言ったわけ

その一言にものすごく凝縮されてるよね
スタジオの一同納得したっていう
逆に言うと、ハサミを入れちゃいけないような歴史を
これからも作っていかなきゃいけないってプレッシャーを持ってるんだよね

(12年戦争についてのインタビューでは…)
まだ武道館にさえ手が届かない頃に
『日本で初めてのスタジアムバンドになろうね』ってハードルを設定して
スタジアムクラスの会場でライブが出来るようになった訳じゃない

そのハードルを超えると、後はロックイベントを
どこで、でかく、しかも鮮やかにやるかってことでしょ?
そういう意味では、過酷なミーティングをするバンドだったよね(笑)

だから、解散の時は『ああ、ここから解放される』って…(笑)
設定しているクオリティが高いし
さらにどんどん高くしていってたからね

(年末の武道館ライブについて…)
10年続いたら、ある種の重要な意味合いは出て来るだろうけど
別に記録を作るためにやってる訳じゃない
タイトルホルダーになりたいためにやってるんじゃないからね

(GUTSについてのインタビューでは…)
結局、人間5年後、10年後を考えた時にさ、空恐ろしくなるのは
このままずっと同じことを続けていくのかって思うことじゃないですか

甲斐バンドが解散したのは、ギタリストの耳の病気
しかも彼は僕の番頭だったんで
もうこれはこのまま続けても意味がないって大前提があった

と同時にもう一つは、ずっと同じ状態が続くのは恐ろしいと思ったからね
でも最後に『ホントにやめちゃうの?』って言ったのは俺だったんだけどね

やりたいことはやって来たし、展開は自分でもすごく納得してるけど寿命ってあるんだよ

そして10年目の再結成については…
そもそもは、アンプラグドをやるんだったら
『どうやって』『誰と』やるか?ってところから入って行ったんだけど

日本ってまだまだ未開拓でしょ、色んな意味で…
若いミュージシャン達って、アンプラグド全然うまくないじゃん

今回、甲斐バンドでアンプラグドやろうと思ったのは
すごく武器になる部分だったから
だって、35、6歳から上でないと
生ギターの鳴らし方を知らないんだよ

今の20代って、いきなりアタッチメント付きのエレキから始まってるでしょ?
俺たちの世代は生ギターからエレキに移って行ったからね
だから余計にアンプラグドがいいと思ったんですよ

『ビッグ・ナイト』に入れる曲は
俺たちが『今一番やりたい曲』というテイストで選んだ
どこからやっつけても『今の時代』に通用するっていう

それが一番大きな衝動を生むし
結果的にすごくインパクトを持つことになるからね

過去にレコーディングして一回身体に入ってるとはいえ
全編アンプラグドで、半分はアレンジし直してる

一発録りにしたのは、逃げ場のない状況に自分たちを追い込むことで
闘争本能に火を点けようというのがあったんだ

10年前に解放したけど、メンバーはみんな現役で音楽業界で『生きている』
キャリアをどんどん積んでいくと
緊張感で自分を追い詰める怖さみたいな所から出発しないとダメなんだよ

『甲斐バンドが出来なかったことややり残したことを
今回やろうということはなかったか?』との質問に

大森さんは『やり残したことはないよ』
松藤さんは『やりきったから解散できたんだから』と答えておられますが

甲斐さんは『個人的な思いの部分ではね』と同意された上で
『やっぱり曲によっては残念賞って感じのトコがある訳ですよ』とおっしゃると

大森さんいわく…
ピッチャーが4球目に内角へ投げたらホームラン打たれたのを
10年経っても覚えてるみたいな…

そうそう、だから今度は外角に行くか?もう一回同じところに行くか?と甲斐さん(笑)

実はこういうことって勝ち負けなんですよ
だから遺恨が残ってるの(笑)
当時プロデューサーも兼ねてた訳ですから、アレンジがどうとか
もっといいやり方があったかなあとか、ずっと残ってますよ

もう一度、大森さんのステージ映像を見ようと思います♪
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バンドやろうぜ!その30

2015-02-10 19:45:59 | 日記
1996年の甲斐バンド復活は
KAI OFFICEのお花見から始まったそうですが

そもそものきっかけは
東芝EMIのディレクターの方がおっしゃった『解散から10年』という言葉に

甲斐さんが『何かやるんだったら今年しかないな』とつい(笑)反応なさったらしく

ご自身のモチベーションがまだ高まらない内に
いつの間にか周りに城壁が巡らされていて逆に焦ったと甲斐さん(笑)

21周年の武道館ライブには
『ガキんちょの頃に甲斐バンドを聴いてた』業界関係者の方が大勢来られてたみたいで

『すごくちゃんと球を投げ込まないと
コイツら許してくれないんだよな』という気持ちになられたそうだ(笑)

解散についてのインタビューで…
甲斐バンドは『青春の切り売り』というのをちゃんと演り
そこが100万人以上の人に共有されるべきものだったことによって
ブレイクしたバンドだと思うんですよ…と話されてますけど

甲斐さんが『再結成』をただの『同窓会』になさる訳もなく(笑)
当時、ストーンズやKISSの新作をお聴きになって

『時代がどんどんレアに向かっている』と感じておられたこともあり
『ドライブ感あふれるアンプラグド』なら絶対できると思われたという

各メディアのインタビューには
『20年後に集まろうとしてもメンバーが死んでたり
行方不明になってたりするかも知れないから』と
ジョークを飛ばしていらっしゃいましたけど

その前に大森さんがお倒れになっていたことを知ってしまうと
何とも切ない言葉だなあと…

ともあれ、キムチ鍋を囲んでおられる最中には
本題を切り出されていなかったらしいんですが

甲斐さんいわく…
大森さんって甲斐バンドの番頭だったんですよ

番頭とボスが会うというのは『意を決する』…と言うと
ちょっと力み過ぎな言い方ですけど

グッとケツの穴しめるような気分で行かないと…みたいな感じがあって
それは昔から節目節目の時にそういう風にしてましたから…

甲斐さんとお会いになるのは久しぶりだったけど
『すごく居心地が良かった』と大森さん

甲斐さんのオフィスの方の分が足りなくなるほど
キムチ鍋を召し上がったらしく
甲斐さんが『もうちょっと買って来て』とおっしゃったら

大森さんいわく…もう食べれんよ(爆)
ピュアなところは健在だったみたいですね(笑)

甲斐さんによると…
九州の方が『ラテン系』と言われる中には
『シャイなトコをはしゃいで隠す』ような部分があるそうで

『大森さんがガーッて食ってるのは優しさなんだなあ』と思われたんだとか…

イチローさんは甲斐さんから『話がある』と呼ばれた時
どんなプロジェクトやどんなレコーディングで
プロデュースかギターを頼まれるのか?と想像されて
気が重い部分とワクワクする部分がおありになったそうだけど

甲斐さんの10年とご自身やメンバーそれぞれの10年のズレを
どう一つに合わせるのかという重荷は

『一発録音に近い形で肉が見えるものをやりたい』との甲斐さんの言葉で
ワクワクの部分が圧倒的に勝ってしまわれたらしい(笑)

キムチ鍋から1週間後に選曲、その1週間後にはもうレコーディング
新曲も含めて16曲を2週間で録り終えられたという

ちなみに、お花見に参加されてなかった(笑)松藤さんは
甲斐さんに『レコーディングやるから』と言われて
『いつから?』と訊ねられたら…『一週間後』『ウソ!』だったんだとか…(爆)

甲斐さんいわく…

どんなレコーディングでも熱狂の中にずっといる訳よ
でも、その熱狂の種類がずっとやって来たバンド特有のものなんだと思う

後でダビングすれば良いんだっていう通常のレコーディングとは違うじゃない

そうすると1日3曲一発録りで録ると
エンジニアから誰から皆フラフラなんですよ
だからね、一つのポイントに集中できるくらい
みんなが男気を出してくれたことと
すごく大人の生き方をやったんだと思うんです

イチローさんは…気持ち良いけどものすごくキツイよ
いつも12時頃には終わってたけど朝までやったよりも疲れてたねと話され

『明日は今日みたいに上手くいくと思うんじゃないよ』と
ご自身を戒めておられたそうだ

一発録りだから失敗できない
でも、失敗できないぞ!と思い過ぎてもダメというやり方が
バンドの空気をしみじみさせなかったんじゃないかと甲斐さん

若い頃はみんなカッカしてたけど(笑)そういうところもないし
みんな10年を色んな形で戦って来たんだろうなって部分と
10年なんてなかったような部分が
絶妙に入り交じった空気がずっと続いてるんですよと話されてます

大森さんは…昔の曲をやってるって感じじゃなくて
全曲新曲って感じだったとおっしゃってるんだけど

10年間プロデューサーとして、音楽に関わって来られて…

『ナンでミュージシャンが音楽をやるかっていうと
やっぱり自分でやる音楽が一番いい音楽だなと感じるからなんだなあ』と実感なさったそうで

このレコーディングは『楽しくて面白くて
すごくいい音楽をやった気がする』んだとか…
やはり根っからのギタリストでいらっしゃったんですね♪
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バンドやろうぜ!その29

2015-02-09 17:55:51 | 日記
『GUTS』ツアー大阪公演のMCで急遽発表され
その翌日にバナナホールで行われた『害バンド(笑)』ライブ

その数日前の名古屋ライブで
甲斐さんが『いつかどこかで…』とは話されてたそうだけど

『明日ってか!?(笑)』に始まり、帰り際のチラシ争奪戦と真夜中の電話攻勢(笑)
当日の入場順をめぐるモロモロを踏み越えて参加した奥さん

甲斐さんが上手側に置かれたロッキングチェアに座られてたり
松藤さんと鎌田ジョージさんが、ステージでタバコを吸っておられたり

ライブ内容の緊張感とは裏腹に
リラックスなさった様子が新鮮だったらしい

ちなみに、松藤さんは甲斐さんのMCに慣れておられるので(笑)
次の曲が始まる前にタバコを吸い終わっていらしたようだけど

鎌田さんは火を点けた途端にQを出されて
ギターの弦にタバコを挟んだまま演奏なさってたんだとか…(笑)

鎌田さんは、21周年の武道館の打ち上げで
松藤さんと親しくなられたそうですが

そのリハーサルの時に甲斐さんと松藤さんが『取りあえず歌ってみようか』と
10年ぶりに生ギターで合わせておられたのをご覧になって
『バンドは怖いよねぇ』とおっしゃったという

で、打ち上げの『酒飲み話』から『害バンド』が始まったみたいで(笑)
それが『大阪で何かしたい』という
前々からの甲斐さんの意向と結びついて実現したようです

今ではアコギスタイルのライブもすっかり定着してますが
当時の奥さんは『こんな狭いトコで甲斐さんが生ギター1本で歌ってる♪』と

しかも、プロレスラーのように(笑)客席を通って登場されたらしく
見たこともないくせに照和時代の甲斐さんの姿を想像して
勝手にコーフンしておりました(笑)

松藤さんは、ご自身がレコーディングに参加されてなかった
『GUTS』の中の曲の『歌詞が不安』だったそうで
新幹線の中で何十回も聴き直されたんだとか…(汗)

害バンドは『清く正しくハモりたい(笑)』と結成されたらしいので
さぞかし大変だったでしょうね

甲斐さんは『カラオケで練習したからバッチリ(笑)』だと
以前からお好きだった【そして僕は途方にくれる】や
【千鳥橋渋滞】などのカバーを歌われ

『このバンドはレパートリーが増えるとかえってモメる(笑)』とおっしゃいつつも
『大人が真剣に遊んだらどんなに怖いか
それを知らしめるためのバンドだから』と笑っておられたそうだ(笑)

後日の甲斐報によると…
2時間20分のオールスタンディング・ライブで
酔っぱらっちゃった方は女性で
のぼせて倒れてしまわれたのは男性だったんだとか…(笑)

ちなみに、終演後
奥さんはKちゃんとホール前の喫茶店でお茶していて
正面入口から甲斐さんが出て来られるのを発見(笑)

慌てて会計を済ませながら、表を見ると
甲斐さんがホールの外の階段で足を滑らされたそうで
思わず店内で悲鳴を上げてしまったらしい(汗)

花園の打ち上げの時も階段から落ちたとおっしゃってたけど
昔、東京駅で『20段落ち』のご経験もあるんだとか…(汗)

『ホントによくやるんだよ(苦笑)でも、フィニッシュはちゃんと立ったよ』と甲斐さん(笑)

『ステージ上では目が悪くても集中してるから大丈夫』だそうですが
奥さんから何度か『転倒』の話を聞いたような気が…(苦笑)

それはさておき、甲斐さんいわく…
『GUTS』ってアルバムを作った時に
自分のプロジェクトの体制が出来たと思ったのね
チームとして非常に有効で大人のチームだから
そこに一番最初に松藤を引き込んだのね

松藤さんは甲斐さんのソロの作品を『斜めには聴いていた(笑)』ものの
『歌が素直に飛び込んで来なかった』のが

レコーディングやステージを手伝うようになられて
『ものすごくストレートに見開いて歌う人になった』と驚かれ

『こんな甲斐さんだったら一緒にやりたいなあ』と思われたんだとか…

実は、害バンド結成?の酒飲み話の際に甲斐さんから
『甲斐バンドやるの、どう思う?』と訊かれたという松藤さん

大森さんやイチローさんが招集された『キムチ鍋』には
呼ばれなかったそうだけど(笑)
再結成の最初の一歩に深く関わっておられたんですね♪
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バンドやろうぜ!その28

2015-02-08 20:34:53 | 日記
アルバムを作った後にはライブをやるもんだと
自分の中でオートメーション・システムになってると甲斐さん(笑)

28歳から身体を鍛えておられるのもライブのためという部分があるそうだけど

甲斐さんいわく…確かに若い頃と比べると
勢いとか瞬発力やスピードは、やはり徐々に落ちてるんですよ

じゃ、それを何でカバーするか?
でも『カバーする』って思うのイヤでしょ
それで僕は球のキレを増すんだって考え始めたの

150キロ投げられたのが、145キロしか投げられなくなったら、キレをどれだけつけるか
ストレートを見せ球にして違う球で打ち取るとか…
ただ、絶対ストレートで行くんだっていうのがいまだにあるんだけどね(笑)

長い間やってると、やっぱりへばりますよ
へばる時間がドンドン増えて来てる…ということは
逆に集中する時間も濃厚になってるんじゃないかって感じがする

それが音楽にだけ向いてればいいんだけど
酒や麻雀って趣味に走っちゃう人もいる訳ですよ(笑)

でも出来るだけ音楽に集中した方がいい…というのは
好きなことをやっていかないと長く持たないんだよ
商売だと思ってやってると絶対に長く続かない

水泳を続けておられるのも義務じゃなくて
『好きだから』続いてるとおっしゃってますが
ナンか話がグルグル回ってますね(笑)

甲斐さんが『夏休み』や『冬休み』を取られなくなったのは
この当時の活動の勢いや流れによるものだったようだけど

『休み』とはいえ『切り替えが上手い』甲斐さんでも
頭の隅では常に曲のことを考えておられるらしいし

その間にご覧になった映画や舞台、読まれた本、会われた方々など
全てが仕事に結びついて来る『因果な生活』なんだとか…(苦笑)

奥さんによると…昔は無理矢理『日曜日は休み』に決めて
好きなことだけやろうと考えていらしたという(笑)

俺は世間で言う休みの時の方が働いてる
休んでる時っていうのは企んでる時で
働き始めた時にはもうある種の決断があって、整理も出来てて
アクションを起こす時なのね

どの時期に働いて、どの時期に休むか決められてる訳じゃないけど
どこかで形にハマッてたんだなあって怖さを感じて
ぶっ壊すのにいい機会だなと思われたそうだ

それはさておき…レコーディングに入られる際には
勿論ご自身のオリジナルを作られる訳だから
『純粋なリスナー』という立場ではないけれど

『レコード屋に新譜を買いに行こうとしてる自分』をイメージして
原点に帰ろうとなさるそうで

日常生活でも『好きだから(笑)』熱心な『聴き手』でいられるんだとか…

『GUTS』を作られた頃は『歓喜と抵抗』を歌うはずのロックが
ビジネスとして膨らんだ揚げ句
『挫折と失望』しか歌ってないオルタネイティブに行き着いたと話され

『それはないだろ』とロックの原点に戻るべく
アメリカン・ロックをキーワードになさったという

余談ですが…ご家族よりは
グランジやオルタネイティブを知ってる分量は俺の方が多いと甲斐さん(笑)

お嬢さんが甲斐さんのお持ちのCDを借りに来られると
『いいよ、貸してあげる(笑)』らしいんだけど

お嬢さんのことを『娘じゃなくライバルだと思ってる』そうで(笑)
『すごく文化を知ってるじゃん、むかつくなーって思う(笑)
わりとそういうのに嫉妬するんですよ』

『エミネムなんて、どっちが深く知ってるか競争したもん(笑)
でもやっぱり現役はすごいなって…
完璧に歌えたりするんですよ、悔しいなー(笑)』
…って、お父さんというより年上の友達ですよね(笑)

まあ、甲斐さんのお母様によると
甲斐さんが6~7歳の頃に『何かを好きだ』と言い始めた時から
大人になってもず~っと反抗期だそうで(爆)
『あんたぐらい長い反抗期の人も珍しい』らしい(爆)

そういえば、お母様のことも『永遠のライバル』とおっしゃってたなあと…(笑)

甲斐さんご自身も『俺、若い頃から反抗的だし
ミュージシャンとしてもそうだ』と…(笑)

ただ、そういう一種のアウトサイダーは常識を知らないと出来ない
非常識しか知らないヤツにホントの非常識は出来ないと話されてます(笑)

それはさておき…
『GUTS』を引っ提げてのツアーの後に
クラブツアー『オルタネイティブ スターセット GUTS』を敢行(笑)
…って、武道館の後のロッキュメントといい
テーゼとアンチテーゼの方ですもんね(笑)

そのクラブツアーは『神戸でやりたい』という甲斐さんの一言から始まったみたいで
松山と神戸だけが1日2公演だったらしい

照和でのライブの際に甲斐さんが
『初めてのジャニーズ仕様(笑)』とおっしゃったそうだけど
このライブ以前から、ライブハウスでは『2回戦』があったんだとか…(笑)

ともあれ『自分はミュージシャンだから
ライブをやるしかないんだ』という甲斐さんの言葉と

各地の甲斐さんファンの方々の
『地元のファンの人に楽しんで貰いたいから、自分は行かない』というメッセージに
奥さんがうるうるだったのを覚えてます

1回目は、当時関西在住だったKちゃんと
2回目は、チケットの店頭販売に並んだ(笑)ボクと見たんだけど

それまで参戦したどのライブよりもステージに近くて
ドキドキしっぱなしだったんだとか…(笑)

ちなみに、それぞれのセトリは
オープニングとアンコールを逆に辿るようなものだったらしい
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バンドやろうぜ!その27

2015-02-07 15:55:37 | 日記
阪神大震災とオウム事件があって
『難解な音楽は聴きたくないな』って思ったと甲斐さん

アルバム『GUTS』では『王道のアメリカン・ロック』をキーワードに
シンプルでストレートで明快な音楽をやろうとなさったそうだ

21周年をきっかけに甲斐バンド時代からの全ての曲が
『もう一度身体を通って行った』ことで
『甲斐バンド・テイストも出てる』とおっしゃってるんだけど

『メロディアス』という武器を抑えているのでは?との質問には
『きれいでいいメロディだ』って言ってる時って全体を聴いてない訳でしょ(笑)

これくらいストレートにロックンロールやると
ビートがツブ立っててガンガン入って来るから、そう聴こえるんじゃない?
でも、そういうのが一番いい状態だと思うよ

デリケートでビューティフルだけど、ナンか線が細いのは
ちょっと避けようと思ってて
すごく太いグルーヴで押して行く感じにしたかった

ストーンズみたいに誰がリードでサイドギターか判んない状態で
渾然としてるんだけど揺さぶられるグルーヴがある方が
やっぱり純粋にレアな感じがするよね

例えば【風吹く街角】は、ピアノ一本でも歌えるメロディなんだけど
あえてそうしなかったと話されてますが

『ストレート・ライフ』の時には
『生ギターなりピアノなり一本で一人で歌えるような』
時代を越えるメロディに時代のテイストのサウンドを融合されたんですよね

歌詞についてのインタビューでは…
『ガラスの動物園』特に【東京の一夜】みたいに
ものすごく私的なことを書いたら
それがきちんと普遍性を帯びているかを
客観的に見ることが出来ないといけない

血反吐を吐くほどの思いで表現しようとすれば
私的なことを書いても何処かで普遍性に繋がっていくはずだという自分の直感を信じるしかなくて
成功してるかどうかは自分では判らない
周りがよく止めなかったなと…(笑)

ただ、さらけ出すと言っても感情をそのままぶつけるんじゃなく
感情の料理の仕方みたいなものは自覚してたと思うし

詩人の書く詩とロックの歌詞とは違うから
あくまでメロディやリズムに乗っかることで
ものすごく響いてくるものなんだよね

ともあれ、時代を越えるメロディに
普遍性を帯びたり、今を切り取ったりした歌詞を乗せて
今のサウンドでアレンジするという作業をこなされてる訳ですが

『最終的にミックスやって聴く時には歌に集中するべきだよね』と甲斐さん

だって、残念ながら聴き手はそうなんだもの(笑)
こっちがいくら考えてバックに色んな配置をしても
一番突出してるのは、やっぱり歌なんだよね

『だったら、インストやれば』って言われてしまうんだよ
『くそーっ!』って思うけどさ(笑)
『ラブ・マイナス・ボイス』は『くそーっ!』とリリースされたんでしょうか?(笑)

さらに別のインタビューでは…
甲斐バンドを12年やって、一旦そこから降りたんだけど
やはり、降りさせない観客がいる

ああ、なるほどな、判らないんだなっていう怒りと諦めと
やっぱりなって確信が三つ巴で渦巻いてたけど動揺はなかったね

でも、そこでキチッと道をつける作業をやらないと
なかなか正しい三十代、四十代を迎えられないんじゃないかって感じがしたんですよ

僕たちがやってる『音楽』というのは
聴き手あってのエンターテイメントだと判ってるけど
商売人じゃなくて表現者な訳だから
道をつけていくという作業があるんです
ところが聴き手はどうしても商売人を求めちゃう(笑)

ライブ当日にね、それまで全く使ってなかったタイプのギターを
その日のために下ろしたんですよ
そういうところに込められたプロのスピリッツというかさあ…
ちょっと洒落っぽい感覚なんだけど誰も気にしちゃいないのね(笑)

初めてのソロの時には『昔の曲』に対して
肩肘張っておられる感じにも思えましたけど(失礼!)
甲斐さんにとって、そういうファンの思いに答えることは
簡単だけど出来なかったんですね

自分の正体を知るために音楽をやってるとおっしゃる甲斐さん
つまりは甲斐の可能性を突き詰めるという作業をやってるんだと…

俺はやってないことが結構あるんですよね
作家としての一面があれば
歌うこと以外にも声を武器にしての一面もあるじゃない

後は、ほとんど今まで出てないビジュアルとか(笑)
そういうことの総合が甲斐の突き詰めたキャラクターかなって…

例えば、人と組んで人の曲を歌うってことないですね
(これは後にTKさんと実現されますし、映像も…)

瀬尾さんにプロデュースをお願いした時に快感を覚え始めたんだけど(笑)
甲斐を解体して揺さぶりたいと思って
そういう風に持って行ったのは自己戦略なんですよ

表現者って波があって、その波を肯定的に取るか否定的に取るかがすごく大切なことで
俺は肯定的に取って『いいね』と感じた自分を信じてる

曲作りももうあまり周りの意見は聞かないで(笑)
ほとんど自分の時代感覚を信じ切っちゃおうって感じになったかな

それはどうやら周りの皆さんが
『甲斐さんの武器は声だ』とおっしゃるかららしく
総合的にはそうだけど…と甲斐さん

俺が歌えば何でもいいという乱暴な意見(爆)から
甲斐の痛みがちゃんと存在するオリジナルじゃないと…ってものまで色々あって

前者は当たってるけど考えていないし(苦笑)
オリジナル至上というのも柔軟性に欠けるから
結局、自分の生き方は自分で出さないとダメだなと思われたそうだ

奥さんは考えなしの乱暴者ってことですね(爆)
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