昔の甲斐バンド時代や当時のバンドについてのインタビューで
甲斐さんいわく…
(花園ライブの後の記事で…)
バンドが大きくなると目的があやふやになったりするでしょう
俺たちはものすごくハッキリ目的を掴んでいた
後は『いい曲を書けばいい』ということだけ
俺たちが終わる時は、曲が書けなくなった時です
(ニューヨークでのレコーディング中に…)
『バンドをやめよう』と思ったんですよ
でもメンバーのことを考えた時に『やめられないな』と…
自分の脆さに自分でガックリきたけどね
『俺って優しいんだな』って(笑)
それまでは自分のことを『ひどいヤツ』だと思ってたから…
僕は表現で、諦めたりするようなことは絶対に嫌だし
出来る限りやってきてないんだけど
それは諦めざるを得なかった幾つかの内の一つですね
今思うとそうして良かったと思うけどね
表現というのは情愛もその裏付けの中にないとダメだからね
(BIGGIGの後には…)
僕ら、こういうイベントって3回目でしょ
だからすぐ休んだよね、休むのが一番いいって
だけど結局、ライブとビデオの編集に呼び寄せられたけど(笑)
実質、3日しか休んでないから
ウチは明るい母子家庭よ、ホントに(笑)
そのミックスダウンの時にあるトラブルがあって
僕は、テープにハサミを入れて繋ごうって言ったの
そうしたら大森が『これは歴史だから、ハサミを入れない方がいい』ってハッキリ言ったわけ
その一言にものすごく凝縮されてるよね
スタジオの一同納得したっていう
逆に言うと、ハサミを入れちゃいけないような歴史を
これからも作っていかなきゃいけないってプレッシャーを持ってるんだよね
(12年戦争についてのインタビューでは…)
まだ武道館にさえ手が届かない頃に
『日本で初めてのスタジアムバンドになろうね』ってハードルを設定して
スタジアムクラスの会場でライブが出来るようになった訳じゃない
そのハードルを超えると、後はロックイベントを
どこで、でかく、しかも鮮やかにやるかってことでしょ?
そういう意味では、過酷なミーティングをするバンドだったよね(笑)
だから、解散の時は『ああ、ここから解放される』って…(笑)
設定しているクオリティが高いし
さらにどんどん高くしていってたからね
(年末の武道館ライブについて…)
10年続いたら、ある種の重要な意味合いは出て来るだろうけど
別に記録を作るためにやってる訳じゃない
タイトルホルダーになりたいためにやってるんじゃないからね
(GUTSについてのインタビューでは…)
結局、人間5年後、10年後を考えた時にさ、空恐ろしくなるのは
このままずっと同じことを続けていくのかって思うことじゃないですか
甲斐バンドが解散したのは、ギタリストの耳の病気
しかも彼は僕の番頭だったんで
もうこれはこのまま続けても意味がないって大前提があった
と同時にもう一つは、ずっと同じ状態が続くのは恐ろしいと思ったからね
でも最後に『ホントにやめちゃうの?』って言ったのは俺だったんだけどね
やりたいことはやって来たし、展開は自分でもすごく納得してるけど寿命ってあるんだよ
そして10年目の再結成については…
そもそもは、アンプラグドをやるんだったら
『どうやって』『誰と』やるか?ってところから入って行ったんだけど
日本ってまだまだ未開拓でしょ、色んな意味で…
若いミュージシャン達って、アンプラグド全然うまくないじゃん
今回、甲斐バンドでアンプラグドやろうと思ったのは
すごく武器になる部分だったから
だって、35、6歳から上でないと
生ギターの鳴らし方を知らないんだよ
今の20代って、いきなりアタッチメント付きのエレキから始まってるでしょ?
俺たちの世代は生ギターからエレキに移って行ったからね
だから余計にアンプラグドがいいと思ったんですよ
『ビッグ・ナイト』に入れる曲は
俺たちが『今一番やりたい曲』というテイストで選んだ
どこからやっつけても『今の時代』に通用するっていう
それが一番大きな衝動を生むし
結果的にすごくインパクトを持つことになるからね
過去にレコーディングして一回身体に入ってるとはいえ
全編アンプラグドで、半分はアレンジし直してる
一発録りにしたのは、逃げ場のない状況に自分たちを追い込むことで
闘争本能に火を点けようというのがあったんだ
10年前に解放したけど、メンバーはみんな現役で音楽業界で『生きている』
キャリアをどんどん積んでいくと
緊張感で自分を追い詰める怖さみたいな所から出発しないとダメなんだよ
『甲斐バンドが出来なかったことややり残したことを
今回やろうということはなかったか?』との質問に
大森さんは『やり残したことはないよ』
松藤さんは『やりきったから解散できたんだから』と答えておられますが
甲斐さんは『個人的な思いの部分ではね』と同意された上で
『やっぱり曲によっては残念賞って感じのトコがある訳ですよ』とおっしゃると
大森さんいわく…
ピッチャーが4球目に内角へ投げたらホームラン打たれたのを
10年経っても覚えてるみたいな…
そうそう、だから今度は外角に行くか?もう一回同じところに行くか?と甲斐さん(笑)
実はこういうことって勝ち負けなんですよ
だから遺恨が残ってるの(笑)
当時プロデューサーも兼ねてた訳ですから、アレンジがどうとか
もっといいやり方があったかなあとか、ずっと残ってますよ
もう一度、大森さんのステージ映像を見ようと思います♪
甲斐さんいわく…
(花園ライブの後の記事で…)
バンドが大きくなると目的があやふやになったりするでしょう
俺たちはものすごくハッキリ目的を掴んでいた
後は『いい曲を書けばいい』ということだけ
俺たちが終わる時は、曲が書けなくなった時です
(ニューヨークでのレコーディング中に…)
『バンドをやめよう』と思ったんですよ
でもメンバーのことを考えた時に『やめられないな』と…
自分の脆さに自分でガックリきたけどね
『俺って優しいんだな』って(笑)
それまでは自分のことを『ひどいヤツ』だと思ってたから…
僕は表現で、諦めたりするようなことは絶対に嫌だし
出来る限りやってきてないんだけど
それは諦めざるを得なかった幾つかの内の一つですね
今思うとそうして良かったと思うけどね
表現というのは情愛もその裏付けの中にないとダメだからね
(BIGGIGの後には…)
僕ら、こういうイベントって3回目でしょ
だからすぐ休んだよね、休むのが一番いいって
だけど結局、ライブとビデオの編集に呼び寄せられたけど(笑)
実質、3日しか休んでないから
ウチは明るい母子家庭よ、ホントに(笑)
そのミックスダウンの時にあるトラブルがあって
僕は、テープにハサミを入れて繋ごうって言ったの
そうしたら大森が『これは歴史だから、ハサミを入れない方がいい』ってハッキリ言ったわけ
その一言にものすごく凝縮されてるよね
スタジオの一同納得したっていう
逆に言うと、ハサミを入れちゃいけないような歴史を
これからも作っていかなきゃいけないってプレッシャーを持ってるんだよね
(12年戦争についてのインタビューでは…)
まだ武道館にさえ手が届かない頃に
『日本で初めてのスタジアムバンドになろうね』ってハードルを設定して
スタジアムクラスの会場でライブが出来るようになった訳じゃない
そのハードルを超えると、後はロックイベントを
どこで、でかく、しかも鮮やかにやるかってことでしょ?
そういう意味では、過酷なミーティングをするバンドだったよね(笑)
だから、解散の時は『ああ、ここから解放される』って…(笑)
設定しているクオリティが高いし
さらにどんどん高くしていってたからね
(年末の武道館ライブについて…)
10年続いたら、ある種の重要な意味合いは出て来るだろうけど
別に記録を作るためにやってる訳じゃない
タイトルホルダーになりたいためにやってるんじゃないからね
(GUTSについてのインタビューでは…)
結局、人間5年後、10年後を考えた時にさ、空恐ろしくなるのは
このままずっと同じことを続けていくのかって思うことじゃないですか
甲斐バンドが解散したのは、ギタリストの耳の病気
しかも彼は僕の番頭だったんで
もうこれはこのまま続けても意味がないって大前提があった
と同時にもう一つは、ずっと同じ状態が続くのは恐ろしいと思ったからね
でも最後に『ホントにやめちゃうの?』って言ったのは俺だったんだけどね
やりたいことはやって来たし、展開は自分でもすごく納得してるけど寿命ってあるんだよ
そして10年目の再結成については…
そもそもは、アンプラグドをやるんだったら
『どうやって』『誰と』やるか?ってところから入って行ったんだけど
日本ってまだまだ未開拓でしょ、色んな意味で…
若いミュージシャン達って、アンプラグド全然うまくないじゃん
今回、甲斐バンドでアンプラグドやろうと思ったのは
すごく武器になる部分だったから
だって、35、6歳から上でないと
生ギターの鳴らし方を知らないんだよ
今の20代って、いきなりアタッチメント付きのエレキから始まってるでしょ?
俺たちの世代は生ギターからエレキに移って行ったからね
だから余計にアンプラグドがいいと思ったんですよ
『ビッグ・ナイト』に入れる曲は
俺たちが『今一番やりたい曲』というテイストで選んだ
どこからやっつけても『今の時代』に通用するっていう
それが一番大きな衝動を生むし
結果的にすごくインパクトを持つことになるからね
過去にレコーディングして一回身体に入ってるとはいえ
全編アンプラグドで、半分はアレンジし直してる
一発録りにしたのは、逃げ場のない状況に自分たちを追い込むことで
闘争本能に火を点けようというのがあったんだ
10年前に解放したけど、メンバーはみんな現役で音楽業界で『生きている』
キャリアをどんどん積んでいくと
緊張感で自分を追い詰める怖さみたいな所から出発しないとダメなんだよ
『甲斐バンドが出来なかったことややり残したことを
今回やろうということはなかったか?』との質問に
大森さんは『やり残したことはないよ』
松藤さんは『やりきったから解散できたんだから』と答えておられますが
甲斐さんは『個人的な思いの部分ではね』と同意された上で
『やっぱり曲によっては残念賞って感じのトコがある訳ですよ』とおっしゃると
大森さんいわく…
ピッチャーが4球目に内角へ投げたらホームラン打たれたのを
10年経っても覚えてるみたいな…
そうそう、だから今度は外角に行くか?もう一回同じところに行くか?と甲斐さん(笑)
実はこういうことって勝ち負けなんですよ
だから遺恨が残ってるの(笑)
当時プロデューサーも兼ねてた訳ですから、アレンジがどうとか
もっといいやり方があったかなあとか、ずっと残ってますよ
もう一度、大森さんのステージ映像を見ようと思います♪