ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

バンドやろうぜ!その21

2015-02-01 08:31:52 | 日記
『ストレートライフ』を作るのに膨大な時間がかかったのは
それまでの『甲斐バンド』の反動だったと甲斐さん

ハートのある歌を前面に出した上で
ギリギリまでサウンドをクリエイトしたくて
『恐ろしく非商業的(苦笑)』に突き詰められたそうだ

でも初めてのソロは、人間としてはきちっとやったけど
大成功ではなかったことが『くすぶっていた』んだとか…

KAIFIVEを経て、ソロは『これ1点』というエキスを掴んでやっていかないとダメだと…

KAIFIVEは、30代半ばで作ったバンドだけど
年齢的に丸くすんなりやるのが普通なら、俺は余計にやらない(笑)

俺が丸く音楽やっても似合わないでしょ(笑)
そこは俺のキャラクターでもあるから引き受ける
でも代わりに辛いこともやる訳だから
きっちり受け取って欲しいと思う

俺は俺の動機で曲を書く
聴き手はそれぞれの動機で受け取るっていう関係がないと
聴き手も育たないし、プレイする側も大きくなっていかない

表現する方の衝動とかイマジネーションは
形を変えてどんどん成長してるし
聴き手だけがいつも同じ場所にいちゃダメだよね

時間が経って、さらに一歩踏み出さなけりゃ
面白い40代にならないと思った

夜遊びしようが、1ヶ月連続で早起きしようが自分が面白がらなきゃね(笑)

今までは俺がやれば俺が出ると思ってたけど、それだけじゃないなと…
自分をガケに追い詰めて、背中を押してみる
その時に自分が音楽人に立ち返る
そこで作ってみたいんだとおっしゃってます

KAIFIVE活動休止前のライブに行かれた方のレビューを見ると
殆どの方が『エネルギーが溢れてる』と話されてますが

『ナゼ止めてしまうのか?勿体ない』という意見もあれば
奥さんみたいに『甲斐さんが歌ってくれるならバンドでもソロでも♪』という方も…(笑)

ちなみに、個人的には…
何かが消えようとする時、何かが始まろうとしていることが
僕には何だか眩しすぎて叫ばずにはいられなかった
何だかとっても淋しかったけど…
この吉岡秀隆さんの言葉が印象的でした

それはさておき、甲斐さんはKAIFIVE休止を決められた後
ご家族とオフを取られたそうで
その間ずっと『なんなんだろうな
この後頭部にへばりついてるモノは?』と考えておられたという
それが『シンガー・甲斐』だったと甲斐さん

KAIFIVEのツアーが終わってすぐに曲作り
プロデューサーとスタッフを選定され、ロスでミックスダウンと
休む間もなく一気に行われたという

もっとも、曲作りに関しては
甲斐さんのご自宅に近いお家が、半年以上も工事をされていて
ずっとその音に悩まされながら書かれていたようで(苦笑)

『昔から夜に書いた方がいいと思ってたけど
今回、色んな所で色んな書き方を試してみた』んだとか…(笑)

ちなみに、この工事は
甲斐さんがロスから帰られた日に終わったらしい(爆)

その甲斐さん2回目のソロ活動について…

あえて乱暴に言わせて貰うと
甲斐バンドもKAIFIVEも甲斐よしひろも
全て『KAI』という、のれんの下に
一つに語っていって良いんじゃないかなって感じがするんですよ

甲斐バンドにしてもKAIFIVEにしても出したい音があったし
それぞれ精神も違うし、やり口も違う

ひとつのゴールを目指すある精神があったことは
すごく真摯に受け止めているし
俺はそういうものを作ろうって言って
ノッていった張本人だからね(笑)
だけど、それをあえてKAIという
一つの記号で表して良いんじゃないかなと…

『歌い手・甲斐』に徹したいというのがコンセプトだったんで
アルバムを作るのにプロデューサーを立てようと思った
で、全てを任せてタッグを組むなら、この人しかいないと…

20歳でプロとして始めようとした時に最初に会った大人の音楽家だったし
悪く言えば(笑)海千山千の甲斐よしひろに負けない人といえば
もう、口八丁手八丁の瀬尾さんしかいないだろうということですね(笑)

普通なら、曲を書いたらアレンジもひと通り自分でやってみて
それからアレンジャーなりミュージシャンなりを連れて来て
一緒にやり始めて、その後で歌うことになる訳で

作家の甲斐からシンガーの甲斐になるまでの作業がかなり多いんだけど
今回は曲を書いたら、瀬尾さんに全部渡したから
作家の甲斐からシンガーの甲斐に切り替えるだけでよかった

いつもは、グラデーションみたいな感じで
変わっていかざるを得なかったのが
作家とシンガーの間に1回スパンと空白が挟めたことが
すごく大きかったと話されてますが

別のインタビューでは、初めて人にプロデュースを委ねることが
どれだけ怖いことだったかも…(苦笑)

甲斐さんいわく…
大前提は、俺のアルバムは俺が作る
役者で言えば、俺が演技するものは俺が監督するということ
今回は、黒澤映画で出番を待ってる三船敏郎のようなものかも知れない

自分のパフォーマンスは、自分でコントロールする
俺がイニシアティブを取るってやり方だったのが

プロデューサーをノセる、挑発する曲を書く
それでどこまで歌に集中できるか
他に逃げ道はないという怖さは
ある種忘れかけていたものだったし

曲を書き上げてしまえば、あとは歌うしかない訳だから
俺が歌うということは魂を吹き込むことなんだって
嫌というほど認識させられるよね

自分の衝動の中でも最高の衝動で書くんだという
妄想と言ってもいい強い気持ち以上に
体ごと震わせて書き切ったと甲斐さん
まな板の上でじっとなさってるのは大変だったでしょうね(笑)
コメント
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