ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

そうだったんだ…おまけ4

2015-10-03 15:01:47 | 日記
少し間があきましたけど『おまけ』の続きです(苦笑)

『本編』で、ロッカーズ結成前の陣内孝則さんが
後のモッズ・北里晃一さんと『シューティング・スター』というバンドで
活動をなさっていたとご紹介しました

門田一郎さんによると…『大学に入った森山達也が
満を持して結成したモッズ(当時はTHE MOZZ)に参加したメンバー
…浅田孟・川嶋一秀・白浜久・七田・樋口・後藤…には華があった』

『博多のロックシーンに君臨する「サンハウス」は別格として
その後継者には、山部善次郎率いる「田舎者」がいたが
山善の言動でその地位から脱落しつつあった(苦笑)頃に
モッズが頭角をあらわして来た』そうだけど

ただ、その当時の『ロックをやってる』と公言する若者たちは
『バンド』というものを、どう考えていたのだろうか?と門田さん

『バンドを結成しても、すぐに解散したり、メンバーが入れ替わる
辞めたり、くっついたり、離れたり…その繰り返しで
昨日あのバンドにいたギターが、今日はこのバンドで弾いているなど
日常茶飯事』…と話されてます(苦笑)

確かに、白浜さんは『男の尻を見てギターを弾くことに
イヤ気がさして(笑)』大学に戻られた後、法務教官を経てARBへ

『開戦前夜』からの盟友・浅田孟さんも
サンハウスからシーナ&ザ・ロケッツ、そしてARBへ…

そのARBのイチローさんは甲斐バンドに(笑)
宮城伸一郎さんもARBからチューリップに参加されてますが

デビュー前の財津和夫さんは、他のバンドから
チューリップのメンバーをスカウトなさって
『バンド潰しの財津』と呼ばれていらっしゃったり…(苦笑)

その元・海援隊の上田雅利さんの推薦で
リンドン解散後の伊藤薫さんがチューリップに加入されたり…と
照和にゆかりのある皆さん同士で目まぐるしく動いておられます(笑)

そういえば、穴井伝吉さんはロッカーズ解散後
いくつかのバンドを経て山部善次郎バンドに加入されたらしい

ちなみに、財津さんのやり方に非難の声が上がったことで
甲斐さんがメンバー探しに苦労なさった訳ですが(笑)

妙安寺ファミリーバンドの久保孝司さんには
その場で断られたようだし(苦笑)
松藤さんはピエロ解散後に
大森さんから声をかけられたみたいだから

甲斐さんが話されていた『俺のせいでバンドが3つ潰れた』という(笑)
『バンド潰し』ではないんですよね(笑)

もっとも、門田さんは財津さんについて
『これくらいワガママで強引さがないと
プロとしてやっていけないと思う
東京に出て挫折した人間はみんな優しい
自分にも優しいから』とおっしゃってます(笑)

ともあれ、門田さんは甲斐バンド結成の際にも
バンドの音は一朝一夕には出来ない
練習の量はもとより、ステージを数多くこなして
メンバーと一緒にオリジナリティや方向性を確認し
バンドの色を出して行くことが大切だと記されてますが

モッズのメンバーが定着しないことに悩まれていた森山さんにも

どういう基準でメンバーを集めているのか?と訊ねられ
『それなりに出来るヤツ』は、ワガママで自分が中心になりたがる

演奏が上手くて、ステージはカッコいいかも知れないけど
お前がメンバーに気を使っている間は、同じことの繰り返しになる

自分の音楽がやりたいなら、お前が一番ワガママになれ
それでついて来ないヤツは捨てろ…とアドバイスされたという

その後に加入されたのが北里晃一さんで
ココでやっと冒頭の話に繋がるんだけど(笑)

門田さんいわく…彼の存在が森山を一回り大人にした
何故なら北里は問題児だった(笑)

元来、気が荒い性格の上に酒が入ると手がつけられない
肩が触れたと言ってケンカする
路駐の車がジャマだと蹴りつける等々、武勇伝に事欠かない(苦笑)

しかし森山は、警察に示談書を提出したりして
北里を庇い続け、何があっても見捨てなかった
二人の信頼関係が固い絆になった時
モッズは生まれ変わった…んだとか…

今回の甲斐さんのツアーは
松藤さんが『バンドのことが判ってるメンバー』と
太鼓判を捺された方々ですし
どんな色を見せて、どんな味を出して下さるのか?期待してます♪
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