ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

博多スーパースター列伝

2014-02-14 14:43:18 | メディア
『甲斐バンドが載ってるよ!』という甲斐友さん情報で
『アサヒ芸能』を買って来た奥さん(汗)

ボクでも手に取るのにちょっと勇気がいるんだけど…(苦笑)
『甲斐』という字の前には
ナニも障害にならないようだ(爆)

『博多スーパースター列伝』と題された連載の最終回
『【福岡=日本のリバプール】を
伝説にしたアーティストたち』として取り上げられてます♪

日本のロック史において
比類なき存在感を誇ったのが甲斐バンドだ

傷つき羽根折れそうな思いを詞に込め
強靭なサウンドとともに雄々しく立ち上がる

やがて前例のないライブ会場を次々と制覇し
後進たちに多大な影響を与えた

そして、誰よりも博多の街を愛したバンドだった

奥さんは、この紹介文を読んですぐに
筆者の名前を探したという(笑)

奥さんの想像通り(笑)この石田伸也さんは
ご自身もBIGGIGに参戦されたり
甲斐さん御用達の屋台にも行かれたようだ(笑)

記事の内容は、甲斐フリークの方々にとっては
有名なエピソードが並んでいるんだけど
その中に、長岡和弘さんのコメントが…!?(驚)

『博多という街は
東京からプロのアーティストが来ても満杯にならない

むしろ僕らアマチュアの方が動員力もあったし
自分たちでライブも運営していた』

甲斐バンドのチーフマネージャーだった西田四郎さん…

甲斐さんが初対面で
『これが西田四郎か』と呼び捨てにして(笑)
チューリップの安倍さんに頭をハタかれたという話がありましたね(爆)

その西田さんは
『全然、驚かなかったよ
あいつらしいなと思った』(爆)

『セルフプロデュース力を持っていたし
甲斐を前面に出すことが
バンドを売ることだと思ったよ』

デビュー前の『出発コンサート』をご覧になって

『この男たちと契約できたことが誇らしいと思ったよ
自分がマネージャーとして才覚があるんじゃないかと
勘違いするくらいにね』と話されています♪

『九州最後のスーパースター』というキャッチコピーを
考案された話は有名ですが

岸川さんに
『これはないぞ、これで打ち止めかい?』と怒られたんだとか…(苦笑)

長岡さんによると…

中野サンプラザホテルのカップヌードル事件(爆)の時に

麺が排水口をふさぎ(汗)
浴槽が油まみれになって(汗)
岸川さんから
『お前たち、なんばしよっと!』と怒鳴られたようです(笑)

でも、メンバーに代わって
ホテル側に謝罪して下さったんだとか…

ちなみに、甲斐さんがMCで話された時は
『どうなったか知らない』とおっしゃってたらしい(笑)

岸川さんの他にも
RKBの野見山さんやTNCの藤井さんにも
父親のように面倒をみて頂いたり

照和のギャラでは、バス代にしかならなかった頃
夜遅くなり、バスを逃し
皆で音楽談義をしていると

『喜柳』のおばちゃん達が
商売抜きでたくさんの量を出してくれて助かったと話されてます

高円寺での共同生活時代…
夜中にギターを弾いて曲を作ったり
それぞれのアイデアを出し合ったり
とてもまとまっていたそうだ

長岡さんいわく…

当時の甲斐が書く
『もろさもすべてさらけ出した歌詞』が
とても好きだった

こんな記事を読むと、奥さんヤバイんじゃ…(汗)
と思ったら、やっぱり泣いちゃったようです(苦笑)

それはさておき…

【バス通り】は、新人バンドとして及第点を取ったものの
草野プロデューサーは
成功の内に入らないと判断されたという

後に甲斐さんが
『あれだけ金をかけたのに、この程度か』と思われたんだろうなと
ラジオで話されたそうだ(笑)

そして【裏切りの街角】を書かれたんだけど
草野さんは『これは…売れないな』とおっしゃったという(汗)

長岡さんいわく…

冗談じゃないって
メンバーもマネージャーも燃えに燃えた

俺たちの手で、絶対に売ってみせようと誓い合った

いわゆる魂のゴングが鳴った訳ですね(笑)
草野さんがホントに『耳』を持っておられなかったのか?
それとも…?考え過ぎかなあ?(笑)
コメント
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