あの夏。
ボロボロファッションが流行っていた。
今思えば、ズタボロにもほどがあるだろうという出で立ちで
当時まだ、幼い妹を引き連れて、私はひたすら追っていた。
どうしてもこの目で見たくて、どうしてもこの手でひと撫でしたくて追っていた。
タロウとジロウ。
さらさらの柔らかな毛並み、それは凛々しい北方犬。
冷房完備のキャンペーンバスに乗った、美しい犬たちに魅せられるあまり、主演俳優そっちのけ。
のちに。
南の島にやってきて、戌年生まれの男性と出逢いを果たす。
難なく餌付けに成功。
かといって、ピュリナとかローヤルカナンとかで釣ったワケではありません。
まんまと嫁いで、しゃあしゃあと、楽園の住人の仲間入り。
現在は、犬や猫、小動物たちに囲まれて、ささやかながらもつつがなく
穏やかに過ごす毎日です。
その報道に息を呑んだ翌日。
友人を島に迎えました。
酒精を遠ざけて、この夕餉は烏龍茶で乾杯。
空芯菜の炒め物、にわかベジタリアンの私は舌鼓。
揚げ春巻き、生春巻きパクついて
檸檬の浮かんだ、お茶のフィンガーボウルで手指を浄めながら
お行儀忘れて、手掴みでむしゃぶりつく蟹カレー。
蟹肉の甘味滋味、レモングラスと生姜の効いた、ココナツミルク風味のカレーは、パリッとしたフレンチブレッドで、拭い取るように味わった。
すっきり美味な、熟れたパイナップルなど、御厚意までいただいて恐縮です。
そちらの隅のお部屋。
掲げてあるネームプレートを目にしたら
唐突に、涙が吹き上げた。
供えられた菊花が、まだ新鮮な香りを匂わせている。
赤誠の真心に、赤誠の真心が、織りなして
それ等が、降り積もるように重なって、しっかりと籠もっている小部屋。
名優が、活き活きと、そのまま息づいておられるようで。
圧倒されました。
鳥肌立てました。
天然自然の景観や、美術芸術、さまざまな古典に圧倒されることは、誰にでもあることと思います。
でも私。
これほどの赤誠。
人と人の絆に、ここまで圧倒されたことはありません。
さまざまなメディアを通じて、不軽の菩薩道を体現されておられるような名優だと聞き及んでいました。
愛だ恋だ、損だ得だ、欲だ情だと、いろいろかまびすしく謂うけれど
思い遣り、気遣いは、これはもう最上の愛でしかないだろう。
たくさん、お話しを伺った。
もったいないほど伺った。
定位置のお席に、名優がうつむいてはにかんで、不器用なまま座っておられるようだった。
華やかな果実、ランブータンまで持たせていただいて
魂が痛むのは、親交の深かった、そちらさまのほうだろうにと思うのに。
タロさ。
ジロさ。
あの夏のズタボロのおねぃちゃんは、いまでも君たちのファンですが。
遅ればせながら、主演俳優の、大ファンにもなりました。
戌年生まれの旦那さまと二人、一晩一作、鑑賞しきっていくつもり。
よこしまなほうへ、怠惰に流れていきがちな私だけれど
これではいけないと感じて、自分の壁を打破したいとき、また蟹カレー食べに行く。
手掴みでむしゃぶりついて、蟹味噌ほじくって手指でろでろにしながら喰らい尽くすんだ。
すると不思議。
摩訶不思議。
戌年生まれのヒトが、かの名優に面差しが似て見えてくる。
↑前の一行に、私の中の、葛藤が見え隠れしている。
などと締めくくったら、名優に、やんわりとたしなめてもらえるのだろうか?
あの夏のズタボロおねぃちゃんの、なれの果てが言ってみた戯れ事です。
ズタボロおねぃちゃん、おかげさまで、今ではなんとか、少しは器用になったかと。
ボロボロファッションが流行っていた。
今思えば、ズタボロにもほどがあるだろうという出で立ちで
当時まだ、幼い妹を引き連れて、私はひたすら追っていた。
どうしてもこの目で見たくて、どうしてもこの手でひと撫でしたくて追っていた。
タロウとジロウ。
さらさらの柔らかな毛並み、それは凛々しい北方犬。
冷房完備のキャンペーンバスに乗った、美しい犬たちに魅せられるあまり、主演俳優そっちのけ。
のちに。
南の島にやってきて、戌年生まれの男性と出逢いを果たす。
難なく餌付けに成功。
かといって、ピュリナとかローヤルカナンとかで釣ったワケではありません。
まんまと嫁いで、しゃあしゃあと、楽園の住人の仲間入り。
現在は、犬や猫、小動物たちに囲まれて、ささやかながらもつつがなく
穏やかに過ごす毎日です。
その報道に息を呑んだ翌日。
友人を島に迎えました。
酒精を遠ざけて、この夕餉は烏龍茶で乾杯。
空芯菜の炒め物、にわかベジタリアンの私は舌鼓。
揚げ春巻き、生春巻きパクついて
檸檬の浮かんだ、お茶のフィンガーボウルで手指を浄めながら
お行儀忘れて、手掴みでむしゃぶりつく蟹カレー。
蟹肉の甘味滋味、レモングラスと生姜の効いた、ココナツミルク風味のカレーは、パリッとしたフレンチブレッドで、拭い取るように味わった。
すっきり美味な、熟れたパイナップルなど、御厚意までいただいて恐縮です。
そちらの隅のお部屋。
掲げてあるネームプレートを目にしたら
唐突に、涙が吹き上げた。
供えられた菊花が、まだ新鮮な香りを匂わせている。
赤誠の真心に、赤誠の真心が、織りなして
それ等が、降り積もるように重なって、しっかりと籠もっている小部屋。
名優が、活き活きと、そのまま息づいておられるようで。
圧倒されました。
鳥肌立てました。
天然自然の景観や、美術芸術、さまざまな古典に圧倒されることは、誰にでもあることと思います。
でも私。
これほどの赤誠。
人と人の絆に、ここまで圧倒されたことはありません。
さまざまなメディアを通じて、不軽の菩薩道を体現されておられるような名優だと聞き及んでいました。
愛だ恋だ、損だ得だ、欲だ情だと、いろいろかまびすしく謂うけれど
思い遣り、気遣いは、これはもう最上の愛でしかないだろう。
たくさん、お話しを伺った。
もったいないほど伺った。
定位置のお席に、名優がうつむいてはにかんで、不器用なまま座っておられるようだった。
華やかな果実、ランブータンまで持たせていただいて
魂が痛むのは、親交の深かった、そちらさまのほうだろうにと思うのに。
タロさ。
ジロさ。
あの夏のズタボロのおねぃちゃんは、いまでも君たちのファンですが。
遅ればせながら、主演俳優の、大ファンにもなりました。
戌年生まれの旦那さまと二人、一晩一作、鑑賞しきっていくつもり。
よこしまなほうへ、怠惰に流れていきがちな私だけれど
これではいけないと感じて、自分の壁を打破したいとき、また蟹カレー食べに行く。
手掴みでむしゃぶりついて、蟹味噌ほじくって手指でろでろにしながら喰らい尽くすんだ。
すると不思議。
摩訶不思議。
戌年生まれのヒトが、かの名優に面差しが似て見えてくる。
↑前の一行に、私の中の、葛藤が見え隠れしている。
などと締めくくったら、名優に、やんわりとたしなめてもらえるのだろうか?
あの夏のズタボロおねぃちゃんの、なれの果てが言ってみた戯れ事です。
ズタボロおねぃちゃん、おかげさまで、今ではなんとか、少しは器用になったかと。