↑飼い主が、気絶しそうなほどに可愛いバセンジー姐さんではないですか。
↑ああ。愛おしい。
↑2019年春に、長年棲み慣れたホノルルハワイを後にして、ラスベガスネヴァダに転居して参った、当家犬ばか一族屋号犬神屋でございます。
ハワイと違って、寒暖の厳しき砂漠地帯移住にあたって、真っ先に求めたのは何はなくとも、こちらのinsulationドッグハウスでございました。
ついでに、車庫のシャッターにもinsulation 加工を施す夫。
砂漠地帯。
真夏の苛烈な暑さから。
真冬の過酷な寒さから。
ただただ、アフリカ犬の身体を護るための施工でございました。
↑ええ。
炎暑のとき。
酷寒のとき。
姐さんには車庫内のケージにて、しばし休息などしていただいておりました。
↑ポメ姐さんとはいいコンビ。
↑チワワさん姐さんの、故ベラ✨バンビーノ姐さんともいいコンビ。
↑犬たちのために、芝の庭が良かろうと。
ですが砂漠地帯。
渇水取水制限のため、2026年までには人工芝に植え替えよとのお達しが。
現在、旧宅の庭は、荒涼と芝枯れさせております。
↑青々としていましたね。
旦那さまが、嬉々として芝刈りしていたことなど思い出します。
↑長毛&短毛。
赤毛犬たちの邂逅。
↑「あぁた、まっふまふじゃないのよ?犬なの?」
「あぁた、つるりっぺたじゃないのよ?犬なの?」
まっふまふなのは、ジャーマンスピッツとしか表現してはいけないような分家のデカポメ、ポリーさんです。
↑「あぁたもまっふまふしてるけど、クリーム色よね?」
本家所属のポメ姐さんメイさんです。
↑「こりゃ坊主!こりゃ坊主!ボールしか目に入らなのねこりゃ坊主!」
御曹司MJくん、まだまだパピっ気が残る幼き日。
↑バセンジー姐さんは引きが強いので、歩きに行く時はだいたい一頭引きでした。
↑趣味のsunbathing。
↑4頭そろっているということは、コロナ禍突入のころと思われます。
↑頸椎に異変を生じたため、しばらくは通院しておりました頃。
首輪厳禁ということになりました。
↑自分を犬だと信じて疑わない、猫も参加するのが常でございました。
↑旧宅から現在の自宅に引き移ってきても、相変わらず日光浴が大好き。
↑15歳頃から痩身が目立ってきました。
↑姐さんの真冬コーデ。
冬季の衣類各種は、分家に新規加入したフレンチブル坊主が成犬になったら譲るつもりです。合うか合わないかは坊主の育ちっぷり次第。
↑痩せてきてしまったけれど、まだかくしゃくとしていた頃。
↑ナチュラルに猫もいます。
↑晩年。
どうしましょう。
やっぱり、気絶しそうなほど可愛いです。
息を引き取る前日まで、日光浴が大好きでした。
真冬の砂漠地帯でも、日中の陽だまりはほっこりホコホコと暖かかったのが幸いです。
四肢も萎え始め、起き上がれなくなった頃でしたが
ビューティフルでリマーカブルでファビュラスな
パーフェクトシェイプな自力排泄があったとき
筆者、飛び上がるほど嬉しかったです。
飛び上がったまま、喜び勇んで全若衆方に、頬紅潮させて報告しましたもん。
これほど喜ばしいことは、犬バカ人生、滅多にございませんですよ。
↑バセンジー姐さんを荼毘にふした日。
子1っちゃんに呼ばれて庭に出て見つめた夕景。
それでね奥さん。
その晩綺麗な半月だったの。
ふっと窓の外に目をやったら白い半月が目に入ったのね。
だからなんとなく撮ったわけ。
わかってるの。
反射だって。
でも。
↑どうしたって、バセンジー姐さんが写ってるとしか思えないのは
無理からぬことでしょう?
筆者。
日本の北国の故郷で
犬小屋で育ったんです。
こう書くと、えらい被虐待児童だった感じしますか?
いや事実なのです。
たしなめる父母の制止振り切って、犬小屋に潜り込んで、犬の柔毛に埋もれて眠ってましたから。
犬の頭に顔を押し当てると、太陽に干したほわほわの布団のような、おひさま成分の匂いがしました。
おやつも分けあって食べた記憶がございます。
犬の毛先に付着した、雪の結晶❄️の美しさも鮮明に覚えているくらい。
犬といたので、寒さもあまり感じずに。
犬といたので、なんだか嬉しくて幸せで。
はい。
犬と育ってきました。
ええ。
犬に、育てられてそのまま大きくなりました。
おかげさまで、こんな分不相応なくらい幸福な現在がございます。
縁あって海外に移住してからも、犬を見送るたびに、すっかり子供返りして、母に泣きながら電話してました。
「あぁお姉ちゃんは、犬が大好きで、子供の頃犬小屋で寝てたもんねぇ」
毎回、そう言われました。
米国では、末期を苦しませないためにeuthanizeが一般的ですが。
筆者は、ユーソナイズのユの字も耳にしたくないのです。
痛みで悲鳴あげてるわけでもない。
食餌だって受け付ける。
最後の最後まで、看取ってこその犬バカだと、そう信じたいではないですか。
見送った犬たちそれぞれに、いつか虹の橋地区での再会ありますように。
筆者は、そう祈念するばかりでございます。
犬缶とカリカリとドッグトリーツ、たんまり抱えて持ってくからな虹の橋地区へ。
↑ああ。愛おしい。
↑2019年春に、長年棲み慣れたホノルルハワイを後にして、ラスベガスネヴァダに転居して参った、当家犬ばか一族屋号犬神屋でございます。
ハワイと違って、寒暖の厳しき砂漠地帯移住にあたって、真っ先に求めたのは何はなくとも、こちらのinsulationドッグハウスでございました。
ついでに、車庫のシャッターにもinsulation 加工を施す夫。
砂漠地帯。
真夏の苛烈な暑さから。
真冬の過酷な寒さから。
ただただ、アフリカ犬の身体を護るための施工でございました。
↑ええ。
炎暑のとき。
酷寒のとき。
姐さんには車庫内のケージにて、しばし休息などしていただいておりました。
↑ポメ姐さんとはいいコンビ。
↑チワワさん姐さんの、故ベラ✨バンビーノ姐さんともいいコンビ。
↑犬たちのために、芝の庭が良かろうと。
ですが砂漠地帯。
渇水取水制限のため、2026年までには人工芝に植え替えよとのお達しが。
現在、旧宅の庭は、荒涼と芝枯れさせております。
↑青々としていましたね。
旦那さまが、嬉々として芝刈りしていたことなど思い出します。
↑長毛&短毛。
赤毛犬たちの邂逅。
↑「あぁた、まっふまふじゃないのよ?犬なの?」
「あぁた、つるりっぺたじゃないのよ?犬なの?」
まっふまふなのは、ジャーマンスピッツとしか表現してはいけないような分家のデカポメ、ポリーさんです。
↑「あぁたもまっふまふしてるけど、クリーム色よね?」
本家所属のポメ姐さんメイさんです。
↑「こりゃ坊主!こりゃ坊主!ボールしか目に入らなのねこりゃ坊主!」
御曹司MJくん、まだまだパピっ気が残る幼き日。
↑バセンジー姐さんは引きが強いので、歩きに行く時はだいたい一頭引きでした。
↑趣味のsunbathing。
↑4頭そろっているということは、コロナ禍突入のころと思われます。
↑頸椎に異変を生じたため、しばらくは通院しておりました頃。
首輪厳禁ということになりました。
↑自分を犬だと信じて疑わない、猫も参加するのが常でございました。
↑旧宅から現在の自宅に引き移ってきても、相変わらず日光浴が大好き。
↑15歳頃から痩身が目立ってきました。
↑姐さんの真冬コーデ。
冬季の衣類各種は、分家に新規加入したフレンチブル坊主が成犬になったら譲るつもりです。合うか合わないかは坊主の育ちっぷり次第。
↑痩せてきてしまったけれど、まだかくしゃくとしていた頃。
↑ナチュラルに猫もいます。
↑晩年。
どうしましょう。
やっぱり、気絶しそうなほど可愛いです。
息を引き取る前日まで、日光浴が大好きでした。
真冬の砂漠地帯でも、日中の陽だまりはほっこりホコホコと暖かかったのが幸いです。
四肢も萎え始め、起き上がれなくなった頃でしたが
ビューティフルでリマーカブルでファビュラスな
パーフェクトシェイプな自力排泄があったとき
筆者、飛び上がるほど嬉しかったです。
飛び上がったまま、喜び勇んで全若衆方に、頬紅潮させて報告しましたもん。
これほど喜ばしいことは、犬バカ人生、滅多にございませんですよ。
↑バセンジー姐さんを荼毘にふした日。
子1っちゃんに呼ばれて庭に出て見つめた夕景。
それでね奥さん。
その晩綺麗な半月だったの。
ふっと窓の外に目をやったら白い半月が目に入ったのね。
だからなんとなく撮ったわけ。
わかってるの。
反射だって。
でも。
↑どうしたって、バセンジー姐さんが写ってるとしか思えないのは
無理からぬことでしょう?
筆者。
日本の北国の故郷で
犬小屋で育ったんです。
こう書くと、えらい被虐待児童だった感じしますか?
いや事実なのです。
たしなめる父母の制止振り切って、犬小屋に潜り込んで、犬の柔毛に埋もれて眠ってましたから。
犬の頭に顔を押し当てると、太陽に干したほわほわの布団のような、おひさま成分の匂いがしました。
おやつも分けあって食べた記憶がございます。
犬の毛先に付着した、雪の結晶❄️の美しさも鮮明に覚えているくらい。
犬といたので、寒さもあまり感じずに。
犬といたので、なんだか嬉しくて幸せで。
はい。
犬と育ってきました。
ええ。
犬に、育てられてそのまま大きくなりました。
おかげさまで、こんな分不相応なくらい幸福な現在がございます。
縁あって海外に移住してからも、犬を見送るたびに、すっかり子供返りして、母に泣きながら電話してました。
「あぁお姉ちゃんは、犬が大好きで、子供の頃犬小屋で寝てたもんねぇ」
毎回、そう言われました。
米国では、末期を苦しませないためにeuthanizeが一般的ですが。
筆者は、ユーソナイズのユの字も耳にしたくないのです。
痛みで悲鳴あげてるわけでもない。
食餌だって受け付ける。
最後の最後まで、看取ってこその犬バカだと、そう信じたいではないですか。
見送った犬たちそれぞれに、いつか虹の橋地区での再会ありますように。
筆者は、そう祈念するばかりでございます。
犬缶とカリカリとドッグトリーツ、たんまり抱えて持ってくからな虹の橋地区へ。