NOHEA 'ILIO

僭越ながら、屋号犬神屋を名乗らさせていただいております。
19年春、ホノルルからラスベガスに転居してまいりました。

Raised by Dogs3

2024年01月31日 | Weblog
↑飼い主が、気絶しそうなほどに可愛いバセンジー姐さんではないですか。


↑ああ。愛おしい。


↑2019年春に、長年棲み慣れたホノルルハワイを後にして、ラスベガスネヴァダに転居して参った、当家犬ばか一族屋号犬神屋でございます。
ハワイと違って、寒暖の厳しき砂漠地帯移住にあたって、真っ先に求めたのは何はなくとも、こちらのinsulationドッグハウスでございました。
ついでに、車庫のシャッターにもinsulation 加工を施す夫。
砂漠地帯。
真夏の苛烈な暑さから。
真冬の過酷な寒さから。
ただただ、アフリカ犬の身体を護るための施工でございました。


↑ええ。
炎暑のとき。
酷寒のとき。
姐さんには車庫内のケージにて、しばし休息などしていただいておりました。


↑ポメ姐さんとはいいコンビ。


↑チワワさん姐さんの、故ベラ✨バンビーノ姐さんともいいコンビ。


↑犬たちのために、芝の庭が良かろうと。
ですが砂漠地帯。
渇水取水制限のため、2026年までには人工芝に植え替えよとのお達しが。
現在、旧宅の庭は、荒涼と芝枯れさせております。


↑青々としていましたね。
旦那さまが、嬉々として芝刈りしていたことなど思い出します。


↑長毛&短毛。
赤毛犬たちの邂逅。


↑「あぁた、まっふまふじゃないのよ?犬なの?」
「あぁた、つるりっぺたじゃないのよ?犬なの?」
まっふまふなのは、ジャーマンスピッツとしか表現してはいけないような分家のデカポメ、ポリーさんです。


↑「あぁたもまっふまふしてるけど、クリーム色よね?」
本家所属のポメ姐さんメイさんです。


↑「こりゃ坊主!こりゃ坊主!ボールしか目に入らなのねこりゃ坊主!」
御曹司MJくん、まだまだパピっ気が残る幼き日。


↑バセンジー姐さんは引きが強いので、歩きに行く時はだいたい一頭引きでした。


↑趣味のsunbathing。


↑4頭そろっているということは、コロナ禍突入のころと思われます。


↑頸椎に異変を生じたため、しばらくは通院しておりました頃。
首輪厳禁ということになりました。


↑自分を犬だと信じて疑わない、猫も参加するのが常でございました。


↑旧宅から現在の自宅に引き移ってきても、相変わらず日光浴が大好き。


↑15歳頃から痩身が目立ってきました。


↑姐さんの真冬コーデ。
冬季の衣類各種は、分家に新規加入したフレンチブル坊主が成犬になったら譲るつもりです。合うか合わないかは坊主の育ちっぷり次第。


↑痩せてきてしまったけれど、まだかくしゃくとしていた頃。


↑ナチュラルに猫もいます。


↑晩年。
どうしましょう。
やっぱり、気絶しそうなほど可愛いです。

息を引き取る前日まで、日光浴が大好きでした。
真冬の砂漠地帯でも、日中の陽だまりはほっこりホコホコと暖かかったのが幸いです。
四肢も萎え始め、起き上がれなくなった頃でしたが
ビューティフルでリマーカブルでファビュラスな
パーフェクトシェイプな自力排泄があったとき
筆者、飛び上がるほど嬉しかったです。
飛び上がったまま、喜び勇んで全若衆方に、頬紅潮させて報告しましたもん。
これほど喜ばしいことは、犬バカ人生、滅多にございませんですよ。


↑バセンジー姐さんを荼毘にふした日。
子1っちゃんに呼ばれて庭に出て見つめた夕景。

それでね奥さん。
その晩綺麗な半月だったの。
ふっと窓の外に目をやったら白い半月が目に入ったのね。
だからなんとなく撮ったわけ。
わかってるの。
反射だって。
でも。


↑どうしたって、バセンジー姐さんが写ってるとしか思えないのは
無理からぬことでしょう?

筆者。
日本の北国の故郷で
犬小屋で育ったんです。
こう書くと、えらい被虐待児童だった感じしますか?
いや事実なのです。
たしなめる父母の制止振り切って、犬小屋に潜り込んで、犬の柔毛に埋もれて眠ってましたから。
犬の頭に顔を押し当てると、太陽に干したほわほわの布団のような、おひさま成分の匂いがしました。
おやつも分けあって食べた記憶がございます。
犬の毛先に付着した、雪の結晶❄️の美しさも鮮明に覚えているくらい。
犬といたので、寒さもあまり感じずに。
犬といたので、なんだか嬉しくて幸せで。
はい。
犬と育ってきました。
ええ。
犬に、育てられてそのまま大きくなりました。
おかげさまで、こんな分不相応なくらい幸福な現在がございます。

縁あって海外に移住してからも、犬を見送るたびに、すっかり子供返りして、母に泣きながら電話してました。
「あぁお姉ちゃんは、犬が大好きで、子供の頃犬小屋で寝てたもんねぇ」
毎回、そう言われました。
米国では、末期を苦しませないためにeuthanizeが一般的ですが。
筆者は、ユーソナイズのユの字も耳にしたくないのです。
痛みで悲鳴あげてるわけでもない。
食餌だって受け付ける。
最後の最後まで、看取ってこその犬バカだと、そう信じたいではないですか。

見送った犬たちそれぞれに、いつか虹の橋地区での再会ありますように。
筆者は、そう祈念するばかりでございます。
犬缶とカリカリとドッグトリーツ、たんまり抱えて持ってくからな虹の橋地区へ。













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Raised by Dogs2

2024年01月22日 | Weblog
↑いつも足繁く通っていた、カカアコウォーターフロントパークです。
サンセットに、赤毛映えるバセンジー。
懐かしいこの場所。
今でも、猫とマイナバードと、野外生活者の皆さんがひしめいておりますのでしょうか。

ハワイ時代、一年中だいたい2〜3頭引きで歩いておりました。
日本からの観光客様方には
「まぁポメラニアン?カワイイですね〜!」
「ダックスフンド?うちでも飼ってるんですよ〜!」とか
優しくお声がけいただいておりましたが。
エィミーさんは、つるっペタな柴犬もどきだと思われていたかもしれません。
犬好きなガイジンさん方には
ポメもダックスも、まるで眼中に入らずのように
「おおマイガー!バセンジー!?おおマイガー!」
などと、突進して来られる方など、決して少なくなかったです。
ハワイでは、バセンジー専門のチャンピオンドッグ輩出ブリーダーさん、結構有名でしたしね。
皆さん、吠えない犬がお好みのようでございました。


↑外犬舎。
滅多に吠えないバセンジーが、唯一変な声で絶叫するのが
「風に飛ばされて、フワフワ空中を漂う黒いレジ袋」
それが視界に入ったときでした。
白なら平気。


↑こっち向いてエィミー♪
呼びかけても、カメラ目線くれたことなぞ滅多にございませんでした。


↑モアナルアヴァレーパークトレイルを歩く。
岩場に、古代ハワイアンペトログリフが刻まれてあったりしました。


↑こちらのディープトレイル、ピットブル系の野犬が群れをつくっていて、時折り襲ってくると聞きましたので
常時、ペッパースプレーなど携帯。
バセンジー愛好家、なんと16頭飼いの日系のおばさまに伺い、そして奨められました。
おばさまのバセンジーくん、群れに襲われ負傷したとかで。
そのほか、巨体な、ワイルドボア一家も棲息してますしね普通にね。
こちら。
必ず、家族団体行動で、大声で歌いながら行軍していた想い出が。


↑姐さんは、身内にしか心開かぬ古代犬。
獣医さんを訪れるときや、人の多くいる場所などでは口輪装着してました。
何度登ったか知れない、こちらマカプウトレイルです。


↑陽が傾いてきて、人々が減ってきて、あたりが紫に染まってきたら口輪オフ。


↑微笑む姐さん。
こちらケイヒーラグーンあたりです。


↑バセンジーの♀にしても、わりと小柄な姐さんでしたが。
硬く巻いた尻尾と魅惑のデコジワ。
旦那さまは、「deep thinker」と呼んでおりました。


↑大大大好きなお父ちゃん。
愛と信頼のアイコンタクトが尊い。
当家所属のケモノたちの中で唯一、「呼び戻し」が完璧だったのは姐さんがダントツ。
野っぱらで。
旦那さまとかなりの距離をとって立ち
「エィミー!」
と呼べば、猛ダッシュで旦那さまの元へ駆け寄り
筆者が
「エィミー!」
と呼べば、踵を返して、筆者の元に猛ダッシュで駆け戻り。
体力のある犬種ですので、それを延々と延々と繰り返すうち、あたりは夕陽に包まれて
ただそれだけの単調な繰り返し。
でも、ものすごく幸せそうな愛犬の顔を見つめて
いつしか感動で、涙ぐんでしまう犬バカ夫婦でございました。
あのときの姐さんの嬉しそうな表情、今も目に灼きついて忘れることなどできません。


↑子2さん厳選の、犬の詩の朗読でございます。
意外にも、旦那さまが涙腺崩壊。
あぁた。
ちょいとあぁた!
舅も姑も他界して、葬儀のときだって涙見せなかったのに私には。
あぁたったら、泣いてやがるの?
ねぇあぁた!
あぁたぁぁぁぁ!



アフリカの宝石。
バセンジー追悼回、次回からはラスベガス編になります。








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Raised by Dogs1

2024年01月19日 | Weblog
↑こちらの画像、筆者の気に入りでございます。
バセンジーとロングコートチワワのお散歩バディ。
ハワイ時代のカカアコウォーターフロントパークにて。

さて。
皆さまには、しばらくの間、画像ギャラリーにお付き合いいただきたく存じます。
赤毛のバセンジー。
コールネーム Amy Manuela
正式名 Sadie Manuela Cheka
和名 桔梗(ききょう)または「えみこ」さん。


↑パピ時代。
3頭シブリングのなかで唯一の紅一点。
兄弟に揉まれて、耳先に噛み跡が残っておりました。
まだ、尻尾も巻いておらず、おへそもぽこんと臍ヘルニアだった記憶がございます。(←のちに、避妊手術と同時におへそも治療)


↑シーズー✖️ビションの故ラ二✨キスメット姐さんに、新人教育を託したりしてました。


↑予防接種も全過程済み、外界に散歩に出かけられるようになった頃です。
カハラビーチパークにて。


↑保護犬故ゴールデンレトリーバー、誰にでもとても優しかったフレディ兄さんとともに。


↑乙女にあるまじき野性。


↑外犬舎では、猫の小鯖師匠と同棲をしてました。


↑とにかく、撮影にはとことん非協力です。


↑アラモアナビーチパーク。
よく、歩きに行っていました。


↑ヒトの子供たち日本語クラス受講の際は、ハワイカイドッグパークで駆け回りながら、日本語授業が終わるまで待っていたものです。


↑ダイヤモンドヘッドを背景に。
マジックアイランドだったか?ベィビービーチだったか?
この頃は、アラモアナビーチパーク全体、まだ犬連れOKだったのです。


↑ハロウィンのときは、無理矢理ガイコツな年もありました。


↑体力膨大なバセンジー。
全力疾走の際は、華麗なるダブルサスペンションギャロップ走法。
その、走る姿が例えようもなく美しく、その場に居合わせた犬好きなロコのみなさんも
「…beautiful…」
と、ため息をつきながら、うっとりと眺めておられました。
そんな走り屋のバセ姐さんですが、お散歩バディの京女チワワさん姐さんのベラ✨バンビーノ姐さんと歩く時は
いつも、ゆったりと歩調を合わせてくれていました。


↑クリーム色のポメっ娘メイたん💕ともいいコンビ。


↑ブラック&タンのナラ姐さんともいいコンビ。


↑ここもアラモアナビーチパークです。
青鷺が憩い、鴨の親子がこの用水で暮らしている様を、じっくり観察するのが好きでした。


↑ドメスティックエアラインのある空港の近く。…だったはず。


↑夕陽に映える赤毛犬。
ケイヒーラグーンにて。


↑夕陽に映える赤毛犬2。別日。


↑故二代目黒白シーズーのマカにいさんと、シーズ❎ビションの故ラ二✨キスメット姐さんとともに。


↑アタシたちってば、これから歩きに行くからねっ♪

ラスベガス現地時間、1月16日午後7時30分。
16歳と21日。
アフリカの宝石。
赤毛のバセンジーのエィミー✨マヌエラ大姐さん。
静かに、穏やかに、ほんとうに眠るように息を引き取りました。
それは、感動的でさえありました。
おみごとです。
あっぱれと言って過言ではございません。
そして昨日、1月17日、粛々と荼毘に付しました。

筆者。
もう涙も枯れ果てたといえば大袈裟ですが
独自の方法でペットロス症候群を緩和するために、しばらくバセンジー特集を組みたいと思っております。
奥さま。
そちらの犬好きな奥さま。
しばらく、おつきあいくださいましたら幸いでございます。


↑子2さんが見つけてきた一文。
涙に詰まって、一行づつしか読み上げられない子2さん。
犬ばか母子、ひしと抱擁しあって嗚咽号泣いたします。
悲しみ込み上げてきているわけでもないのに、普通にしていてはらはらと清い涙溢れる。
神よ仏よ犬神よ。
つぶさに照覧していてくださいましたでしょうか?
飼い主が瞠目するほど、生命を貫き立派に生き抜いた、美しき愛犬の旅立ちをでございます。



ちくしょう。
泣けんな。
喉、渇く。
奥さん。
画像ね、まだまだ膨大にあるのよ。







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覚え書き

2024年01月12日 | Weblog
↑犬ばか一家犬神屋には、猫も在籍しております。
猫紅一点、ハワイ生まれのルナさんです。
仔猫の時代から仔犬たちと一緒くたに育ちましたので、さまざまな行動や感性が、だいたい犬と同じです。

2024年度初買い出しは、1月5日だったと記憶しております。


↑絶対買うやつ。目の色変えて鷲掴みます。


↑正月もんの冷凍🍤ちゃんを、タイカリーにして消化してしまおうという魂胆です。


↑絶対買うやつ、目の色変えて鷲掴みます2。


奥さんコレね。
やめられない止まらないときたら、かっぱえびせんよりも止まらないったらありゃしない。
薄味で。
なんしか、体に良いらしい、フラックスシードなんかも入ってて。
さすがに、ひと缶一気喰いは自制せよと、自分に言い聞かせねばなりません。


↑なんかもう、季節先取りバレンタイン月間みたいな、チョコレートの香りに満たされるやつ。


↑おう?
撮影前に開けちゃったヒトがいるぞ?
奥さんコレもすっごくいい感じ。
甘さ控えめでモイストで、カフェラテのお供に最適かと存じます。

知らぬ素振りで、調理をすっ飛ばしていましたところ、旦那さまがせつなく寂しい顔をするので、迎春&賀正なお煮〆は1月6日に〆たった記憶がございます。



1月7日
新春の初売りではないですが、初買い物には、空港間近のタウンスクエア(ダウンタウンサマリン的な広い青空ショッピングモールです)
そちらに若衆方に引率されて参りました。
セフォラでもH&Mでも、品揃え数が一番なのは、やっぱりタウンスクエアなんだわ〜。
そう実感いたします。



この日、晴天ながらも寒冷日。
フーディ被ってても、両耳ちぎれるかと思うほど寒かったのでした。
るーるるるーるるるるるー
つい言葉が漏れました。
北の国からの、ホタル式耳当て欲しかったいやマジだ。
るーるるるるるーるーるるるー
呼んでも来ないキタキツネ🦊









↑1月2日の患畜病棟です。

昨年末から、にわかの体調不良で隔離中だったダックス長男、おかげさまで年明けには全快いたした。
老犬16歳のバセンジー、激烈な痩身ながらも、この画像ではまだ自分で四肢を支えておりますが。
現地1月11日現在。
昨日から完全要介護状態に陥りました。
筆者。
日本国出身の犬ばか魂、ここが正念場だと燃え立たせ、精魂込めた完全介護に挑んでおります。
奥さんアタシ、愛犬のために最善を尽くすわ。
神よ仏よ犬神よ。
願わくば、愛犬の命の輝き、存分に照覧ありますことを。












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正月2024

2024年01月05日 | Weblog
↑昨年末より、にわかに体調不良だった長男。
おかげさまで現在は回復いたしました。

皆さま。
年頭のご挨拶に代えまして。
令和六年能登半島地震で被災された皆さま。
北陸地方にお住まいで被災された皆さま。
衷心よりお見舞い申し上げます。
未だ行方不明の方々の早期発見と、被災地域の復興を、心より願わずにおられません。
筆者。
「被災地」と呼ばれる土地に、父方母方とも縁故浅からぬ者。
日系3世の夫は、元を辿れば父方の先祖は九州は熊本県。
避難所に身を寄せ合っている方々の、ご不便とご心中、察して余りあるのです。
被害甚大な報道に触れ、胸も潰れる想いがいたします。
余震おさまる気配も無い中、救助に当たられている方々も、二次災害等じゅうぶんにお気をつけてくださいますように。

それでは
筆者自身への覚え書きとして
年末からの事柄を記してまいりたいと思います。
日本へ心を馳せながら、筆者は筆者のするべき目の前の事柄を、粛々と努めてまいる所存です。

長男、隔離のためキュンキュン泣きが止まりませんでした。
安眠などできません。
よって、年末年始の年越し準備等
無理。
できません宣言を発布。
ところが、ヒトの子供たち、若衆方とはありがたいもので、母が丸投げ放棄した年中行事を、率先して引き受けてくれました。


↑コリアンフライドチキンを揚げてくれたのは子2ちゃん。


↑水で溶いて揚げると、ガイジンさん好みのバリサクに仕上がるではないですか。
しかも薄味、とても好みの風味です。
奥さん、もうアタシ、フライドチキン🍗っていったら、この便利なお粉しか使わなくなるかもしれないの。


↑年越し蕎麦は子1っちゃんが。

我が子まかせの、ありがたい、日韓友好なお年越しは、人生初めてのことでした。
老いては、子に従わさせていただきます。
筆者、目を開け続けているのもしんどく、耳だけで聴きながら、家族で観る紅白歌合戦も
日韓友好が弾けているではないですか。

ラスベガス現地時間。
ご近所様の打ち上げ花火や、ストリップエリアの年越しファイアーウォークスも佳境に入る頃
日本から、震度7の一報があったのは、年越しの45分前くらいだったと記憶しております。
若衆の友人が勤務で、長野県に出張予定でした。
筆者の親友のご実家は新潟県です。
実家の名古屋に帰省していた親友も、かなりの揺れで度肝抜かれたと。
閉じかけの目もカッと見開いて、心臓バクバクさせながら安否確認に集中。
英語の情報は、CNNよりユーチューバーのほうが早かった。
情報収集しているうちに、いつか新年が明けておりました。
若衆、当日日本では元旦で。
なんとも楽しそうに、鎌倉に初詣に行っていました。
出張するのは取りやめて、今はワシントンに帰還して来ているはずです。

現地時間ラスベガス、2024年元日。
筆者は、連日の睡眠不足たたって動けません。
そんなところに、料理の鉄人から、愛の差し入れいただいたのですから、ありがたくって新春とっぱじめから自然に涙がこぼれます。


↑お重に詰めてくれたのは若衆です。
叩いて、ネギトロ手巻き寿司にしようかと目論んでいた大トロの刺身を、男気で潔くボツ切りにしてくれたのは旦那さま。
写っていませんが、このほかにも多々差し入れが。
子2ちゃんの友人でもある鉄人は、ハワイ出身の同郷で、いつも心づくしをしてくださいます。
カスタードパイと日本のクッキーやチョコレートなど御礼返しに持参させていただきました。子2ちゃんが。


↑この文面に再度落涙。


↑旦那さまも。


↑翌日、蟹はランチに、ピラフに変身。


↑二日。
いくらか眠って持ち直した筆者は、旦那さまの好物ばかりを用意することができました。
奥さんアタシ、イクラ買いっぱぐったわ。
中華マーケットのイクラ、「これは絶対、新年早々アタルやつ」っていう見てくれで、70ドルもするってなんだかアコギじゃないですか?


↑雑煮の碗は芹もよう。


↑故郷の、芹たっぷりシンプル雑煮。


↑三日。
旦那さま作。
野趣あふれる男の豪傑水炊き。
鶏の下拵えby筆者。
鶏肉、見えませんけども。

旦那さまや、若衆方の手を遠慮なく借りて過ごした、そんな正月2024でございます。

文末になりましたが。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


↑橙(だいだい)の代わりに、今年も🍊を飾りました。旦那さまが。













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